prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか?」

2018年03月12日 | 映画
巨大企業といっても、その内実の呆れるばかりの空虚さにいささか唖然とする。事実上、トップの舌先三寸で仕事をしているように見せかけて金を集めて株価を吊り上げただけではないか。

エネルギーのように具体的なモノ=資源に関わる産業でするこういう実質のないイカサマがまかり通っていた(今でもまかり通っているだろう)のに、資本主義の肥大化というか、金、マネーみたいな裏付けがあるようなないようなものがすべてに優先する異常さを、少し古いネタなのだが改めて思い知らされる。

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エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか? デラックス版 [DVD]
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ジェネオン エンタテインメント

3月11日(日)のつぶやき その2

2018年03月12日 | Weblog

3月11日(日)のつぶやき その1

2018年03月12日 | Weblog

「ブリムストーン」

2018年03月11日 | 映画
二時間半に及ぶ長尺で、全体が四章構成になっており、それぞれにEXODUS、GENESISといった明らかに聖書的なタイトルがついている。

時間構成も単純な編年体ではなく、新たな章が始まるごとに時間が遡ったりして設定も映像も意表をつき、しかも単純な回想ではなくそれ自体完結したエピソードにもなっていて、その中で冒頭の謎めいたところが説明的でなく解き明かされていく話法が秀逸。

タイトルのブリムストーンとは硫黄の意味だが、当然聖書のソドムとゴモラを滅ぼした硫黄の火からとっているのだろう。
登場する娼館の名がINFERNOというくらいなのだから。

バイオレンスシーンが必ずしも直接描写が多いわけではないのに非常に強烈。
ガイ・ピアース演じる牧師(というか、自ら語る言葉のように偽預言者=偽りの神の言葉を預かる者)が、「ファニーとアレクサンデル」のヴェルゲルス主教(ヤン・マルムシェー)のような継子いじめ(しかもここでは性的虐待すら含む)をするおぞましさは映画的文体の強靭さがなければ耐えられないレベル。
あるいは「狩人の夜」のロバート・ミッチャムのように、いったいどこまで普通の人間なのかそれとも超自然的な存在なのかわからないような感じもある。
子羊を惨殺するのは自らをよき羊飼い=キリストに喩えているつもりか。

ヒロインが猿轡のような器具をはめられたり舌を切ったりしてしてはじめにあるもの=言葉を奪われている存在なのが象徴的。

牧師が処女性にバカにこだわる(なぜ聖母マリアは処女で子供を産むのか)のは命が生まれること=自分の生まれたこと自体に憎しみを持ってるのではないか、と思わせるくらいで、不気味なのはそういう性向を持つ男は割と一般的にいるのではないかという予感を感じされるところ。

主演のダコタ。ファニングが子役時代からのキャリアを持ち、子供だった時の顔を見知っているのが効いている。

キリスト教の持つ暗黒面と格闘している感のある異色ウェスタン。開拓期西部の無法地帯ぶり、暴力がもろに支配力につながっている身が縮むような怖さが良く出ている。

撮影はアメリカではなく、スペイン、ハンガリー、ドイツ、オーストラリアで行われ、監督脚本のマーティン・コールホーベンはオランダ人。清教徒の国アメリカだと、かえってつくりにくいのではないか。
なんだかあっという間に公開が終わってしまったが、強烈な秀作。
(☆☆☆☆)

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3月10日(土)のつぶやき その2

2018年03月11日 | Weblog

3月10日(土)のつぶやき その1

2018年03月11日 | Weblog

「空海 KU-KAI 美しき王妃の謎」

2018年03月10日 | 映画
何というか、およそ挨拶に困る大作。

原題が「妖猫伝」で、実際空海より黒い怪猫の方が冒頭から話の軸になっていて、空海が何しに出てきたのかよくわからない。
「薔薇の名前」みたいに中世を舞台に僧が名探偵ぶりを見せるのかと思うとそういうわけでもなく、調べたわけでも推理したわけでもないのにどんどん昔の事情がどういうわけかわかってしまう。

