prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「その場所に女ありて」

2022年07月16日 | 映画
1962年(昭和37年)1月公開。タクシーの初乗り料金が80円の時代。
出演当時、司葉子、宝田明ともに1934年生まれなので27歳ということになる。

女で広告代理店勤務で一般職ではなくれっきとした営業を描く映画というのは相当珍しい。
いわゆる女言葉を使う女性キャラクターが存在しないのも、耳に気持ちいい。
当時のことでタバコを吸うのが当たり前だが、ヒロインが喫煙者なのも男たちに交じって当然のように麻雀をする(しかも強い)のも珍しい。

広告代理店同士のクライアントの奪い合いで、ライバル会社の営業の司と宝田が張り合うとともに男女の仲にもなってしまうあたり、描きようによってはコミカルにもロマンチックにもできるのが、互いの孤独感から(何しろ絵に描いたような美女美男だから)思わず関係していまうといった冷ややかな感触の方が先に立つ。

その裏で宝田は司の会社のディレクター(浜村純)を篭絡してプランを盗んで契約を奪う。
のちに未練がましく司に電話してきて大きな組織が動きだすと個人ではどうにもならないと言い訳するが、これまた冷ややかに司がさよならと電話を切る。ハードボイルドというのも甘く聞こえるタッチ。

デザイナー(山崎努)が他のスタッフの手柄も一人占めにして賞をとったのをきっかけに他の会社に好条件で転職するが、周囲の反発をかって仕事にならず困っているので助けてくれないかと虫のいいことを言ってくるので司はひっぱたくが、痛快さといったものはない。

ちょうど社長シリーズといったサラリーマン喜劇で当てていた東宝でここまで冷ややかな感触のサラリーマン映画が出来ていたのが興味深い。

上役たちが集まって司を呼び契約を奪われた責任を問われそうな雰囲気になるが、きっぱりと会社は辞めませんと言いきるあたり、会社を辞めたら生きていけない弱みと、あくまで一人で生き抜く覚悟と両方がくっきり出た。
上役の西村晃が責任を問わないことにするのは、浜村を切らないのと同じ玉虫色で済ませる論理だろう。
机をはさんで上役たちが集まっているのと司一人の距離を生かした多彩な構図のカットの組み立てが見事。
監督は近年再評価が著しい鈴木英夫。

原作はなくオリジナル脚本というのもちょっと驚く。新人升田商二と鈴木の共同だが、升田はこの他には1967年に「日没前に愛して」という日活作品があるだけ。想像だが、会社員体験を生かしたのだろうか。

社員同士の間で借金のやりとりをしているあたり、サラ金がまだなかった、というか丁度大手サラ金が本格的に登場するちょっと前ということになる。
アコムの前身のマルイトは「1963年からは手形割引や商人向けの新規融資を思いきって中止し、サラリーマン金融への注力を決定…予想を遥かに上回る業績をあげた」(「サラ金の歴史」小島庸平P99)
会社員が自腹を切って付き合いや接待をしなくてはいけなくなった時代ということになるだろう。

オープニングとエンディングはそれぞれ朝と夕方の横断歩道で信号が青に変わって人々が歩きだす場面。
人が進むかどうかも信号という無機的なシステムに指示されるままといった象徴になっている。




「ブラック・フォン」

2022年07月15日 | 映画
少年を拉致し拷問して殺す猟奇犯罪者の現実的な恐怖と、死者の霊が出てくるゴーストストーリーの超現実的な要素とを合体させたのが新鮮。

前半、暴力が横行し、いじめから逃れるには暴力に訴えるか暴力に訴える者を頼るしかないという主人公の少年を取り巻く残酷な環境がかなりがっちり描き込まれる。
このあたりの少年の世界の描き方は、原作者ジョー・ヒルの父親スティーブン・キングの一連の作品や、藤子不二雄Aの「少年時代」(原作・柏原兵三「長い道」)を思わせたりもする。

後半監禁された部屋の線がつながっていない黒電話が鳴って死者の声が聞こえてくるあたりから、死霊たちが姿を見せる(が、少年には見えない)ようになる画面の組み立てに高度な演出技術を見せ、脱出しようと悪戦苦闘してムダに終わったように見えることが終盤一気に伏線として立ち上がってくる構成も上手い。
妹が霊能を使って必死に兄を探す姿も応援したくなる。

