prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「この子は邪悪」

2022年09月15日 | 映画
大西流星がゴミ屋敷になっているアパートを観察して写真を撮っている謎めいた出だしは割りと好調。

その子が好意を寄せる女の子・南沙良の家は、両親と娘二人の四人家族が交通事故にあって、下の娘(妹)は顔に大やけどを負って仮面をつけている、という具合に初めは他者の目から一家の話に入っていく。

それが姉の視点に移って母親が本当に母親なのか疑いだしてくるあたりからやや視点が混乱してくる。
初めのうち意味がわからないうつろな目がぐるぐる回る不気味さの意味がわかってくるのは、しきりと背景から強い光がさしているのを強調した画作りと共にずいぶん考えたものだと思う一方で、理に落ちた感じでそんなに上手くいくものかなと思わせる。兎と人が××するっていうのは本気で考えていいのかどうか混乱する。

玉木宏の父親が坊さんの托鉢用みたいな鈴を鳴らす図というのも、怖いというよりちょっと滑稽さが立ってしまう。
野心的な一方で残念なところも多い一作。




「セイント·フランシス」

2022年09月14日 | 映画
これだけ女性の生理を ストレートに描いた映画は初めて見た。これまでの描写だと物々しかったり妙に象徴的だったりだったのだが、本当に日常的に面倒なものであるのがこまごまと描かれていて、それでいて露悪的な調子でもない。
 
34歳で大学中退で現在ウェイトレスをやっている女性が 同性カップルが育てている小さな女の子を 世話する ナニーの役を務めることになる。
この女の子との関係が必ずしも疑似親子関係というわけでもなく、女同士の同士感みたいなものなのが目も覚めるような感じがある。

同性のそれも人種の違うカップルもアタマで作った感じではなくていろいろと感情の行き違いや仕事の分担など当たり前に同居していればつきまとう面倒さを描き込んである。

女性の生理関連のことになると男が全く見事な位役に立たない、というかそれ以前にまるっきりわかってないことがわかる。
かといって男の役立たずぶりを今さらあげつらうのではなく、単にそのまんま描いている感じ。







「キングダム2 遥かなる大地へ」

2022年09月13日 | 映画
予告編でやたら怒鳴り芝居が目立ったのと、日本人が中国の話をやるのは今みたいに中国の存在感が大きくなっている時代に成立するのかといった危惧が色々あったけれど、実物見たらおおむね払拭されていた。

バブル期製作の「敦煌」みたいに人馬の大群が入り乱れる先例があるわけだが(中国が舞台ではないが「天と地と」もそう)、デジタル技術が発達して、たとえば戦車など実際に走れるのは二台しかなかったらしいのがすごくたくさんあるように見えたりして、それも含めて画面処理の演出もスケールアップしている。
今回はほぼ最初から最後まで戦闘シーンで通していて、まとまりがいい。

今の中国だったらこの何倍もの製作費をかけた大作作れるだろうけれど、こういう英雄たちが割拠して張り合う一種素朴にエキサイティングな図というのをできるのかどうか。

入場時に原作マンガのネーム(下書き)や撮影裏話を掲載した小冊子が配られているのがいい。
山崎賢人のアクションは必ずしも厳密に振りつけられたものではなく相当に即興的に暴れたのを周囲が受けているというのはキャラクターに合っている。
それだけ技術陣の底上げもあるのだろう。

清野菜名のアクションもキレがあって初めから戦うためだけに育てられた感じに見える。





「激突!殺人拳」

2022年09月12日 | 映画
1974年公開。千葉真一出演作としては「仁義なき戦い 広島死闘編」の翌年。
実録路線の時期とかぶっているせいもあってか、殴られた汐路章が折れた歯を吐き出したり残虐味が強い。
チンポを素手でむしり取るっていうのは梶原一騎の「カラテ地獄変」シリーズあたりの脅し文句としては出てきても、間接的にせよ本当に描いたのにはびっくり。
(千葉が主演した「ボディガード牙」がやはり1973年)

