「ヘイトフル・エイト」がわざわざ70㎜フィルムで撮ったが、日本では上映できる施設がないという。35mmでいいから上映できないものか。
フィルムだと画面の暗い部分が沈んだまま潰れないで微妙なニュアンスを出しているし、逆に明るい部分もちょっと沈んだ感じが残る。いいかげんデジタル上映に慣れてしまったけれど、たまに見ると気のせいでなく違うと思う。劇場のカーテンを閉めないで黒味を残したままでいるだらしのない状態でないだけでもありがたい。
黒木華が死んだ恋人に義理立てて結婚しないでいるのを結婚させようとするのは井上ひさしの「父と暮せば」のモチーフであるとともに、「東京物語」の原節子の血縁ではない義理の娘の後添えの話ともつながってくるだろう。ご丁寧にも結婚相手が「父と暮せば」と同じく浅野忠信。もっともらしくいうと戦争にまつわるサバイバーズ・ギルト(生き残った者の罪悪感)の克服ということになる。
だいたい吉永小百合に被爆者をやらせるところにも当然「夢千代日記」を意識させるように仕掛けてある。
亡霊の二宮和也が生前そのままにおしゃべり、というのは幽霊譚にありがちな湿っぽさを払うとともにちょっと井上ひさしの饒舌体の再生といった感もある。
このところの山田洋次は「おとうと」「東京家族」など先人の業績の継承といった趣の作品が続いていたが、これもその一環であり、内容自体もいなくなった者からさまざまなものを受け継ぐことそのものになっていて、それらからまた一歩踏み出している。
最初まったく人間と同じように現れて、その後クラシックな幽霊の紋切型風にすうっと消えて手に持っていた物がぱたりと落ちるといった表現になる。日本では能に典型的なように生きている者と死んでいる者が同じ地平でやりとりをする伝統的な表現というか死生観があるわけだけれど、ここでは古めかしい表現に後退と見せてラストでぐるっとまわって新境地に着地してみせる。表現者が齢を重ねることで、特に80歳を過ぎるあたりから何か突き抜けてくる境地が山田洋次にも表れてきた。
山田組の新しい顔とすると加藤健一が図々しくて生活力があってそのくせ惚れている未亡人の吉永小百合に対しては純情という「馬鹿」シリーズハナ肇からつながっている役を快演。まあ舞台ばっかりで映像にはあまり顔を出さないけど、もうちょっと出てもいいと思う。
この映画に絡めて山田洋次と二宮和也と美輪明宏がNHKで鼎談していたが、特に苛烈な体験だとなかなか言葉にできない、それを伝わるように表現できるのが表現者だと山田が美輪に対して言っていた。
たとえばヴァイオリンをひょうたん型糸こすり器と呼んだ、というのをもうギャグにしてしまうあたりや、原爆を被爆した直後を人が炒られた豆みたいに撥ねている、と表現するのを聞くと何かはっきり目に見えてくる。
(☆☆☆★★★)
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