殺人者をイーサン・ホークがやっているのだが、少年の父親役のジェレミー・デイヴィスがなんか似ているのだな。





「リコリス・ピザ」

2022年07月14日 | 映画
主人公二人の年齢設定が話が始まった時点で男が15歳で女が25歳というので、演じた俳優の実年齢を調べたらクーパー・ホフマン(故フィリップ・シーモア・ホフマンの息子)が2003年生まれ、アラナ・ハイムが1991年生まれとほぼ話が終わるあたりの年齢に合っていることになる。

日本映画で若い俳優が主演していると本当につるんつるんだけど、ここでは若くても多少ヨレた感じになる。だから日本のキラキラ映画とは違うようだけれど、実は結構近い。

アラナ・ハイムが横顔(を強調しているところが多い)だと鼻の形がいわゆるユダヤ人イメージの鉤鼻で、果せるかな厳格なユダヤ教家庭の出身。
バーブラ・ストライサンドの名前も出てくる。我の強い女性の先輩というイメージもあるのだろう。

面接するエージェントの婆さんがにこにこしていたかと思うといきなり凄みを効かせて迫力あり。ウソとホンネを思い切り切り替える、いかにもああいう商売にいそうなキャラクター。

ウォーターベッドを売る変な男がレオナルド・ディカプリオの父親だと。
ショーン・ペンやブラッドリー・クーパーといったスターがすごく変な役を嬉々としてやっている感じ。




「ザ・ロストシティ」

2022年07月13日 | 映画
「ロマンシングストーン 秘宝の谷」のリメイクではないかと思うくらい基本的なストーリーは一緒。

つまりロマンス小説家自身が自分が書いてきた作品の世界に行ってしまい宝探しの冒険に出るという設定。
大きく違うのは、ヒロインのロマンス?の相手が冒険の舞台で出会った男ではなく、街で単行本の表紙を飾っていたモデルという現実世界の男を腐れ縁を持ち込む形で同行せざるを得なくなるところ。

それを演じるのが肉体美で鳴るチャリング·テイタムなのだから、なんだかルックスが良すぎて笑ってしまう。それでいてルックスだけの空っぽ男ではないところがいいところで、人の良さや一生懸命さといったものが自然に伝わってくる。

サンドラ·ブロックの方がまったくの空想でロマンス小説を書いているのではなく、学術的な知識を持っているが、商業的な要請から一見してこれまたアホらしいピチピチの衣装で販促に従事しなくてはいけない。それも商売と割り切ろうにも忸怩たる思いは否定できない。
どちらも浮世の義理からは逃れられないのが、思わぬ冒険を通して小説のロマンチックな部分に触れることになる構図はきっちりしている。

主役ふたりのやりとりが字幕で見ているせいもあるだろうが呼吸がぴったりとはいかないず冗長に思えたのは残念。
ブラピの扱いがずいぶんと大胆。
人が本当に死ぬところが笑いで済まないのは難しいところ。





「X エックス」

2022年07月12日 | 映画
時代設定は1979年。カーラジオがSANYO(三洋電機)製というのが時代を感じさせる。
あからさまに「悪魔のいけにえ」調の舞台設定と展開なのだが、同作が製作されたのが1974年。近いけれど割とずらしている。
やはりトビー·フーパー監督のメジャー第一作「悪魔の沼」ばりのワニの使い方も見られる。

オープニングで黒人の保安官が地下室にあった何かを見せられて「なんだ、これは」と言うところで24時間前に遡って本筋に入るわけだが、その何かを見せる時点そのものの設定に意外性がある。
時制のいじり方とか公開当時はゲテモノ扱いされていた映画を再構成して再生するところなど、タランティーノ以後の映画ということになりそう。

前半に出てくる交通事故にあってぐちゃぐちゃになった牛の姿が後で人間で再現されるのが、のちに人間で再現される。単にスラッシャー描写というだけでなく、人間が生贄になっているニュアンスをおそらく出したかったのだろう。
たびたび出てくる白黒テレビ(!)でのテレビ牧師の説教をえんえんと流しているあたり、アメリカの草の根キリスト教原理主義の根深さを感じさせる。

老夫婦を演じているのは誰で実年齢はいくつなのかと思ったが、IMDbを見ても載っていない。かなり奇妙な話。

ハードコアポルノ「ディープスロート」が大ヒットしたのが1972年。
だからこの7年後にポルノで儲けようというのはズレてる気もする。
この劇中映画が暖色に傾いた色調といい3:4比のフレームといい当時のポルノ映画のテクスチャーを再現しているのには笑ってしまう。
これ自体はポルノではないので局部はそれほど見えないが。