阿部寛が阿倍仲麻呂をやっていて、アベ、アベと呼ばれるのは別に語呂合わせでキャスティングされたわけでないだろうが妙な感じ、しかも直接空海と絡むところがないものだから構成が分裂したみたい。
それどころか楊貴妃と玄宗皇帝のメインプロットと空海との関わり方もずいぶん強引で、もともと時代が違う上に、彼らの事情がなんでああ細かくわかるのか謎。

長安の都の大オープンセットはさすがに大がかりで結局それが最大の見ものになった。
余談だが、陳凱歌の1998年作「始皇帝暗殺」では紫禁城の実物大の大オープンを作り(撮影終了後もロケや観光に使われているらしい)、日本側プロデューサーの井関惺が「中国も人件費が高くなってきたから、こういう(おそらく、「敦煌」みたいな人件費の安さを生かした群衆シーンが見せ場になるような)大作は最後になるだろうといった発言をしていたが、違う意味での大作がどんどん作られている感。

同じ陳凱歌の「PROMISE 無極」もそうだったが、派手なわりに張芸謀みたいな様式化が徹底しているわけではないので(それが必ずしもいいわけではないが)何だかけばけばしくヘンテコな印象が強い。

黒猫が出てくるのがエドガー・アラン・ポーみたいだなと思っていたらホントにそういう展開になるのには驚いた。黒猫のCG演技の感情表現はなかなかのもの。

楊貴妃役のチャン・ロンロンが鼻の高さや色の白さなど西洋人の血が混ざっているのかなと思ったら果たせるかな台湾人とフランス人との混血。すこぶる美人だけれど、西洋風に過ぎないかという気はする。当時の長安が国際都市だったのに合わせたのかもしれないが、それだったらアラブ人やインド人もいていいと思う。

日中合作で何で主題歌(野田洋次郎)が英語なのか、理解に苦しむ。グローバル化とは英語化かと憮然となる。全般に世界の映画、特に大作はグローバル化すると共にドメスティックな味や魅力を薄れさせてきているのは、知らない世界へのアクセス感覚を期待する人間としてはあまり有り難くない。
(☆☆☆)

空海 KU-KAI 美しき王妃の謎 公式ホームページ

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3月9日(金)のつぶやき

2018年03月10日 | Weblog

「ドレッサー」加藤健一事務所

2018年03月09日 | 舞台
作 ロナルド・ハーウッド
演出 鵜山仁

出演 加藤健一/加納幸和/一柳みる/西山水木/石橋徹郎/金子之男/岡﨑加奈

前に加藤健一は三國連太郎が座長を演じていた同じ「ドレッサー」のタイトルロールのノーマンをやっていたのを、今回は座長役。ドレッサーは花組芝居の加納幸和。

余談だけれどこの三國座長版公演、プログラムを見ると槍持って立っているだけの役の一人が豊川悦司だったりするのにびっくりする。当時在籍していた劇団三○○(さんじゅうまる)主催だった渡辺えり(当時えり子)が客演していたので、その関係だろう。

こういう具合に同じドラマで昔若い方の役をやっていた役者が年かさの役に移って再演する例というのはいくつかある。
映画版の「奇跡の人」でヘレン・ケラーをやっていたパティ・デュークが再映画化でサリバン先生役をやったり、「探偵スルース」で若い美容師役だったマイケル・ケインが再映画化では老推理作家をやったり、など。
いかにも優れた作品が受け継がれていく感じがする。

三國連太郎の座長はイメージとして傍若無人でわがままで手に負えない感じが強く、意外にも舞台初主演(というか、舞台他にやっているのだろうか、Wikipediaには出ていない)だったのである種の異人というか舞台からはみ出ていたが、今回の座長は何しろ加藤健一自身が座長なのだか脱線しながら全体の軸になっている。

身体の大きさもいかにもデカい三國の座長に加藤のドレッサーがまめまめしくくっついていた感じなのが、今回はドレッサーの加納の方が背が高いので劇中のリア王と道化さながらに道化の方がリードしているバランスになった。

