prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「四畳半タイムマシンブルース」

2022年10月15日 | 映画
森見登美彦のベストセラー小説「四畳半神話大系」と劇団ヨーロッパ企画の人気舞台「サマータイムマシン・ブルース」がコラボレーションした小説「四畳半タイムマシンブルース」をアニメ化したらしい。
らしい、というのは、前者は見ているけれど後者は映画化でしか見ていないから。まあ色々とコラボしていて、全部心得た上で見るのは大変。

ものすごく時代がかったクーラー(冷やすだけなのでエアコンではない)のコントローラー、飲みかけのコーラ、シャンプー、風呂の入りかた、開かないトイレのドアなどなんでもない日常的なディテールがタイムトラベルの原因と結果がこんがらがる中で全部きちんと位置付けられて回収されるのが舞台劇的で、アニメとしては派手なアクションよりキャラクターの演技と京都の古式とモダンな感じが混ざった絵柄と美術の魅力で見せる。

ディズニー+で六本のシリーズものとして配信されているのだが、見たのは劇場版。それから配信の初めの方を見返すと、あ、これが伏線になっていたのかとわかる。

タイム・パラドックスの矛盾の結果で一番壮大なのは、フレドリック·ブラウンのショートショートにある一個の分銅を存続させる代わりに宇宙全体が消えてしまう、というのがあるけれど、そこから出発して膨らませたような話。
宇宙が消滅するかどうかというこれ以上ない壮大な設定と四畳半アパートのドタバタとが同居している。
ヒロインの明石さんのつれない感じがいい。





「ザ・コントラクター」

2022年10月14日 | 映画
冒頭、クリス·パインの軍人が家族、特にまだ小さい息子を大事にしているが息子の方が妙に遠慮がちだったり、膝の古傷にサポーターをしたり注射したりするところが描かれる。
それから軍で人員整理が行われているところに呼び出され、注射していた薬物が基準が変わって使ってはいけないものになっていたのを理由に名誉除隊処分になり、名誉とつくからいいことあるのかと思うと退職金も年金もつかない。むしろ金を節約するために名誉とつけたみたい。

そういう退役軍人の苦しい生活が丁寧に描かれ、古傷はあるが現役時に優秀な戦闘能力を見せた者に民間の警備会社のスカウトの声が旧友を介して入ってくる。
この会社のトップがキーファー・サザーランド(作物を育てたりしてエコな暮らしをしている味付けがおもしろい)というところで身構えないといけないのだが、案の定、生物兵器を研究している施設を破壊するというミッションを果たしているうちに話があれよあれよという間に悪い方に向ってドンパチが始まる。

アクションシーンを引き立てるためにそこに至る部分を抑えるというわけではなく、アクション自体もかなり突発的に始まって人もあっけなく死ぬか動かなくなるという調子で、迫力や凄みはあるがあまり派手にショーアップはしていない。

むしろ居所のない兵士とそれをどう受け止めていいのかわからない息子の関係や、兵士同士で死ぬ者と生き残る者との絶対的な断絶と後ろめたさといった感情をしっかり描き込む方が眼目で、良くも悪くもかなり文学的なテイストが強い。
中途半端という見方も出るだろうが、気取った調子ではなく本気で描いている気合が伺われて嫌いではない。





「劇場」

2022年10月13日 | 映画
徹底的に生活力のないダメ男と異常に甘い女の組み合わせという点で、昔からの貧乏文士や貧乏芸人のパターンなのだが、それに女の方が俳優としての才能ははるかに上という「スター誕生」的なパターンが加わる。

パターンからすると古めかしい感じなのだが、松岡茉優が舞台に立つとやたら光り輝くのと普段の過剰に可愛いのにエキセントリックなところが混ざっていて、男視点の構造を破ってくるような感触がある。

コロナ禍で劇場公開できず配信になってしまったのが、内容が一番コロナで打撃を受けた小劇場演劇の世界を扱っているのと、「劇場」というタイトルとで二重に皮肉になってしまった。




「犬も食わねどチャーリーは笑う」

2022年10月12日 | 映画
出演者の顔も出さないポスターが斬新で、妻たちがダンナに抱いている憤懣を書き付ける「旦那デスノート」なるサイトの設定が面白そうと思えたのだけれど、ほとんど出落ちに近い扱いで調子が狂った。