若くて体力のある都会の連中がセックスに耽っているのに対する老人のやっかみといったモチーフがはっきりしていて、それがキリスト教原理主義の禁欲性と結び付き、そういうムリに対する反動が暴力として噴出する。
「悪魔のいけにえ」ではよそ者の目から見たフリークスとして描かれたホワイトトラッシュ側からの視点も入っている格好。

「悪魔のいけにえ」の時代の先端をいくヒッピーみたいな若者たちとド田舎で旧弊な生活に縛りつけられたまま老いていく人間との対立のようで、実は老人も若い黒人も同じように戦争に行っていたりするという共通点があり、メビウスの輪みたいに対立しているようでねじれてつながっているという構造。

ホラーの約束事を意識的になぞりながらその裏にはりついている構造にも批評的に触れている、かなり知能指数の高い映画。A24らしいというか。





「マーベラス」

2022年07月11日 | 映画
最近コンスタントに作られている女性主演のアクションもの。
マギー・Q扮する殺し屋が主役だが、ビリング(配役序列)からいくとマイケル·キートンがトップ。

ただこの本来ラスボスであるキートンの扱いがあまり上手くなく、年齢的にいってもアクションはスタントマンを使っているのがかなりはっきりわかるし、途中でかなり唐突にヒロインとベッドインしたりして、どうも座りが悪い。

マギー・Q(余貴美子に似てるなあと思って見てた)のアクションは見もの。

場面のつなぎでたびたび省略法を使っているのだが、テンポは一応よくなるのだが、あれどうやって逃げ出したのだろうと思わせたり、あまり手際がよくない。

ヒロインがなぜ殺し屋になったかという理由づけのシーンをフラッシュバックでラスト近くに持ってくるという構成も疑問。

エンドタイトルで美術(Production Design)がウルフ・クロ―ガ―と出るのにへえと思う。アルトマンの「ポパイ」やチミノの「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」の凄いセットを作った人。1941年生まれの大ベテラン。





「新宿乱れ街 いくまで待って」

2022年07月10日 | 映画
1977年公開。
ヒロインのヒモがシナリオライター志望というあたり、脚本の荒井晴彦自身の投影かと思わせるし、作家や俳優、監督など映画関係者がたむろする新宿ゴールデン街の店のシーンの狭っ苦しい中でグチをぐじぐじ言い合う雰囲気などはいかにもそれらしい(知ってるわけではないが)。
昔の貧乏文士と女の生活を70年代に四畳半的湿度で描き直したみたい。
それにしても、コロナ以降のゴールデン街ってどうなっているのだろう。生き残っている方が不思議みたいに思えるが。

シナリオをワープロではなく、ペラ(200字詰め原稿用紙)に鉛筆で書いているあたり、これまた時代が出ている。
70年安保はとっくに過ぎ去って新宿の空気も冷めてきたみたいな時期と推察される。

狭い中でときどきクレーンアップするみたいなカメラワークを見せたりして(ロープで引っ張り上げたのか?)、音楽も沢田研二ほかそれほど使用料は安くなさそうなのが何曲もかかる割と贅沢な作り。

新宿の今では残っていないような風景と、今でも残っている風景とが混ざって出てくる。
鏡を使って裸の体を二つに切ってつなげたみたいに見せるなど、画に工夫と力がある。監督曽根中生 。



「恋は光」

2022年07月08日 | 映画
神尾楓珠が幼馴染みの西野七瀬、本好きという共通点で親しくなる平祐奈、人の彼氏を横取りする癖のある馬場ふみかという三人三様の美女たちに好かれるのだが恋人関係にはなかなかならない男を演じる。

神尾の喋り方がどうかすると時代劇みたいになるくらい物々しくて浮世離れしているのが可笑しい。
平祐奈が本好きというところからして、やはり浮世離れしていて波長が合う。
平の住んでいる岡山のかなり奥まったあたりの風情がいい。

西尾が幼馴染みらしくタメ口で話し、同級生なのに「先生」と呼ぶあたりのなれなれしさとその反対のベクトルが混ざった距離感がいい。
フラットな構図でセリフのやりとりで見せる呼吸がなんともいえずおかしい。

馬場が酔ったところで神尾に目をつぶらせていきなりキスする(このエピソード、中島らものエッセイにあったが、あれが元なのかよくある手なのか)荒業の一方で突然かしこまったりするのも距離感の揺れ動きになっている。

どこまでどちらに転ぶのかなかなかわからず、終わってみると収まるところに収まった感じになる。

「光」なんてキラキラ映画みたいなパッケージだけれど、恋愛至上主義みたいな価値観とはずれていて、神尾が恋する女たちに見える光というのは男女に恋愛感情にとどまらないエロス(生命)そのものなのではないかと思ったりした。