昔の公演では座長が死んだ後ちょっとだれる感じなのが、今回のはドレッサーの悲哀がぴたりと決まった。

紗を使って舞台を舞台裏から透かして見る恰好にした演出はおもしろかったけれど、劇中劇のセリフにエコーがかかっていたのは何かもったいない。せっかくナマで見に(聞きに)来ているのだから、できるだけ生音を聞きたいのです。








3月8日(木)のつぶやき

2018年03月09日 | Weblog

「あなたの旅立ち、綴ります」

2018年03月08日 | 映画
良くも悪くも優等生的だけれども模範答案とまではいかないシナリオという感じ。

シャーリー・マクレーンが一種のコントロール・フリークみたいな成功した実業家役で、仕事だけでなく身の回りのことにもこまごまと口を出し、しまいには自分の亡くなった時の伝えられ方までコントロールしようとして死亡記事を書く担当みたいになっているアマンダ・セイフライドに自分の死亡記事を書かせる、という出だしは好調だけれど、両方がそれぞれの抑圧から解放される(らしい)展開が元がそれほどシリアスな感じはしないのとほぼ予想通りなのでだんだんダレてくる。

主役二人が製作総指揮を務めてるだけあって大いに乗って芝居している感じなのはいいけれど、意外と二人のヒロインの価値観が近いから本格的な対立にならないのではないか。

唯一の本格的な対決というべきマクレーンが疎遠にしている娘とのシーンも文字通りの大笑いで処理するのはアイデアだけれど、後で考えるとこれでいいのかなと思わせる。

自由気ままにふるまう黒人少女アンジュエル・リーの絡ませ方がなんだか甘くて、わがまま放任がいいみたいに見えるのも困る。
これはマクレーンにも言えることで、ずいぶん周囲に迷惑をかけただろう感じがあまりしなくて、割とさっさとまた好きなことを始める感じ。

マクレーンが途中でいったん死んでいないのに死んだと勘違いされて、彼女についていろいろ証言していた人たちが前言を翻す展開にでもなるのかと思ったら(勝手な想像には違いないが)、そういうひねりがあるわけでもない。

アメリカにもアナログLPにこだわる人間はいるのだなと思わせる。
庭師役が日系のゲディ・ワタナベ(「ガン・ホー」ではマイケル・キートンと並ぶ主役)で、庭師というと昔は日系というのが定型なのだが、マクレーンの役はそういう定型が好きなのかとも思わせる。

(☆☆☆★)

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3月7日(水)のつぶやき その2

2018年03月08日 | Weblog

3月7日(水)のつぶやき その1

2018年03月08日 | Weblog

「犬猿」

2018年03月07日 | 映画
兄弟姉妹でまともに見えるのとクズがかっているのとがペアになっているようで、実はまともに見える方も相当なもの、というバランスのとり方の辛辣さと可笑しさは相当なもの。

ニッチェ江上敬子の丸い身体にまん丸な目をもっと丸くして顔を真っ赤にして怒鳴るあたりの迫力とおかしさ。
アイドルなのか女優なのか会社員なのか、どれも中途半端な筧美和子。
いかにもクズらしいクズな割にヤクザとしても迷惑がられている新井浩正。
まじめにサラリーマンやってますという顔している割に、というかだからこそ結構セコいエゴイズムをのぞかせる窪田正孝。
という具合に、どうしようもないキャラクターと関係の可笑しさと苦さとやりきれなさをないまぜて描くあたり、人間観察の焦点の深さは相当なもの。

あまりにきちんと対照的な構造をとっているので形式的・図式的な印象がかなり強いけれど、ディテールのあるある感がそれを補って余りありすぎるくらい。

性別が同じだから整頓された感じになっているが、これが性別の違う同士だったらどうだろう、もっとぐちゃぐちゃにならないかとかいろいろ想像したくなる。
(☆☆☆★★)

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3月6日(火)のつぶやき その2

2018年03月07日 | Weblog