冒頭、志穂美悦子がミニスカートで出てきて千葉真一にぶちのめされるのにもびっくり。さらに麻薬漬けにされて売り飛ばされる、というのは当時の東映からすると展開そのものはありがちか知らないけれど、ガラじゃないなあという印象は拭えない。
というか、同じ1974年の次作にして主演作「女必殺拳」で人気が出て颯爽とした女拳士イメージが定着したわけで、その前というわけ。

日本映画専門チャンネルで関根勤の解説つきの放映。千葉真一の特にこの映画での顔真似で有名なわけだけれど、当人が言っている通り本家の方がパロディに見えるくらい顔芸が凄い。ブルース・リーの顔を超えようとしたのだと思う。





 

「地下室のヘンな穴」

2022年09月11日 | 映画
ある家の地下室の穴を降りて行くとなぜか12時間経っていて、代わりに3歳若返る。
若返るのと時間を浪費するのとが同時に進行するわけで、若さに執着することで同時に時間を浪費している寓意であることはかなりはっきりしている。

もう一組のカップルの話があって こちらは男の方が電子ペニス(って何だ?)の移植を受けるという負けず劣らず変な話。
ともに大雑把に言って若返り、回春にまつわる人間の愚かさについての話ということでは共通している 。
原題はIncroyable mais vrai、信じられないけどホントとでもいった意味らしい。

予告編に既に出てしまってるから言ってもいいと思うのだが、 手の傷から蟻が生え出してる所ってかなりあからさまにブニュエルとダリの「アンダルシアの犬」っぽい。

電子ペニスの移植手術を行うのがなぜか日本人。 話している日本語はさすがに昔の欧米映画の日本人のそれとは違ってまともだが、ヘンなとこに変わりはない。どういう風に見られているのかと思う。

74分という上映時間そのものはありがたいけれど、欲をいうと短編でもつけてほしいところ。





「Zola ゾラ」

2022年09月10日 | 映画
実際にあった Twitterを原作にしてるのが一つのウリなのだが、 Twitter でなければいけないような表現ってそれほど出ていない 。

エンドタイトルで film loaderフィルムローダー=フィルム装填係と言う 役職がクレジットされる フィルムで撮ってるのだろう。
A24作品は画面のテクスチャーに細かく神経を使う。





「異動辞令は音楽隊!」

2022年09月09日 | 映画
強面でならした刑事が強引なやりすぎ捜査と部下に怒鳴り散らすパワハラの内部告発で音楽隊に異動される、というストーリーからコメディかと思ったらかなり調子が違う。

つまり極端な男性原理でふるまってきて妻に逃げられ娘にも敬遠され母は認知症といったつらい状態なのにつらいと言えずにいる、いわゆる有害な男らしさに苦しめられている男が、音楽隊という本質的に争い合うのではなく協力しないと成り立たない世界で、特に子連れの女性交通課員との関わりで気づいて治癒していくのがテーマ。

その意味で内田英治監督の前作「ミッドナイトスワン」が男らしさから疎外されて苦しむ性同一性障害者を描いたのとはネガとポジみたいな関係にある。

ただコメディではないのはいいとして、笑えそうなところでもあまり笑えないのは娯楽映画としたらちょっと苦しい。
もっとも高齢女性を狙った詐欺を通り越した連続強盗事件とその捜査と解決のプロットの方はいささか雑過ぎ。

演奏されるのがごくポピュラーな曲ばかりなのは当然だけれど、音楽映画として盛り上げる工夫も欲しいところ。




「メイド・イン・U.S.A.」

2022年09月08日 | 映画
あえて表面的に見える原色の壁を背景にしてセリフというより引用されたコトバを朗読する、音楽は唐突に断ち切られて唐突に再開する。
コラージュされる映像と音。背景と人間。 アメリカ文化志向と左翼思想の混淆。早くからビデオ映像に向かったのも不思議はない。
どれくらいゴダールの真似が輩出したのかわからない(若いころの黒沢清を含む)が、少なくともエピゴーネンにとどまって大成したのはいない。