「PLAN 75」

2022年07月07日 | 映画
是枝裕和総指揮によるオムニバス「十年 ten years japan」の五本の短編のうち一本を同じ早坂千絵監督が膨らませて長編にした一作。
元の短編も見ているはずなのだが、正直さっぱり覚えていなかった。

オムニバス版を見たときの感想はこれだが、今の日本が未来に希望が持てるような状態ではないのは当然として、五篇すべてディストピア的な内容なのには、正直辟易した。
なお「十年」プロジェクトには香港版、タイ版もあるのだが、香港版など十年の間に想像よりはるかに悪化しただろう。

誰かがツイッター上で、なんでオーウェルのエゴピーネンみたいなのばかりなのだ、何より人間の感情が描かれてないと批判していたが、かなり同調したくなる。

とはいえ、長編化した、というより倍賞千恵子を主演に迎えたことで、自ら安楽死を選ぶ老人の日常生活やある種の諦観、さらに逍遙として死を迎えられるのかと思うとその先があるといった感情の揺れは出てはいる。

約50年前の1973年公開の「ソイレント·グリーン」では人口爆発のため新しい食料の調達と共に安楽死が認められて、エドワード·G·ロビンソンがベートーヴェンの「田園」を聞き美しい自然の映像を見ながら安らかに死ぬのだが、ここではそういう作られた安楽もなく、ひたすらお役所仕事として役人の側から描いて、役人も人間で感情に流されるところがあるのが新味。

ただ、もともとすっきりした結論が出せるモチーフではないだけに、全体に淡白でありすぎ、なんともいえないモヤモヤは残る。





「レニ」

2022年07月06日 | 映画
レニ・リーフェンシュタールというおよそ一筋縄ではいかない相手に執拗に迫るインタビュアー(監督)との緊張感。

ナチ協力について、謝罪しろとおっしゃるのですか、謝罪して済むことではないでしょうとはぐらかす(つまり謝罪しないということ)あたり、腹立たしくあるが、タフな相手だとは思う。

女優時代の出演作が見られる。
のちにナチに対する批判的な立場に立ち「リリー・マルレーン」を歌って戦場の兵士たちを慰安したマレーネ・ディートリッヒが当時はジョセフ・フォン・スタンバーグのミューズないしマヌカンで監督の言うことは絶対だったのに対し、レニはアーノルド・ファンクに反発し対抗し続ける対照が面白い。

レニの最もナチ協力に関しては最も厳しい批判者であるスーザン・ソンタグもこの時期の男社会への反抗者としての面は評価している。

しかし、肝腎の「民族の祭典」「美の祭典」の映像が抜粋ということもあるのだろうが、意外と蠱惑的な映像の魅力という点でいうと、今の目で見ると作り物臭さがかなり目立ってさほどでもない、と私見では思える。
ナチの兵士たちのアップショットなど、あからさまに別撮りでスタジオで撮っているのがわかってしまう。そのあたり、見る側のスレてきているし、情報操作する側も巧妙に複雑になっているのだろう。

後年の写真展「ヌバ」でナチのドキュメンタリーと同じように「美しい」人間だけしか目に入っていないという批判を承知の上でバカげていると一蹴する。芸術家的なエゴには違いないが、褒める気にはならない。そこまで芸術至上主義には与せない。

現在公開中の「東京オリンピック2020」の河瀨直美も同様のエゴの持ち主ではあるのだろう。
前だったらそういう芸術や美の価値と主催者のプロパガンダと切り離したかもしれないが、それは今やムリだ。

なおナチの五輪映画はオリンピック憲章の精神からして直接政府が出資するわけにはいかず(あくまで主体は都市が主催するタテマエになっている)、レニの会社を通じて迂回融資をしたという。だから映画の権利はレニのものであり、戦後も収入を確保できた。したたかというか、ずる賢いというか。

今度の東京オリンピックはそういうタテマエすら無視して、決算を隠蔽するのに汲々としている。最低。

深海の魚の写真もまた美しい。さすがにここまでくるとナチと結びつけるのは難しい。それにしてもタフにも程がある。





「メタモルフォーゼの縁側」

2022年07月05日 | 映画
BLマンガ好き同士の老婦人宮本信子と女子高生芦田愛菜が歳の差を越えて友人関係になる。

日本映画も何だかんだ言いながら色んな人間関係を描くようになったもの。
マンガの何でも描ける長所を持ち込んでいる感じ。
人の縁は異なもの味なもので、どこかで誰が誰の力になっているのかもしれないと自然に思わせる。

