ウィキによると、1960年頃、8ミリを趣味ではなく作品としての映画、自主映画(当時この言葉自体定着はしていなかった)を作ろうとしていたのは高林と大林宣彦と飯村隆彦の三人しかおらず、雑誌「小型映画」の編集長のひきあわせで顔を合わせると意気投合、その縁で本作とATGで撮った商業用劇映画第一作といっていい「本陣殺人事件」でも大林が音楽を担当している。
製作が高林三郎ほか高林姓の名前がスタッフに散見するところを見ると、当時の日本ヘラルド映画(のちヘラルドエース→角川映画に吸収合併)の配給で日劇地下劇場ほかで小規模ととはいえ商業ベースで公開されたが、実質はかなり自主製作というか家内制手工業的な作られ方をしたと思しい。
全編これさまざまな蒸気機関車(SLといわないのが1970年という製作年度を感じさせる)の走る姿をえんえんと撮っていて、そこにポエムのようなナレーションがかぶり、少女が現れて蒸気機関車と対話するなど映像詩のようでもあり、今でいうMTVのようでもある。
完全にSLマニア向けの作りで、当時かなりヒットしたらしい。鉄っちゃんというのは昔からいっぱいいたのだな。
それにしても実にさまざまな蒸気機関車が走る実景は今では望むべくもなく、映像の記録性能の貴重さを感じさせる。
京都(高林監督のホームグラウンド)の甍がずらっと並んでいる向こうを煙が走っていく光景や、背景になる野山や雪景色などさまざまな自然の風景も70年代、おそらくバブル前までのものだろう。
「すばらしい蒸気機関車」 - 映画.com