2016年のオリンピックの開催地がブラジルのリオデジャネイロに決まったことをマスコミが大々的に報じている。東京が落選したことを残念がる報道も多いが、私には、なぜ我が国でオリンピックを開催したがるのかが理解できない。
以前このブログの過去記事「八ツ場ダム中止問題に思う」にも書いたように、今は公共事業で「箱物」を整備する金があるのなら、他にいくらでもやることがあるからだ。
それに、池田信夫氏がブログ記事「オリンピックという幻想」で触れているように、オリンピックは商業主義が跋扈し、クーベルタン男爵の理想など二の次になっているのではないだろうか。既に参加する意義があるのかどうかも分からないのに、開催する意義など更に分からない。
地元紙である中国新聞に、「委員とのきずな不足」として、興味深い記事が掲載されていた。「各国ともIOC委員の子どもが海外留学した際に支援したり、委員自身が困った時に金銭面を含めて援助したりして「きずな」を深める」という普段からの裏の部分での「食い込み」が日本には欠けていたそうである。
しかし、ちょっと待て。これは俗に日本では「袖の下」と呼ばれて、あまり勧められるようなことではないはずだ。少なくともサムライがやることではない。
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○関連ブログ記事
・404 Blog Not Found
・地方の中規模印刷会社で苦悩するWebデザイナー改めWebディレクターの日記
・ある日ぼくがいた場所
・閑話ノート
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それに、池田信夫氏がブログ記事「オリンピックという幻想」で触れているように、オリンピックは商業主義が跋扈し、クーベルタン男爵の理想など二の次になっているのではないだろうか。既に参加する意義があるのかどうかも分からないのに、開催する意義など更に分からない。
地元紙である中国新聞に、「委員とのきずな不足」として、興味深い記事が掲載されていた。「各国ともIOC委員の子どもが海外留学した際に支援したり、委員自身が困った時に金銭面を含めて援助したりして「きずな」を深める」という普段からの裏の部分での「食い込み」が日本には欠けていたそうである。
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