つまりダンナ(香取慎吾)が自分のことを書かれていると気づかないところでかなり笑いをとれると思うのだが、割りとあっさりわかってしまう。
自分のことだとわかる、やっていることに自覚があるのだったらかなり症状軽いのではないかと思えたし実際そのあたりの無神経さの具体的な書き込みは薄い。
また他人のふりをしてレスをいれたり、知っていて妻の岸井ゆきのに探りを入れたりといったプロセスがあって当然だし、あれば笑いとれたと思うのだが、これまた淡白にもすっ飛ばしてしまう。

相手が読んでいるのを承知の上で日記を書く話というと谷崎潤一郎の「卍」なんてあったが、ああいう人間の生っぽい襞をイケズにひっぺがすといった趣向はおよそない。

代わりにあるのは香取と岸井の出会いからのなれそめとか、デスノートを出版しないかといった出版社の人間の働きかけとか、レジ袋の扱いとか、膨らませ方がどうもとっちらかっていて、いちいち伏線を回収している風なのもかえって散漫になっている。

余貴美子の香取の同僚のおばさんが出るたびに何かしら面白いことをするか見せ方が面白い。




「マイ・ブロークン・マリコ」

2022年10月11日 | 映画
すでに死んでしまった友人(の幻影)と旅するといったかなり映画表現とするとハードルが高い題材。
ストーリーが直線的に展開するといった性格はあまりなくて、「野いちご」式のロードムービーと内面の旅とを平行して展開する構造。

モチーフになっているのは、男社会の傲慢さ理不尽さとそれに怒らずに笑っているマリコに対するいら立ちで、クライマックスの二時間ドラマの解決場面みたいな岸壁でそれらの要素がひとつになるが、それまではちょっと緩い。

戻っていくのはブラック企業(上役が堂々とそう言う)の勤務には違いないのだが、その中で生きていくしぶとさは回復している。

永野芽郁が怒りを爆発させっぱなしみたいで、それがいわゆるヒステリックでなく厚みがある。





「百花」

2022年10月10日 | 映画
オープニングの長回しの中で原田美枝子が自分自身を見ているような幻覚が何度も交錯してくる。人格が分裂しているようでもあり、認知が混乱している主観の表現でもあるのだろう。
長回しの多い映画だけど、フィルム時代の撮影現場の失敗できない緊張感を記録する長回しではなく、素材をシームレスにつないで長くする(「トゥモロー・ワールド」以来の)デジタル時代の長いカットということになる。もう画面作りの発想の基本から変わってきている感じ。
ところどころ暗すぎはしないか、と思える画面があるのは気になった。配信で見るのはキツいのではないか。

1980年代の初めに「人間の約束」「花いちもんめ」「ふるさと」「痴呆症老人の世界」など当時の言葉でいる痴呆症、今の認知症を扱った映画が集中した時期があった。
当時の人口調査から将来高齢化社会が来るのはすでに予想がついていたし、実際到来した。
当然、認知症もひとごとではありえず、自身の出来事か少なくとも身近な問題ということになって、半ば認知症の人の主観に入り込むような描き方が出てきたという点で、先日のアンソニー・ホプキンス主演の「ファーザー」とも共通する。

オープニングから一本刺しの花が出てきて、母はもっぱら花は一本刺しでしか生けないというセリフもある。
その花と対応するように「半分だけの花火が見たいの」というセリフもあって、途中で母と息子が花火を見に行くところでは水面で花火が開き、上半分は空中、下半分は水に映った形で全体とすると円の形を保っていて、ラストシーンでは団地で下半分が切られて上半分しか見えない。
半円が合わさって円になる、というのがありがちなイメージの展開なのだが、それが逆になっている。
解釈とすると、認知症の人の認識もそれなりに別の認知の仕方として融合することはないが存続していく、という図になるだろう。





「スーパー30 アーナンド先生の教室」

2022年10月09日 | 映画
インドの理数系の学力がものすごく高いことは有名だけれど、その教育も金持ち階級に独占されている状態で予備校産業として金儲けに利用されている背景がある。
それに対抗してずば抜けた学力を持っていてケンブリッジ大学に入学を許されたが金がなくて断念せざるを得なかった男が貧しい子供たち30人を無償で教えてインド(というより世界)最高峰のインド工科大学に入学させるという実話もの。

