鉄オタと呼ばれる人にも色々な種類があるようだが、本書の著者である宮脇俊三さんは、鉄オタの分類でいけば、「乗りテツ」に分類されるだろう。なにしろ、鉄道に乗ることを趣味にしており、日本中の鉄道、いや場合によっては日本を飛び出しているし、ローカルバスに乗った旅紀行もある。中央公論社の常務取締役を務めながらも、紀行作家として、多くの作品を残している。
本書は、25もの終着駅、すなわちどん詰まりの駅を訪れたときの紀行文である。
初版を見れば昭和61年だ。国鉄がJRになったのが昭和62年だから、まだ国鉄時代の記録ということになる。それから何十年も経ち、宮脇さんも悪なり、国鉄はご存じの通りJRになって、民営分割された。本書に乗っている線路も廃線になったところが結構ある。また本書には載っていないものの、初版発行時にはまだ残っており、その後廃止されたどんつまりの駅のある線路もある。他の地方のことはよく知らないが、中国地方で言えば倉吉線(鳥取県)、可部線の可部駅~三段峡駅区間(その後可部線~あき亀山駅間が復活)、美祢線 鉄オタと呼ばれる人にも色々な種類があるようだが、本書の著者である宮脇俊三さんは、鉄オタの分類でいけば、「乗りテツ」に分類されるだろう。なにしろ、鉄道に乗ることを趣味にしており、日本中の鉄道、いや場合によっては日本を飛び出しているし、ローカルバスに乗った旅紀行もある。中央公論社の常務取締役を務めながらも、紀行作家として、多くの作品を残している。
本書は、25もの終着駅、すなわちどん詰まりの駅を訪れたときの紀行文である。
初版を見れば昭和61年だ。国鉄がJRになったのが昭和62年だから、まだ国鉄時代の記録ということになる。それから何十年も経ち、宮脇さんも悪なり、国鉄はご存じの通りJRになって、民営分割された。本書に乗っている線路も廃線になったところが結構ある。また本書には載っていないものの、初版発行時にはまだ残っており、その後廃止されたどんつまりの駅もある線路もある。他の地方のことはよく知らないが、中国地方で言えば倉吉線(鳥取県)、可部線の可部駅~三段峡駅区間(その後可部線~あき亀山駅間が復活)、美祢線大嶺支線などである。
最近は地方では、少子高齢化がますます進み、どんどん人口が減っている。それに伴い、鉄道がどんどん廃線になっていく。やがては、そこに線路や駅があったことも忘れられてしまうのだろう。などである。
最近は地方では、少子高齢化がますます進み、どんどん人口が減っている。それに伴い、鉄道がどんどん廃線になっていく。やがては、そこに線路や駅があったことも忘れられてしまうのだろう。
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