prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

12月16日(金)のつぶやき

2016年12月17日 | Weblog

「小さな悪の華」

2016年12月16日 | 映画
男から見た小悪魔(美少女)のイメージではなくて、本当に悪魔的でアモラルな少女たちが出てくる。特典映像を見たら10年寄宿学校で育った監督の反抗心の投影だというので納得。

内容のせいで製作費が集められず親戚から金を借りたりして作ったというが、実際あまり製作費がかかっていないのが画面に出ていて(プロのスタッフは撮影監督だけ)、荒っぽい画面の質感がなんともいえない薄気味の悪さを巧まずして出していた。

フランスはじめカソリック国では初め公開できずイギリスでまず公開されたというが、とにかくカソリックの抑圧性に対する怒りと反抗心の表出がすごい。庭師の小鳥を殺す場面なんてあるから、今だともっと批判されるかもしれない。



12月15日(木)のつぶやき

2016年12月16日 | Weblog

「アズミ・ハルコは行方不明」

2016年12月15日 | 映画
原作者なり脚本家は女性なのではないかと見ていて思ったら案の定。
蒼井優がインタビューでしきりと、台本読んでいちいち覚えあるあると思ったから引き受けました、周囲の女性スタッフもみんなそう言っていたというからどういう意味かと思ったら、とにかく大ざっぱに言って女性が日常的に受けている無意識のセクハラ、というかそれ以前の男どものものすごい無神経と貧しい人間観にいちいち我慢していますという顔もしないでやり過ごしているが細かく見るとイラッときている感じがまことによく出ていた。

特に社員四人しかいないハルコが勤める会社で、茶を飲んで駄弁ってばかりの男の社長と専務は月給100万で実務をこなしている37歳の女性社員が手取り17万、ハルコが14万というのだから、もうそれだけでふざけるなと思うのに、37歳で結婚していないなんて生物として終わりだとか石原慎太郎みたいなことを言っている(のが都民に多いから知事として再選三選されたわけで)のだから、やっていられない。

それから地方都市の、コンビニに行ってもビデオレンタルの店に行っても高校の同級生と顔を合わせたりして、これまた顔に出さないでやり過ごしているがいちいち鬱陶しい煮詰まった空気が、一見して小ぎれいでおしゃれな服装や店の外観とは裏腹に貼り付いているのがよく出ている。

こういう地方都市の閉塞した空気の上に成り立った映画が日本映画から連続して出ているというのは時代の産物には違いないだろうけれど、おそらく今に突然始まったことではないし、もちろん大いなる田舎である東京が例外ではありえないのはオリンピックの利権を巡るドタバタを見ればわかる。日本だけのことでもないだろう。

行方不明のハルコのグラフィティを町のあちこちにしていたのが主にネット上で拡散するわけだが、複製が拡散して実像が消失しているのは、アンディ・ウォーホルがモンローのようにすでにアイコンと化した人の版画を作り、人を人たらしめていたいわゆる内面が意味を失ってアイコンとしてのキャラクターだけが残っている状態を予見したのとつながっているみたい。

ハルコが行方不明になってからとなる前とが交錯する形で描かれるのだが、消える前からすでにいなくなっていたのと同然で、アイコンと化してから人の間に膾炙することになる。

ただ、落書きしていた連中がアーティストとして認められるのかと思うとすぐまことに小さなイベントに起用されただけで消費されて終わりというのが、今らしい。

しばしば女子高生によるオヤジ狩りの光景が挟まるわけだけれど、現実には不可能な男どもへの復讐のイメージと解釈するにせよ、男がまるで無抵抗で殴り返さなかったりプ女子式にプロレス技を使ったりして、映画で慣れているリアリティからいきなり離れてしまってちょっと画的に説得力がなさすぎなのはひっかかった。
ストレートに反抗したりキレたりしないのは納得できるのだが。
(☆☆☆★)