郵便配達として働く父のこぐ自転車のチェーンのアップが繰り返し挿入されるのだが、それが息子を学ばせるための父の労働の過剰さの表現になって、あるドラマチックな瞬間に切れてしまう、それを修理してつなげることが父の遺志と学ぶ意思をつなげることの表現になっているといった小道具の使い方が上手い。

貧しい子供は英語は話せず、英語劇の途中で立ち往生しかけて嘲笑わられるのだが、決然と文字通り自分たちの言葉で歌い踊る、ラップのようなリズムと反骨精神をこめて盛り上がるシーンがインド映画らしい歌と踊りをアップデートして見もの。

インド映画とはいってもマサラ・ムービーのようなえんえんたる歌と踊りは割と少ないのだが、歌で物語を盛り上げて、かなりの長尺(2時間34分)になるのは一緒。途中で「休憩」と出るのだが、日本ではスキップして一気に通して上映する。そのせいか、かなり途中でおそらくトイレに立つ人がいた。

実話ネタとあって一応リアル志向みたいだけれど、あちこち濃ゆい、盛り過ぎだとツッコミを入れたくなるところはあちこちにある。
商売をジャマされた予備校経営者から殺し屋を送られたというのは実話というのは恐れ入るが。

主演のリティク・ローシャン が体形も顔も阿部寛に似ていなくもないので、「ドラゴン桜」がちょっとかぶって見えたりする。

作劇の都合とはいえ、名門大学に合格すること自体と学問的な業績をあげるのと社会的な貢献をあげるのとは近いけれど同じではないのは無視されているのは少しひっかかる。

ここでも賞の名前として19世紀インドの天才数学者シュリニヴァーサ・ラマヌジャンの名前が出てくるのだが、彼はケンブリッジに留学を認められて渡英したが戦争中で栄養不良がたたって早逝している。
「奇蹟がくれた数式」という映画にもなっている。





「ヘルドッグス」

2022年10月08日 | 映画
モダンなセンスでアップデートされたヤクザ映画。
そのセンスの部分は魅力的なディテールが多い。主演の岡田准一が兼任したアクションシーンの振り付け、MIYAVIはじめ男たちのスーツの着こなし、ヤクザ事務所の掛け軸に虎の絨緞に日本刀といったルーティンからおよそかけ離れた現代美術が並んでいるインテリア。

ただ全体像とすると、ストーリーテリングの部分で人物相関図を絵解きで説明するのにテンポを上げ過ぎて見ていて、え、え、という感じですり抜けてしまう。説明嫌いにしても必要な説明はしてもらわないと。原作読まないとというので今読んでいるところ。
後になってわかってくるところも多いのだけれど、わからないように伏せておいて明かしていくのと、本当にわからないのとは違う。

ピアノを習っていた頃、よく「指が転がっている」という表現で注意されていて、つまりテンポよく弾くつもりでやたらと指を速く動かすけれど速いだけでのっぺりしてリズムもテンポも出ていない状態のことなのだが、そこまでひどくないにしてもテンポアップしている割に映画の中に引き込むノリがどうも意外と良くないところが散見する。
だから全体像が立ち上がってくる感じが弱い。

原田眞人監督が監督デビューした頃の著書(当時は真人表記)「ハリウッド映画特急」にマイケル・リッチーの「アイランド」評でカットを細かく割り過ぎているのと、「時には滑稽なくらいの村川透の長回し(「遊戯」シリーズあたりのか)」とを足して二で割ると個人的には丁度いいのだが、まあ人に期待することもないか、とある。私見ではリッチーより細かいくらい。
最近、監督名がエンドタイトルで止まるのは珍しいけれど、これはそう。 

潜入捜査ものなわけだが、どこでバレるか、バレたらどうなるかといった、あるいは意外な人物が同類だった、といったメリハリが今一つ。

黒社会ものとは思えないくらい女性客多し。いい男がいっぱい出てくるからか。
しかし、「がきデカ」が出てくるとは思わなかったぞ。笑っていいのかどうか困った。





「LAMB ラム」

2022年10月07日 | 映画
ラム=子羊という連想から何かの捧げ物という意味もあるのか、姿形の、少なくともつぶらな瞳のかわいらしさのコントラストもあって不気味。

異形の赤ん坊?が日常に入り込んでくるのはちょっと「イレイザーヘッド」を思わせたりもして、あそこで描かれた父親になりたくないまま親になってしまった男の恐怖と妄想ではなく、実の子供に恵まれないが母親になっている女性のオブセッションを描いた感。

