興趣つきぬ日々

僅椒亭余白 (きんしょうてい よはく) の美酒・美味探訪 & 世相観察

政治にしかできない手を国民に

2021-10-18 | 随感・偶感・歳時感

今朝、わが家の菜園からサトイモとサツマイモを、菜園管理者の家内を手伝って収穫してきた。

サトイモは先日すでに1株収穫しており、きょうは3株収穫。

 

 


  

根がよくはっていて、サトイモは今年は豊作である。

シャベルで根の周りを広く深く掘り進み、根をできるだけ切らないようにするのが、根の中の多数のサトイモを傷めないコツである。

 

 

 

  

サツマイモも今年2回目の収穫。

サツマイモは1回目もそうだったが、1株に大きいのが一つあって、あとは小さいのがいくつかついているという状態であった。
残念ながら不作といっていいだろう。

サツマイモは本来、肥えていない土地でも育つといわれるほど強くたくましい作物だが、今年この畑は肥料がたっぷりだった。
にもかかわらず、どのイモもそれぞれが大きく育たなかった。

それはいったいなぜだろう。菜園素人ながら愚考するに、多くのイモたちが現状の恵まれた環境に甘んじてしまったからではないか。
地中の養分を自分で必死に吸い取ろうという真剣みに欠け、みずからを太らせようという努力を怠ってきたのではないのか。

唐突ながら、今の政治もこれと同じ状況にあると思う。
コロナ対策にしても、所得格差拡大にしても、実質賃金の低下にしても、国民のほんとうに必要なところに、政治にしかできない手(養分)が届いていない。

政治の世界では、 ‘一強他弱’ を当然視し強者に媚びるばかりで、現実の庶民の暮らしが見えていない政治家が多すぎるように思う。
現実を直視することによって解決すべき問題点を把握し、それを具体的に、ねばり強く調整、改善していく人が、今の国会議員の中にいるのか。わたしは寡聞にして知らない。

国民も、テレビなどの皮相な情報に流されるだけで、自分なりの問題意識を持つ人が少なすぎるように見える。
投票に行かない人も多く、結果として現状を容認し、緊張感のない政治を許してきたのではないか。(などとフト考えた)


それはともかく、掘りたてのサツマイモは地中の湿気がまとわりついて、それが朝日に照らされ、赤紫色がとてもきれい。(上の写真)

 

 

 

    

家に帰ってきて、日陰に干したところ。