アズミ・ハルコは行方不明 公式ホームページ

映画『アズミ・ハルコは行方不明』 - シネマトゥデイ

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12月14日(水)のつぶやき

2016年12月15日 | Weblog

「闇のバイブル 聖少女の詩 」

2016年12月14日 | 映画
チェコの映画には不思議なくらい緻密で丹念に作りこまれた工芸品のようなのが多いが、これもその一つ。

とにかく小道具ひとつ、セットの汚しひとつに至るまで細心の注意を払い、少女のまわりにひとつの美的世界を構築しようとするエネルギーは大変なもので、メイクの下にあからさまに若い下地をのぞかせる祖母や、旅の聖職者とも芸人とも吸血鬼ともわからず、少女の父とも名乗ったりする奇怪な男などまがまがしい造形が同時に詩的でもあって圧巻。

原題はVALERIE A TYDEN DIVU 「ヴァレリエの不思議な一週間」で1932年にシュルレアリスム詩人Vítězslav Nezval ヴィーチェスラフ ネズヴァルが書いた同タイトルの小説を原作としている。1969年製作。
日本語初訳が出たのが2014年と最近でこのDVDが出たのが翌年。

amazonでおそろしく丹念に各国のソフトを見比べているレビューが出ているように熱狂的なファンを生むタイプの映画だろうなと思った。
イメージや構造が詩的で常に不定形に揺れ動いている再見三見を要求するタイプの作品。

だから監督のヤロミール・イレシュが「マルシカの金曜日」の監督だというのにはいささか驚いた。第二次大戦中のナチ占領下のチェコのレジスタンスに参加し22歳で死刑になった少女を描くハードな社会派映画だったから。


12月13日(火)のつぶやき

2016年12月14日 | Weblog

「プリンス・オブ・ペルシャ/時間の砂」

2016年12月13日 | 映画
ペルシャの隣国アラムトが兵器を保有しているという偽情報に踊らされて攻め込む、というあたりはアラムトというのは今のカザフスタンの町なのだが、ペルシャ=イランの隣国イラクが大量破壊兵器を保有しているという偽情報にもとにアメリカがイラクに攻め込んだイラク戦争の発端を思わせる。
もっともハリウッド映画だからそんなにマジメに処理するわけでなく、ごくご都合主義的な解決がつくのだが、ちょっとどきりとはする。

時間が10秒遡る魔法の砂、という設定はプチ「メメント」みたいでスペクタクル大作とするとかなりややこしい設定。ゲーム原作は知らないが、実際には時間が動き出したら止まらない映画では効果的でもありご都合主義的(死んだ人間だってよみがえるのだから)でもある。

主演のジェイク・ギレンホール、ジェマ・アータートンは、いまいちヒーロー、ヒロインとしてはタイプになりきってない。演技者としての性格が強いのが邪魔している感もある。
ジョン・シール撮影、ウルフ・クローガー美術とスタッフは一流。

プリンス・オブ・ペルシャ/時間の砂 公式ホームページ

映画『プリンス・オブ・ペルシャ/時間の砂』 - シネマトゥデイ

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プリンス・オブ・ペルシャ/時間の砂 [DVD]
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ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社

12月12日(月)のつぶやき

2016年12月13日 | Weblog

「マダム・フローレンス! 夢見るふたり」

2016年12月12日 | 映画
モデルになっているフローレンス・フォスター・ジェンキンスのLPは小学生の時に聞いてびっくりして大笑いした覚えがある。というか、モーツァルトの「魔笛」の夜の女王のアリアを最初に聞いたのアレだったかもしれない。

そんなにヒドいのかな、そうでもないじゃないと思いかけたところでどんと思いもかけない外れ方をするのがたくまずして絶妙で、今でいうおもしろビデオやNG大賞のおかしさの先駆のように思える。

