文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
執筆依頼、献本等歓迎。

書評:乱読のセレンディピティ

2016-05-15 10:00:31 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
乱読のセレンディピティ (扶桑社BOOKS)
クリエーター情報なし
扶桑社

・外山滋比古

 本書は、年齢とともにますます知力が充実してくる観のある外山滋比古氏の語る読書術だ。タイトル中の「セレンディピティ」とは思いがけないことを発見する能力のこと。セレンディプ(セイロン:現在のスリランカ)の3人の王子の逸話にちなむものである。

 次々に出てくる外山節がなんとも楽しい。曰く、本は自分で選んで買うことに意義がある。曰く、本は乱読こそがおもしろい。曰く、自分で価値判断のできる知的自由人が、読者として求められている。等々。

 特に気に入ったのは、読書百遍は神話だとの主張。自分の意味を持ち込んでわかったような錯覚を抱くだけというのだ。しかし外山氏は、そういったわからないところを自分の理解、自分の意味で補充することが面白いのだという。

 また、外山氏によれば、本を読めば読むほど優秀な人間になるというのは勘違いだそうだ。沢山の本を読めば、博学多識にはなるかもしれないが、その反面頭が働かなくなるといのがその理由である。氏によれは、知的メタボリック・シンドロームにならないためには忘却が重用だそうだ。

 私も昔から覚えることは苦手である。理系に進んだのも、基本的なことさえ知っていれは、必要なことは、そこから論理的に導きだされる場合が多いからだ。本を読むのは好きだが、メモでも取らないと、読む端から忘れていく。だから知識を溜め込もうと思って読むのではなく、考える訓練のつもりで読んでいる。だから氏の主張には思わず頷いてしまう。

 また氏が他の著書でも書いている、アルファ読み、ベータ読みの話も出てくる。乱読ができるのは、ベータ読みができる人ということらしい。ジャンルを問わず読んでいる私の読み方も、氏のいうベータ読みに近いようだ。専門の本をいくら読んでも知識が増えるだけである。氏が主張するように、乱読こそ発見のチャンスに繋がるのかもしれない。

 著者が他の本に書いていたことや、本書の中でも似たような話が繰り返されているところも見られるて少し冗長な感じはするものの、著者の若い頃の話や、散歩や朝型生活の効用といったことなども紹介され、述べられていることはなかなか興味深い。最後にいくつか気になった言葉を引用してみよう。

「一人前の年齢に達したら、ただ本に追従するのを恥じる必要がある」(p58)

「文学読書をありがたがりすぎるのは、いくらか遅れた読者である」(p74)

どうだろう。どきりとした人も結構多いのではないだろうか。

☆☆☆☆

※本記事は、書評専門の拙ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。


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書評:流されて八丈島 ~マンガ家、島にゆく~

2016-05-13 14:41:32 | 書評:その他
流されて八丈島~マンガ家、島にゆく~ (ぶんか社コミックス)
クリエーター情報なし
ぶんか社

・たかまつやよい

 東京から300キロ近く、八丈島といえば、江戸時代は島流しの地であったが、作者は別に何か悪いことをして島流しの刑にされたのではない。10万円で暮らせる町と聞いて部屋探しに島に行ったら、すっかり気に入ってしまい1日で移住を決めてしまったという。

 本書は、そんな作者の八丈島の生活ぶりをユーモラスに描いた4コママンガ集である。ただし、作者名のたかまつやよいというのは、「たかまつ」と「やよい」の二人組のことで、島に移住したのはやよいさんだけだ。

 自然が一杯、人情も一杯、でも台風は脅威のようだ。なにしろエアコンの室外機が吹っ飛んでしまうくらいの威力なのである。でも島の人たちはすっかり慣れてしまっているので、そのくらいで慌てることはないらしい。

 小学校の運動会が、一大イベントで、スーパーや書店が休業したり、しょっちゅう宴会を開いて、島民だけでなく観光客にもご馳走してくれる親方がいたりと、八丈島の暮らしは驚きの連続。それが、とても楽しそうに描かれているのだ。