アンナ・カリーナがまことにコケティッシュ。当時 さぞゴダールは 首ったけだったのだったのだろうと推察される。

この頃のゴダール映画というのは おしゃれ映画の 典型みたいなとこがあったらしい。
東海林さだおの漫画でショージ君がお見合いした気取った女性が、どんな映画が好きかと言われて はやはりゴダールみたいなのと答えるくだりがあった。それだけちょっとスノッブな層には一般的な人気があったのだろう。
それを無視してほとんど商業映画を通り越して映画否定にまで接近してやはり映画に戻ってきた。

淀川長治はゴダールを泉鏡花に喩えたが、文体を持つ、言葉あるいは映像と音と共に世界が現出するような作家であることを貫いていて、90歳に至るも独立独歩で疾走しているのはご立派。

出てくるオープンリール式のテープレコーダーがAIWA製。






「ハウ」

2022年09月07日 | 映画
犬の映画というと予想されるのと、相当に違っていた。
田中圭の市役所職員が結婚するつもりで新居を用意していたら唐突に婚約破棄され、上役に場所に余裕があるだろうからと捨て犬の世話しないかというので、なぜか声帯を切られて吠えることができないでいる犬のハウと同居することになる。

それで世話しているうちに情が移ってきて可愛がるようになってきたら、ハウはボールを追っているうちに引っ越しのトラックの荷台に紛れてそのまま遠くに運ばれてしまう。
で、ハウはそこから色々な人のもとを点々としていくのがむしろ本筋なわけだが、その中にもともとハウが声帯を切られる原因を作ったDV夫の妻がいるというのは偶然すぎで、またラストの方でもやはり再び引っ越しのトラックに乗ったら田中圭の近くに戻ってしまうというのだから偶然が過ぎる、というよりもともとリアルな話ではないのだろう。
宣材でのストーリー解説だとハウが遠くの田中圭のもとを目指す、とあるけれど、映画見てるとそうは思えない。

DV夫は妻が身を寄せている修道院に乗り込んできて止めようとする修道女にまで暴力をふるい、さらにはカッターナイフを振り回して妻を拉致するのだから凶悪もいいところで見ていてぶち殺したくなるのだが、車で連れ去る途中で事故って炎に包まれかけるところを駆けつけたハウに助けられる。
このあたりハウがかなり神性を持った存在らしいとわかってくる。修道院でつけられた名前がフランチェスコというのは、もちろんアッシジのフランチェスコからとったものだろうし。
ちなみに行く先々でつけられる名前が全部違う。

とはいえ、かなり思ってたのと違う映画でした。パターンと違うのがいいのかどうなのか、なんだかキツネにつままれたみたい。




「凪の島」

2022年09月06日 | 映画
しかし、先日見た「サバカン」といい、海辺の田舎町を舞台にした映画が妙に続く。ただこちらは、主人公一家がもともと都会出身で医者一家だから田舎っぽさは薄い。

アルコール依存症の描き方はどうも手ぬるい。医者というのはかなりアルコール依存症になりやすい職業らしい(さらには手に入りやすいからドラッグも)が、そう簡単に断ち切れるものではないし、何度もスリップを繰り返すうちに周囲の信用を時間をかけてなくしていくことがしばしばの病気ですからね(病気であり、性格の弱さや不誠実といった問題ではないことを明言しているのは正しい)。

それも含めてこれだけ長閑に見える町でも精神的な悩みを抱えた人は当然いるのを織り込んでいる。
うるさいことを言うけれど、子供が海に飛び込んで周囲の大人が騒がないっていうのはどんなものか。





「NOPE ノープ」

2022年09月05日 | 映画
ずいぶんわからない映画で、いろいろ解釈してみないと意味が通じない、というか初めから解釈されるのを織り込んでいるみたいな作り。

史上最も古い映画、というか、実は一台のカメラで撮られたものではなく地面に何十台ものカメラを設置して、馬が地面に張ったワイヤを駆け抜けるのをシャッターにして撮った連続写真によって馬の走りの分解写真を撮った(連続映写すると動いて見える)実例が出てくる。
これをずっと後になって再現したのが「マトリックス」のバレット・タイムなのだが、ともかくこの時馬を走らせた騎手が黒人であることが触れられる。

