世界中の人々に今も愛されているミッキーマウスの生みの親、ウォルト・ディズニー。独自の感性で一大エンターテインメント王国を築いた天才の知られざる人生を描くシリーズ
チャンネル [BS1]
2015年12月21日(月)~24日(木) 午後11:00~午後11:50(50分)
出演者ほか
【語り】山寺宏一
第一夜「ミッキーマウスの誕生」
詳細
第1話は、厳格な父親との確執を抱えた幼少期から、表現の自由とビジネスチャンスを求めたロサンゼルスで兄・ロイとスタジオを立ちあげるまでが描かれる。ウォルトはアニメーションで頭角を現し、短編映画「機関船ウィリー」(1928)でミッキーマウスが誕生。これがキャラクターの商品化につながり、会社は急成長を続ける。
※ 初めはウサギのオズワルドなんてキャラクターがいたのね。アニメーターに対する待遇の悪さがごく初期からあったことがわかる。
アブ・アイワークスによると、「長い耳をつけるとウサギ、短い耳をつけるとネコ、鼻を細長くしたらネズミになった」というのがおもしろい。モーティマーという名前がつけられそうになったのをウォルト夫人がミッキーという名前を提案して採用された。
トーキー化で画面にぴったり合ったサウンドトラックを作るのは大きな賭けだったが、その後も映像と音や音楽との一体化は大きな魅力となった(今でも続いている)。
シリー・シンフォニーでアニメは芸術になったと評された。実際このシリーズはかなり今見ると毛色が違う。
第二夜「アニメーションのパイオニア」
質の高い作品にこだわって膨大な資金を注ぎ込んだ、世界初の長編カラーアニメーション「白雪姫」が高い評価を得たディズニー。人間の動きを撮影して、それをもとに絵を描くという新手法も取り入れ、「ピノキオ」や「ファンタジア」といった話題作を次々と発表する。その一方で、彼の経営方針に社員の不満が高まり、待遇改善を求めるストライキに発展してしまう。
※ 「白雪姫」の製作中の鉛筆画などが残っているのに驚く。
スタジオを作って従業員を抱え込む、「合理的」な経営が管理主義的になっていって家族的雰囲気が失われた。さらに格差も広がった。数が増えた下働きが労働組合ができることになる。
ウォルトが下働きの100倍の報酬を受け取りながら誰に対してもファーストネームを呼ばせるのは今見るといさか欺瞞と映る。
「ピノキオ」があまりに製作費がかかりすぎて赤字になったこと。「ファンタジア」が批評で賛否両論になり大赤字になり、インテリに対する反感を募らせたという。
ディズニースタジオは完全に男性優位主義の世界で、女性は完全に下働き扱いだった。
グーフィの生みの親であるトップ・アニメーターのアート・バビットが労働運動に加わり、ついに解雇されたため、ストライキが勃発し、その前と後ではウォルトは別人になったと語られる。
第三夜「戦争と混乱の時代」
第二次世界大戦中、会社の資金は底をつき、ディズニー・スタジオは戦争のプロパガンダ映画を制作していた。黒人と白人の心の触れ合いを描いた実写映画「南部の歌」は人種差別的との批判を浴びるが、「シンデレラ」は空前の大ヒットを記録した。この頃、プライベートでミニチュア鉄道の趣味に熱中するうちに遊園地の構想が浮かび、これがディズニーランド建設につながっていく。
※ 「ダンボ」や「バンビ」製作中の時期から、あまりに経費がかかり従業員ず増えていき、ウォルトが経営の苦しさとともに労働運動への無理解と反感を募らせ、共産主義のせいにしていく過程が描かれる。
この頃は軍のプロパガンダで口を糊していた(金銭的理由だけで協力したとは思えないが)。
「南部の唄」を実写との合成にしたのは製作費削減のためでもあった。アトランタの「風と共に去りぬ」が公開された「白人専用」の映画館でプレミアを行った。出演した黒人俳優は入場を許されなかった。
ウォルトの腐敗の時期といっていいのだろうが、ディズニー作品の引用がふんだんに盛り込まれている。ドキュメンタリーの作者はどう話をつけたのだろう。
非米活動委員会での証言の映像まで出てくる。
第四夜「“夢の国”ディズニーランド」
1955年、ウォルトが思い描く夢の国、ディズニーランドが完成。長女ダイアンは「父のあんなにうれしそうな顔は見たことがなかった」と述懐する。64年に制作されたミュージカル映画「メリー・ポピンズ」はアカデミー賞13部門にノミネート。作品もビジネスも頂点を極めたかのように見えたウォルトだが、彼はさらなる夢、未来都市「ディズニーワールド」の構想を温めていた。
※ ディズニーランドの開園まで一日16時間労働の突貫工事だった。DLの建設はテレビでウォルト自身が人気者になっていくのと軌を一にしている。
「メリー・ポピンズ」にアニメを入れるつもりは初めはなかったが、「南部の唄」を見直してから考えを変えたという。 これはアカデミー作品賞にノミネートされた唯一のディズニー映画。当時なんと公民権運動の時代だったのね。さぞ浮世離れして見えただろう。
あの映画の厳格な父親はウォルトの父親の投影であり、それがラスト理解を示すというのが重要。
ディズニーがアメリカ的な価値観のひとつの典型であることは確か。

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