 八丈島の面白さが、これでもかというくらい伝わってきて、笑いながら八丈島を堪能できる一冊だろう。

☆☆☆☆

※本記事は、書評専門の拙ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。

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書評:熊野古道殺人事件

2016-05-11 09:45:44 | 書評:小説(ミステリー・ホラー)
・熊野古道殺人事件
・内田康夫
・中公文庫

 熊野は、古来より信仰の対象であり、その中心となるのが、熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社の熊野三山である。2004年には、「紀伊山地の霊場と参詣道」として、ユネスコの世界遺産に登録された。宇多上皇をはじめとする歴代の上皇や法王が行幸し、街道は栄えたという。本書はこの熊野路を舞台にした旅情ミステリー「浅見光彦シリーズ」の一冊である。

 軽井沢の先生こと内田センセの許を,学生時代の友人でT大教授の松岡が訪ねてくる。丘野という助手と学生たちが、補陀落渡海を再現しようとしているので、心配だからいっしょに行って欲しいというのだ。そこで内田センセがアッシー君(古いか?)として目を付けたのが光彦というわけである。

 というわけで、光彦は愛車ソアラの助手席に、ヒロインの代わりに内田センセを乗せて、熊野古道を辿ることになるのだが、南紀山中で殺人事件に遭遇してしまう。殺されたのは、なんと補陀落渡海を再現しようとしている丘野の妻。ところが、丘野は妻の死を知っても、補陀落渡海を強行しようとする。

 この作品は、宗教と言うものの欺瞞性というものが一つのモチーフになっているように思える。巻末の自作解説を読むと、この作品が書かれたのは、どうも例のカルト教団が起こした事件が話題になっていた時期らしい。そのためか、補陀落渡海を計画している学生たちは、どこか狂信的で胡散臭く見える。宗教を学問として研究するのならいい。心の拠り所にするのもありだ。しかし、宗教に取り込まれてしまってはいけないということだろう。

 最後に明らかになった事件の真相は、まるで道成寺の清姫を彷彿させるようなものだった。それは怖くて悲しい女の情念。この作品はそんな女の怖さをよく描いているのだが、それだけではない。ストーリーの中には、熊野に関する様々な解説が織り込まれており、居ながらにして、その地を旅しているかのような気分を味わうことができるという優れものでもあるのだ。

 ところで光彦は、今回散々な目に遭っている。犯人扱いされるのはいつものことだが、内田センセに、命より大事なソアラをお釈迦にされてしまうのだ。やっとローンを払い終えたばかりなのに。

☆☆☆☆

※本記事は書評専門の拙ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。

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書評:決算書の9割は嘘である

2016-05-09 11:29:17 | 書評:ビジネス
決算書の9割は嘘である (幻冬舎新書)
クリエーター情報なし
幻冬舎

・大村大次郎

 著者は、国税局に10年勤務した元国税調査官のフリーライターということだ。本書は、著者の国税調査官時代の経験から生まれたものである。

 「国税調査課の調査事績」によれば、2008年度の調査で、86.5%の大企業で、決算書が間違っていたという。この数字は、追徴課税できるような過小申告が主だという。利益を水増ししている粉飾決算の場合は、税金を払い戻ししないといけなくなるために、調査官は黙認する傾向があるというから驚く。これって、広く国民に奉仕する立場である公務員の姿勢としてどうなんだろうと思うのだが。

 ところで、決算書は、嘘があるという前提で読まなければならないというのが本書の主張だ。そのうえで、嘘に惑わされることなく重要な情報を読み取る必要があるというのである。

 どうして決算書で嘘がつけるのか。実は決算書にはかなりの恣意性が入るということは、企業経営に詳しい方ならご存知だろう。合法的な範囲でもある程度は数字の調整ができるのである。

 そのうえ、本書で述べているように、決算書には、嘘をつきやすい勘定科目がけっこうある。決算書に騙されないためには、どんな勘定科目が嘘をつきやすいかを知り、数年分の流れをみることが必要だと著者は主張する。

 本書では、粉飾決算や脱税の手口について、それぞれ1章を割いて解説してある。これらを参考にすれば、決算書の嘘は見破りやすくなるだろう。

 また、危ない会社の見分け方も記載されているので、株式投資などを考える際には参考になる。勿論、最後は自分の頭で考え、自己責任で行うということは、言うまでもないことだが。

 最後に、冒頭の86.5%という数字に戻るが、これだけ間違いが多いとなると、この数字が果たして企業側だけのせいだろうかという疑問が湧く。税務制度はころころと猫の目のように変わる。必要もないのにやたらと制度を変えて、仕事をしているアピールをする「困ったちゃん」が一般企業にはよく見られる。税務側にもそんな人物がいるのではないかと、つい勘ぐってしまうのだが。