つまりジョーダン·ピールがこれまでの作品でも扱ってきた、歴史上黒人の功績や占めるべき座を白人たちが奪ってきたのを知らしめる方法を映画とその周辺に応用したといえるだろう
馬の調教師という職業もカウボーイとつながる。

アメリカ開拓史でカウボーイというとひとつのシンボルだが、実際に活動していたのはごく限られた期間で、むしろ西部劇映画に描かれた白人カウボーイがアメリカの歴史のイメージを作ったといえる。

UFO?が竜巻を起こして人を吸い上げるあたりは「オズの魔法使い」っぽい。これもアメリカの原像みたいな映画。
他の雲が動く中でその一部の雲が動かない、その後ろに飛行物体があるというカムフラージュ、というモチーフもオズっぽい。オズの国の支配者はコケ脅しのカムフラージュで民衆を支配していた。
わざわざカンザスというオズの舞台の地名を出しているし、妹の名前がエメラルドだが、オズの国はエメラルド製だし。

もうひとつ「2001年宇宙の旅」の知恵を持つと共に暴力的になるサルのモチーフも見える。実際にチンパンジーが人を襲った事件をもとにしているらしいが。
説明を配した表現の映画で70ミリ、シネラマの68年当時としては最大の映画フォーマットを採用したのが、現在だとIMAXを全面採用したのと通じるわけだろう。

馬を不必要に脅かすのは無神経に視界に入る時で、カメラで撮るという行為の一種の暴力性のメタファーなのかもしれない。

かなりの程度、映画史を踏まえてわざとオマージュっぽく見えないように(あからさまにオマージュをささげるスピルバーグやコッポラとは違う)ひねくれて表現しているみたい。

空飛ぶアレはカイメンのような海中の生物のようでもある。
スカイダンサーの群れも海中の海藻とかに見立てている感じ。空から見れば砂漠みたいな地上も海中みたいに生命が溢れているように見えるはずということか?





「オカルトの森へようこそ THE MOVIE」

2022年09月04日 | 映画
この映画そのものの白石晃士監督をもじった黒石光司 監督というのが登場して(ちらっと鏡に映る姿が)女性助監督と一緒にオカルトネタのドキュメンタリーを撮りに行く、その取材ビデオ映像そのものが作品になっているという体裁、POVというスタイルそのものは今や珍しくない。

全編、未編集の長回しそのまんまの映像に見せかけてありえない出来事が本当に起こっているかのように思わせる。
手持ちカメラのぐらぐら揺れる映像の中で、奇怪な姿の宇宙からの?来訪者が飛んでくるあたり、画面が不安定な分CG合成は手間がかかったと思えるけれど、それを完璧にやってのけている。

あるいは作中大勢が撃たれたり切られたりして死ぬが、その傷口が長回しのワンカットの中で消えてなくなっていたりする。
ただカメラの前で起こっている出来事を記録しているだけに見せかけて実はそう見せるために凄い手間をかけているのであろうなあと思わせる。画面作りと演出の密度は高い。
映像にスレている、何なら自分でも当たり前にスマホで動画を撮って投稿したりする観客あっての作りとも言える。

それにしてもこういう長回しの連続の撮影って、どう段取りつけてスケジュールを組むのだろうと余計なこともあれこれ気になった。

女性助監督役の堀田真由がチャーミング。気が強くて監督つかまえて平気で最近ダメですねと言ったり、監督を支えるというより引きずりまわしているみたい。他の登場人物が全部イカれているので、比較的常識的なキャラがかえって目立つせいもある。

同じ白石晃士監督、堀田真由主演の短編の「訪問者」がつく。明らかに白石監督の旧作「オカルト」をもじった「オカルティズム」に感動したという男が訪問してきて、勝手に続編を書き下ろして、しかも100稿以上書き直している大長編の原稿の束を持ってくるというのがコワい。今どき400字詰め原稿用紙に手書き原稿というのがまたコワい。
次の本編にもろにつながっているので継ぎ目がわかりにくいのが、もともとの虚実皮膜に重なっている。




