原題はde son vivant=生前。
このところ日本映画でホラーでもないのに骨壺が出てくるのを三本続けて見たかと思ったら(「マイ・ブロークン・マリコ」「川っぺりムコリッタ」「アイ、アム、まきもと」)、フランスからは末期ガンで若くして余命いくばくもない男とその周囲の話がやって来た。
もともと死にどう相対するかというのは究極の問いで正解があるわけではないからいくらでもできるのだが、それにしてもこう続くと少なくとも先進国ではどう生きるかと共にどう死ぬか周囲はどう対応するかというのがタブーではなくなっている、というか関心事になっているのがうかがわれる。
主人公は売れない俳優で俳優志願の若者たちを指導しているのだが、生徒たちには一定の信頼と好意を得ている様子。
そして生徒たちの指導に人間に対する関心と価値の追求がおのずと出てくるという構造になっている。
誰の言葉か忘れたが、芸術家は芸術を生み出そうとするが、俳優は自分が芸術になろうとする、というのがあって、演出家兼演技教師としては今までの自分を客観的に見るのにつながってもきているのだろう。
ただし彼には元妻と息子がいるが、今は完全に没交渉になっているというか、元妻には縁を切られている様子(英語で喋っているので外国人らしい)で、女生徒に下心混じりの誘惑をされたりして、男性的魅力はあるが、というかあるから長いこと生活を共にするには向かない男らしい。
その会わないでいた息子の扱いがメロドラマ的ではないリアリティを持っていてそれでいてカタルシスがある。
授業の中で俳優の存在感の話が出てきて、これが俳優の価値にとどまらず人間の生きていた理由と目的と価値の話に結び付く。そうして俳優としては成功しなかった自分に価値を見いだせない状態との葛藤が大きなウェイトを占める。
裏返すと成功したとして死んだらどの程度価値があるのか、少なくとも当人にとってという話でもある。