 加えて、現在の制度はルール自体が複雑だ。ルールというものは、誰がみても分かるようにシンプルであることが望ましい。税制度にはあいまいさがあるので、課税された中には、いわゆる「見解の相違」ということも多いのだろうと思う。税務署側の担当者も、人によって言うことが違うという話を聞いたことがある。すべてが企業側の責任とも思えない。

 日本人は、「泣く子と地頭には勝てない」という考え方をする民族だ。争うよりは、お手柄を持たせて帰らせようといった事例も多いのではないか。見解の相違などがでるようでは、ルール自体があまり良くないということなのだろう。

 本書を精読すれば、決算書に騙されることは少なくなりそうだ。しかし税務制度自体にも課題が多そうである。そんなことを考えながら、本書を読み終わった。

☆☆☆☆

※本記事は、書評専門の拙ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。

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内藤ルネ展他

2016-05-08 19:18:56 | その他
 今日が最終日だったので、広島三越まで「内藤ルネ展」を観に行ってきた。内藤ルネは、昔「ジュニアそれいゆ」などの少女雑誌にかわいい少女のイラストを描いていた人で、「カワイイ」のルーツと呼ばれている人だ。なぜか「薔薇族」のイラストも多く手掛けている。いったい彼(内藤ルネは男性です)の頭の中で、可愛いらしい少女と、アッチ系の兄貴とがどう共存しているのか聞いてみたい気がするが、残念なことに2007年に亡くなられている。

 この後、久しぶりに、三越の隣にある、元「天満屋」、今「ヤマダ電器」の入っているビルに寄った。別に電気製品を見に行ったのではなく、このビルに丸善が入っているからだ。広島にも、理工系の専門書を置いてある店がいくつかあるが、ここもその一つだ。久しぶりに専門書を2冊ばかり買う

 そのあと、放送大学広島学習センターまで行き、学生証の新しいのをもらってきた。3月で前の学生証の期限切れになっていたのだが、やっと新しい学生証に変わって一安心である。

 

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書評:新企画 渾身の企画と発想の手の内すべて見せます

2016-05-07 08:59:14 | 書評:ビジネス
新企画 渾身の企画と発想の手の内すべて見せます
クリエーター情報なし
幻冬舎

・鈴木おさむ

 本書は、著者が考えたテレビやネットの番組やアプリに関する22の企画について解説し、どのようにその企画を考えついたか、企画の考え方や作り方などを示したものである。

 著者は、「はじめに」で「ここで僕が解説している企画の考え方やその精神論は、テレビの世界でなくても多くの人の仕事の仕方、考え方のヒントになるかもしれないと思いました」(p6)と書いている。確かに考え方などは、他業界でもある程度の参考にはなるだろう。

 しかし、帯に「どの業界でもすぐに応用できる驚異の企画術!」と書かれているのは、さすがに書きすぎだろうと思う。(もっともこの部分は著者ではなく、出版社側がつけたのだと思うが)
 
 もちろん、これは「応用」という言葉をどういった意味合いで使うかということにも関わってくるのだが、一例を挙げると、自分に興味を持ってもらうために話の種にとSMクラブにいったことが書かれている。(p44)これを応用できる業界というのは、いったいどの位あるのだろう。

 個別の企画についても、うーんと思ってしまうものがある。例えば、「新企画6 自治体危機シミュレーション」だ。企画の中では、災害の発生確率だけを考えているようだが、災害の場合は、被害の規模もあわせていう必要があるだろう。いくつか災害の例が挙げてあるのだが、これもいつまでの期間を見て言っているのか分からないし、実際の数字自体もずっと小さいと思われるものが多い。また、科学的には、他のリスクと比べてどうかという観点も必要だろう。どうもこのあたりは、メディア系の人間の考え方が透けて見えるような気がするがどうなんだろう。著者は、「危険をあおることと、危険の可能性を提示することは違う」(p67)と書いているが、この企画では危険をあおるだけの結果になりかねない。

 やはり、この本の内容は、主に放送関係の企画に関してのことだろう。他業種に応用するには、相当の応用力が必要だと思う。

☆☆☆

※本記事は、書評専門の拙ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。

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書評:浜村渚の計算ノート 5さつめ 鳴くよウグイス、平面上

2016-05-05 09:02:12 | 書評:小説(ミステリー・ホラー)
浜村渚の計算ノート 5さつめ 鳴くよウグイス、平面上 (講談社文庫)
クリエーター情報なし
講談社