で、そういう狙っていない可笑しさを最初から完全に狙って再現するというのは本質的に矛盾を孕んでいて、技術的に完璧であるだけ(メリル・ストリープですからね)かえってよくできた再現にとどまる。

以前「タモリ倶楽部」の歌ヘタ選手権のトップバッターにこのLPが出てきたわけだけれど、伴奏のピアニストはマダムの歌を聞かされて笑わなかった人が選ばれたというのが裏話として紹介されていたが、ドラマでは唖然したり笑いを堪えたりと相当にリアクションを見せている。それに気づかないのはマダムの人の好さでもあるけれど、無神経には違いない。

海外版のポスターでは左にいるピアニスト氏が日本版のポスターから消されてしまったのはコメディ色を消して感動作にもっていって宣伝する小細工だとネット上で批判されたけれど、このピアニストの視点から描いていったら完全にコメディから始めて感動作にもっていけたかもしれないが、全体にマダムの「寝床」ぶりをどう見ればいいのかつかみにくく建付けがあまり良くない。

夫役のヒュー・グラントがいい加減で調子がよくてそれでもそう悪い人間ではないという十八番の役で好演、これだけ二の線から三にシフトしてうまくいった人も珍しい。
(☆☆☆★)

マダム・フローレンス! 夢見るふたり 公式ホームページ

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12月11日(日)のつぶやき

2016年12月12日 | Weblog

「シークレット・オブ・モンスター」

2016年12月11日 | 映画
うーん、正直いって何を描いているのかさっぱりわからなかった。
ロアルド・ダールの短編でヒットラーの出生時に取材した「誕生と破局」だと独裁者の文字通りの誕生の皮肉が感じられたけれど、サルトルの「一指導者の幼年時代」が原作だというこれは、子供の何を描いているのかつかめなくて困った。わがままが順々に通っていって使用人が解雇されていくわけだけれど、それが独裁につながるものだろうか。
上映途中で最近珍しく上映ミスがあって非常灯が点灯してしまい気が散ったせいというわけでもないだろう。

独裁者の資質を見つけるには歳が若すぎるのではないかと思える。もう少し社会性を得ていく思春期以降でないと他の人間を操る邪悪さが意味を持つとは思えない。
今どきサルトルとは珍しいと思ったが新潮文庫の「水入らず」に収録されているとなると読んでいるはずだが、まったく覚えていない。困ったものです。

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12月10日(土)のつぶやき

2016年12月11日 | Weblog

「時代劇は死なず ちゃんばら美学考」

2016年12月10日 | 映画
時代劇といっても東映京都撮影所での時代劇、というカラーがかなり強い気がして、黒澤明や溝口健二の時代物が混ざると違和感がけっこうある。
この映画の演出構成の中島貞夫監督は千葉生まれで日比谷高校から東大を出たわけで関西人ではないのだが、東映に入社してからは京都撮影所の仕事が主体みたい。東京と京都の違いというのを見ている方はあまり意識しないのだが、作っている方は多分ぜんぜん違うのだろう。

個人所蔵だったという伊藤大輔監督「長恨」の一部が見られるのだけれど、一部だけでもちょっと驚くような張り詰めた緊張感に満ちていて、手持ちと思えるぐらぐらしたカメラワークを1920年代のサイレント映画期にやっていたというのも驚き。

阪妻や千恵蔵、アラカンなどの時代劇スターたちが個人で映画製作プロを続々と設立したのも当時20代から30くらいだったはずで、この映画では特に断ってないが若者のエネルギーの産物だったのだなと思った。

ちゃんばらがただ刀を振り回してもダメで人物の情念を昇華した末の斬り合いでなくては意味がないというのはまったくその通りだと思うが、その情念そのものが描きにくくなっているとも思える。

中島貞夫監督による実在しない時代劇のクライマックスはよくできていて、逆にそこに行くまでがなまじ退屈で興を削いでしまうことも多いのではないか。

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12月9日(金)のつぶやき

2016年12月10日 | Weblog