前半から人里離れた地のロケーションのリアリズムから、後半の本来あり得ないヴィジュアルにシームレスに移行する。
極度にセリフを切り詰めた文体、静寂が張り合っているような音の使い方といい、作りはアートフィルムなのだが、VFXの発達が前提にないと、土台のイメージそのものが発想できないだろう。
アートフィルムの技法(たとえば過去と現在の交錯といった)が一般のドラマに吸収されたように、主に見世物として発達したVFXがアートに吸収された感もある。

ちらっと見せるドラムセットとVHSに記録されているバンドのMTV映像でこの一家の過去と現在とのコントラストを見せる手際の良さ。

エンドタイトルに流れるのがヘンデルの「サラバンド」というのが不思議な選曲。「バリー・リンドン」とはどう見ても直接の関係はない。





「ミーティング・ザ・ビートルズ・イン・インド」

2022年10月06日 | 映画
1968年、当時23歳のテレビ制作会社社員だった青年が、表面的にはキャリア順調でも父との関係に発する悩みを抱えていて、いったん人生を考え直すべくそれまでとはまるで縁もゆかりもなかったインドのマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーのアシュラム(僧院)を訪れたところ、ちょうど「ホワイトアルバム」製作前、瞑想や東洋思想に傾倒していたジョージ・ハリスンが言い出してやはりインドに渡ったビートルズのメンバーとばったり会って8日間を共に過ごすことになる。

で、早く言うとそれがきっかけで人生を見直すことができて、今も無事に生きているという話。
スターらしさ、成功者らしさといったものはまったく見せなかったという。対照的に語られるのがディズニーの関係者が我々はどこまでいってもディズニーだが、君は違うのだねと語ったというエピソードが入る。
正直ほとんど綺麗ごとしか出てこないではないかと思うが、ごく短期間ですからね。また、影響は期間の長短によるわけではないのはわかる。

皮肉にも、というか、最もまとまってビートルズの曲作りの過程が記録されているのはDisney+の「ザ・ビートルズ Get Back」なんだよな。

リンゴが当時はかなり珍しかったろう8ミリカメラを持っていて、その扱い方を教わってリンゴの方を被写体にして撮ったという映像が出てくる。
その他、ビートルズのスナップが多数入ってきて、どれも撮られる側も撮る側も素直な感じ。

デヴィッド・リンチがインタビューに登場するのが凄い違和感だったのだが、この映画そのものの製作総指揮者に一人でもあるのだね。
瞑想について語るわけだけれど、作風とどう結びつくのか。

あいにくというか、当然ながらというか、ビートルズの曲そのものはかからない。一曲の権利金だけでドキュメンタリー一本の製作費の何倍もかかりかねないから仕方ないのだが。
当然脳内再生しながらかぶせて見ることになる。ラヴィ・シャンカールによるシタール音楽がどう世界に広がったかでも一本映画ができてしまうだろう。

ナレーションがモーガン・フリーマン。この映画そのものの製作は2020年だから、彼が2018年に#Me Too運動でセクハラを告発されて謝罪した後の仕事ということになる。IMDbで見ても、別に仕事減ってないのね。

インドの国際的な地位も、東洋思想のイメージもずいぶん変わったから、今見ると如何せんのどか過ぎる感じは否めない。

今でも彼らが泊まったコテージみたいな森の中の平屋建ての建物は残っているが、ごくしょぼい作り。
ただ、同時期に記念写真に写っているビートルズ以外の西洋人の参加者はどこに泊まっていたのだろう。





「あの夏のルカ」

2022年10月05日 | 映画
今回のキャラクターは水の中に棲むシーモンスター(と、人間は呼ぶ)で、水の中にいるか濡れるとエラや尾びれのあるモンスターの姿になって、陸に上がって乾くと人間の姿になるという、ロン・ハワード監督「スプラッシュ」にあったアイデアの発展形になる。
水から出たり入ったりするたびに変身するのはアニメならではの表現で、これがスピーディでめぐるましい。

舞台がイタリアで人間のキャラクターがイタリア風の名前なのは当然なのだが、モンスターたちの名前もそう。
色彩も極端に勾配のきつい地形と自転車レースのとりあわせという工夫もイタリア色が強い。監督のエンリコ・カサローザEnrico Casarosaもイタリアのジェノヴァ出身だそう。
まあ、ますます世界の才能がごっちゃになってます。





