「星の王子さま」と、登場人物である飛行士のその後の年取った姿と、隣の家の女の子との交流とを平行して描く構成。
老飛行士と少女の場面はの3DCGアニメ、「星の王子さま」そのものの部分はオブジェクト・アニメ(エンドタイトルにそう表記される)で処理していて、特に原作の絵柄を壊さないよう腐心しているのが伝わってくる。
小説の中のキャラクターに対応するキャラクターが現実の都会に現れるというのは「オズの魔法使い」以来の(もっと前からあるかな?)趣向だけれど、都会に行くのが後半までかかるというのは異色。ふつうは最初に異世界に行った子供がラストで戻ってくるのだが。
ほめられたくて仕方ない王様の取り巻きが何かというと拍手するのだが、何だか共産国の大会みたいなまるで心のこもっていない拍手みたい。
もともと「星の王子さま」ってかなり寓意の解釈に幅が出てくるのだが、ここでは割と最大公約数的な行き過ぎた資本主義の貪欲ぶりにおおむね焦点を合わせてある。
母親が全部娘の教育スケジュールを一時間単位て先の先までびっちり作っているというマンガチックな表現はおもしろいけれど、あとであまり回収していないのね。というか母娘関係についてはそれほど深刻な危機にさらされるわけではない。後半の灰色の都会に母親に当たるキャラクターが出てくるかと思ったのだが。
ラストで自身つまらない大人に「成長」してしまっていた王子さまが子供の姿に戻るのをここだけ3DCGアニメで描いているのだが、本来生気を取り戻しましたという表現になるはずがなんだか「美女と野獣」で野獣が王子に戻った時のような白々しさがついてまわるのは困ったもの。何かそれまでくたびれていたりそれ退廃していたりしていてもそれなりに生命を吹き込まれていたキャラクターを一瞬でひっくり返そうとするところに本質的な矛盾がある気がする。
女の子の歯並びが少し悪い、というのは歯並びを治していられるほど裕福ではないということだろう。
知る限り映画史上、「THX1138」「セブン」「進撃の巨人 前後編」に続く四本目のエンドタイトルが下から上へ流れる映画ということになる。
(☆☆☆★)
本ホームページ
公式ホームページ
リトルプリンス 星の王子さまと私@ぴあ映画生活
映画『リトルプリンス 星の王子さまと私』 - シネマトゥデイ
老飛行士と少女の場面はの3DCGアニメ、「星の王子さま」そのものの部分はオブジェクト・アニメ(エンドタイトルにそう表記される)で処理していて、特に原作の絵柄を壊さないよう腐心しているのが伝わってくる。
小説の中のキャラクターに対応するキャラクターが現実の都会に現れるというのは「オズの魔法使い」以来の(もっと前からあるかな?)趣向だけれど、都会に行くのが後半までかかるというのは異色。ふつうは最初に異世界に行った子供がラストで戻ってくるのだが。
ほめられたくて仕方ない王様の取り巻きが何かというと拍手するのだが、何だか共産国の大会みたいなまるで心のこもっていない拍手みたい。
もともと「星の王子さま」ってかなり寓意の解釈に幅が出てくるのだが、ここでは割と最大公約数的な行き過ぎた資本主義の貪欲ぶりにおおむね焦点を合わせてある。
母親が全部娘の教育スケジュールを一時間単位て先の先までびっちり作っているというマンガチックな表現はおもしろいけれど、あとであまり回収していないのね。というか母娘関係についてはそれほど深刻な危機にさらされるわけではない。後半の灰色の都会に母親に当たるキャラクターが出てくるかと思ったのだが。
ラストで自身つまらない大人に「成長」してしまっていた王子さまが子供の姿に戻るのをここだけ3DCGアニメで描いているのだが、本来生気を取り戻しましたという表現になるはずがなんだか「美女と野獣」で野獣が王子に戻った時のような白々しさがついてまわるのは困ったもの。何かそれまでくたびれていたりそれ退廃していたりしていてもそれなりに生命を吹き込まれていたキャラクターを一瞬でひっくり返そうとするところに本質的な矛盾がある気がする。
女の子の歯並びが少し悪い、というのは歯並びを治していられるほど裕福ではないということだろう。
知る限り映画史上、「THX1138」「セブン」「進撃の巨人 前後編」に続く四本目のエンドタイトルが下から上へ流れる映画ということになる。
(☆☆☆★)
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リトルプリンス 星の王子さまと私@ぴあ映画生活
映画『リトルプリンス 星の王子さまと私』 - シネマトゥデイ