宮本信子がラスト近くで撮るのがパスポート写真であること、ラストの電話の会話で時差があるらしいことから、どうやら海外に出たらしいのだが、なぜ曖昧にしたのかよくわからない。




「X-ミッション」

2022年07月04日 | 映画
キアヌ・リーヴスの初期の主演作にして出世作である「ハート・ブルー」のリメイク。

もとよりドラマがどうこうというのではなく、スカイダイビングやロッククライミング、サーフィンといった、生身の人間がなし得る極限のアクロバティックな体技を見せ場にしているという点では一緒で、たとえばCGなどはこの何十年かでとんでもなく進歩したわけだが、生身の人間の体技とその撮影技術の進歩も大変なもの。





「花ちりぬ」

2022年07月03日 | 映画
国立映画アーカイブで開催中の企画上映「東宝の90年 モダンと革新の映画史(1)」 での小特集の石田民三監督。解説書によると彼の代表作らしいが、なるほどそれらしい完成度。
1938年製作。

森本薫の戯曲から山本紫郎が脚色、全編お茶屋から一歩も出ず、登場人物はすべて女(珍しい)という、演劇的なリミットが明確な映画。
外に幕末の西軍が迫っているのもセリフと半鐘の音で暗示される。
そのためかえってお茶屋自体が多分に閉じた世界であることが端的に出た。

監督自身がお茶屋通いをしていた経験を生かしたというが、時あたかも舞妓の労働としての劣悪さがネットで告発されたタイミングでの鑑賞になった。

お茶屋のセット(美術 加東安英)が日本家屋の構造を生かして吹き抜けで奥行きを出し、人物配置と構図も見事、ときおり挟まれるパンやトラックアップが映画的センスを見せる。

ただ上映前のアナウンスにもあったようにプリントの状態のせいかセリフがいささか聞き取りにくく、英語字幕を読むところが多かった。
演出助手に市川崑の名前が見える。



「神は見返りを求める」

2022年07月02日 | 映画
吉田恵輔監督自身のオリジナル脚本。今どき、オリジナル脚本でコンスタントに撮れているということ自体珍しい。

およそ冴えないコールセンター勤務のOLがYouTubeを始めて、それをやはり冴えない映像制作会社の中年社員が手伝うが、他のユーチューバーに誘われて出演したらバズりだし、どんどん疎遠になっていく。

バズりだしたYouTubeというのも下らないというか多分に搾取的なもので、面白半分に盗撮してまわるカラス?の仮面をつけた奴を含めて下層内部のむしり合い、カニバケツ状態といった殺伐として感じがなんとも見ていてマゾ的な快感がするくらい。
ムロツヨシ、岸井ゆきの(ともに好演)はじめ、美男美女はおよそ出てこないのが生々しい。

画作りもきれいきれいでなく、かなりラフに見えるようにしている。
当然ながら、YouTubeそのものがよくできている。

ネット社会がどうこうといったレベルでなく、底辺を這いずり回っている人間同士で協力関係が簡単に踏み台になる側と乗る側の関係に転換する構図にまで到達している。

好き、嫌いといったシンプルな言葉が置かれる場所によってさまざまにニュアンスを変える。




2022年6月に読んだ本

2022年07月01日 | 
読んだ本の数:24
読んだページ数:6223
ナイス数:1

読了日:06月01日 著者:マイケル ギルモア




読了日:06月02日 著者:マイケル ギルモア




読了日:06月03日 著者:莫言




読了日:06月04日 著者:久住 昌之




読了日:06月04日 著者:久住 昌之




読了日:06月06日 著者:小梅 けいと




読了日:06月06日 著者:小梅 けいと




読了日:06月06日 著者:小梅 けいと




読了日:06月07日 著者:竹中 労




読了日:06月07日 著者:鈴木 智彦




読了日:06月09日 著者:斉加 尚代




読了日:06月09日 著者:今村夏子




読了日:06月16日 著者:布施祐仁




読了日:06月16日 著者:葛井 欣士郎,平沢 剛




読了日:06月16日 著者:さいとう・たかを


 
読了日:06月24日 著者:吉田 徹




読了日:06月25日 著者:



 
読了日:06月25日 著者:



 
読了日:06月25日 著者:



 
読了日:06月25日 著者:伊藤潤二




読了日:06月25日 著者:伊藤潤二




読了日:06月28日 著者:伊藤潤二




読了日:06月28日 著者:伊藤潤二




読了日:06月28日 著者:伊藤潤二