「ビッグ・ガン」

2022年10月04日 | 映画
アラン・ドロンの銃の扱いの上手さには定評があるけれど、シーンによって右手で撃っていたり左手で撃っていたりするので、どういうことだろうと思ってググってみたらこういうサイトが見つかった。
どちらでも扱えるよう訓練されているということらしい。
なかなかこういう人はいないし、今だと銃の扱いが変わっているからなおさらありえないらしい。

ドロンは実際に銃を撃つところ以上に無言の佇まいといったものがモノを言うのだけれど、ここではやや派手めにカーアクションなども入っている。とはいっても、今の目で見るとおとなしいもの。ただショーアップされ過ぎていない分、かえって生々しかったりする。

フランス·イタリア合作で、背景が結構イタリア色が強いのとドロンのいかにもフランスという感触との取り合わせが面白い。




「LOVE LIFE」

2022年10月03日 | 映画
家族関係であったり肉体的ハンデであったり人種的な問題であったり、かなり特殊な設定だと思うのだが、本来特殊だと感じてはいけないらしいのと、実際にそうだったら生じるであろう軋轢を飛ばしている感じがするのは気になった。
本物のろうの俳優を使っていて、今後こういう風になっていくのかなと思った。

団地の各棟ごとに順々に灯りがついていくショットがなんともいえず抒情的。

生活保護であれくらいの広さの部屋に住めるのか、とか、韓国行きの船がすごく近くから出ているのだけれど、どこの話なのだろうと思った。そういう設定の説明とばしているのね。

正直、説明を省く緊張感と説明不足がごっちゃになっている感じはある。





「私ときどきレッサーパンダ」

2022年10月02日 | 映画
劇場公開予定に入っていて予告編も見ていたのに配信オンリーになってしまった一編。

パンダといってもジャイアントパンダではなくレッサーパンダというのがいい
いかにも姿かたちが可愛いでしょというのではなくて、動作が可愛い。
思春期の親や周囲に対する反発や性的な変容のメタファーでもあるわけだけれど、とにかく自分ではコントロールできずにあたふたドタバタするのが可笑しいのと実感にもつながる。
同時に先祖代々の伝統が現れた姿でもあるらしいのが色々と考えている。

原題はTurning Redで、直接には感情が昂ぶるといった意味と、レッサーパンダの色にひっかけているのだろうし、中国の伝統的な色でもあるのだろう。
アカくなるというのは大胆なタイトルとも思えるけれど、内容的に関係はない。

主人公や友だちたちや、追っかけるグループとかの人種的設定がいかにも多様性って感じだけれど、これが当たり前になっていくのだろう。

母親の方の子離れの話にもしてあるのが周到。
中国系の母親はタイガーマザーなんて呼ばれるくらい強力で干渉的だと言われるのを、それ自体不自然な抑圧の現れなのを取り込んだわけね。





2022年9月に読んだ本

2022年10月01日 | 
読んだ本の数:25
読んだページ数:5192
ナイス数:0

読了日:09月01日 著者:ナボコフ




読了日:09月02日 著者:蓮實 重彦




読了日:09月07日 著者:



読了日:09月07日 著者:谷口 ジロー,関川 夏央




読了日:09月07日 著者:谷口 ジロー




読了日:09月07日 著者:谷口 ジロー




読了日:09月07日 著者:谷口 ジロー




読了日:09月10日 著者:関川 夏央




読了日:09月10日 著者:エドワード・ブルック=ヒッチング




読了日:09月13日 著者:矢作 俊彦,谷口 ジロー




読了日:09月15日 著者:さーたり




読了日:09月15日 著者:さーたり




読了日:09月15日 著者:平井 美帆




読了日:09月16日 著者:西村 賢太




読了日:09月17日 著者:三崎 律日




読了日:09月18日 著者:木丸みさき




読了日:09月19日 著者:下駄華緒 蓮古田二郎



読了日:09月19日 著者:木村琴々




読了日:09月19日 著者:畑ヶ中 あいこ




読了日:09月20日 著者:朱 天文




読了日:09月21日 著者:カルロ・ロヴェッリ




読了日:09月25日 著者:山科 けいすけ




読了日:09月25日 著者:山科 けいすけ




読了日:09月29日 著者:中原昌也




読了日:09月30日 著者:サミュエル・フラー