 

「グリーンバレット」

2022年09月03日 | 映画
「ベイビーわるきゅーれ」の阪元裕吾監督が再びと言うべきか女の子の殺し屋を描く。

ただし、完成された殺し屋ではなくて素人の女の子たちが森のなかで合宿して訓練を受けるのを、実際にミスマガジン2021に選ばれた新人アイドル6人を集めて訓練し、その試練と根性そのものを見世物にする、日本ではよくあるアイドルの売り方とだぶらせてある。
その分、格闘や銃の扱いなどのスキルはそれ自体で見世物としてはおよそ成立しておらず、タルいし、迫力もない。

殺し屋たちの日常を描いたモキュメンタリー「最強殺し屋伝説国岡 完全版」の続編でもあるという設定があるらしいのだが、正直一本の作品として見るのにいちいち予備知識入れないといけないのかと思わされるのも嬉しくない。

「グリーンバレット 最強殺し屋伝説国岡」というタイトルが出るタイミングがかなり外していて、初めでもラストでもなくクライマックスが中途半端に決まったところなので、その後がすごく長く感じる。





「シーフォーミー」

2022年09月02日 | 映画
視覚障がい者を主役にしたサスペンスものは古くは「暗くなるまで待って」「見えない恐怖」から最近の日韓中でそれぞれ作られた「見えない目撃者」までずいぶんあるけれど、当然ながら今風にアップデートしてある。

タイトルのシーフォーミーというのはスマホにインストールしてある、声で起動操作できる支援アプリで、繋がったヘルパー(別に面識がある必要はなく、その時偶然繋がった者が務める)がスマホのカメラを通して周囲の状況を知らせる。

主役のスカイラー・ダベンポートは 、実際に成長してから視力を失ったという。
健常者の見えないふり演技と違って、動作や表情や光に対する反応が(明るさ程度はわかる)健常者とさほど変わらない。
逆に健常者の俳優が演じる時は一種記号的に目が見えないことを表現しているのかもしれない。

大金持ちの家で留守中に猫の世話をするバイトをしている内に強盗団が押し入ってくるという話は定番だが、その強盗団のなかなか姿を見せないリーダーの正体と目的の設定が、なるほどありそうと思わせる。

普段はゲーマーをやっているヘルパーがシーフォーミーで繋がって遠隔で支援するあたりは「セルラー」「コネクテッド」の発展系。

ヒロインが失明したことでスキースポーツの道を絶たれたこと、そのせいか人に世話をやかれるのをいささかムキになって拒否すること、場合によっては悪いことにも手を染めるのも辞さないあたりは、一方的な弱者、保護されるべき対象として描くパターンから抜け出てきている。





2022年8月に読んだ本

2022年09月01日 | 
読んだ本の数:21
読んだページ数:5100
ナイス数:0

読了日:08月01日 著者:瀬川 裕司




読了日:08月02日 著者:浅見 定雄




読了日:08月10日 著者:大島 佑介




読了日:08月15日 著者:日辻 彩




読了日:08月15日 著者:日辻 彩




読了日:08月15日 著者:日辻 彩




読了日:08月15日 著者:日辻 彩




読了日:08月15日 著者:日辻 彩




読了日:08月16日 著者:藤原 辰史




読了日:08月17日 著者:堀田あきお&かよ




読了日:08月17日 著者:大野 裕之




読了日:08月23日 著者:




 
読了日:08月24日 著者:伊藤潤二




読了日:08月24日 著者:伊藤潤二




読了日:08月24日 著者:伊藤潤二




読了日:08月24日 著者:伊藤潤二




読了日:08月25日 著者:甲斐 国三郎




読了日:08月26日 著者:関川夏央 谷口ジロー




読了日:08月27日 著者:谷口 ジロー,川上 弘美




読了日:08月27日 著者:山里 絹子




読了日:08月27日 著者:近代食文化研究会