・青柳碧人

 本書は数学を初めとした理数科科目が弾圧される世界を描いた数学ミステリーシリーズの一冊だ。この世界では、数学が学校から放逐されていた。これに反対する数学大好き人間たちが作ったテロ組織、「黒い三角定規」がテロ活動を繰り広げているというなんとも面白い設定である。

 これに対抗するために警視庁がかつぎだしたのが、千葉市立麻砂第二中学校2年の浜村渚。数学の天才的な才能を持つ美少女の卵だ。この物語では、渚が相棒役で語り手の警視庁刑事・武藤龍之介やその仲間たちといっしょに、「黒い三角定規」の計画するテロ活動を阻止するために大活躍する。

 「黒い三角定規」を率いるドクターピタゴラスこと高木源一郎が病死し、後継者として選ばれたのが、武藤の知り合いである森本洋一郎。しかし組織内部ではかなりごたごたがあるようだ。渚たちと「黒い三角定規」との闘いはいったいどうなっていくのか。

 この作品は数学をモチーフにしているため、犯行にも数学が絡んでいるのが特徴だ。コミカルな文体で書かれているのだが、コメディ一色というわけではない。ミステリーとしての性格をもち、テロ組織を相手にしているのだから、当然殺人事件も起きている。ただし結構ヘンな事件が多い。

 また、出てくる敵は数学者をもじったような名前を名乗る変なやつばかり。例えばこの巻では、メランコリア星人デューラー、ぽっぽ・ザ・ディレクトリ、キューティー・オイラー、アドミラル・ガウスといった具合だ。中には名前の通り、変人としか思えない奴もいる

 彼らの犯罪に対抗できるのは、渚の数学の才能と数学への愛。今回出てくる数学に関するものは、魔方陣、鳩の巣原理、パップス・ギュルダンの定理、円錐曲線、判別式等。ストーリーを楽しみながら、数学に親しむことができるというのは、この作品の大きな魅力だろう。

 ところで昨今は、昔に比べて高校での理系課目の扱いがどんどん疎かになっている。それを鑑みれば、このような世界がいくら小説の中のものだと言っても、そう笑ってばかりではいられない。この作品をきっかけに、理数系の科目に興味を持つ子供たち(大人も)が増えてくれればいいと思うのだが。

○出てくる数学問題の解説
鳩の巣原理

☆☆☆☆☆

※本記事は、書評専門の拙ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。

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書評:・べテルギウスの超新星爆発 加速膨張する宇宙の発見

2016-05-03 09:19:45 | 書評:学術教養(科学・工学)
ベテルギウスの超新星爆発 加速膨張する宇宙の発見 (幻冬舎新書)
クリエーター情報なし
幻冬舎

・野本陽代

 べテルギウスは、オリオン座を構成する赤色大巨星で、冬の大三角を形成する星の一つでもある。この星は、既に星の終焉期を迎えており、数年前から超新星爆発が観測されるのではないかと言われている。これは、星の寿命が尽きたときに起こす爆発のことで、ものすごく明るく輝くため、昔の人には星が新た生まれたように見え、「超新星」という名が付けられた。

 本書は、このべテルギウスの超新星爆発を掴みとして、宇宙物理学全般にわたり解説したものだ。タイトルからは一冊丸ごとペテルギウスについて書かれているように錯覚してしまうが、べテルギウスが登場するのは主に最初のほうだけ。全般的には、星の一生や宇宙観測技術の歴史、これまでの観測結果などについて解説した標準的な宇宙物理学の解説書となっている。

 著者は、慶應の法学部出身のサイエンスライターだという。学者以外の人がこの種の本を書いているのは初めてお目にかかる。だからだろうか、科学者の書いたものよりは、親切なようだ。例えば、「縮退圧」という言葉だが、通常は言葉の説明抜きに重力崩壊に抗する力として出てくることが多いが、本書では「縮退圧」とはどのようなものか、一応の説明がされている。

 科学者の書いた本というのは、読者を過大評価して、こんなことは当然わかっているだろうというような書き方のものが多いが、本書は、まるで歴史の本でも読むような感じで、宇宙論を楽しむことができる。ただ、索引や参考文献リストがないため、後で何かを調べたり、より進んだ学習をしたい人には不便だろう。

☆☆☆☆

※本記事は、書評専門の拙ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。

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書評:歌枕殺人事件

2016-05-01 09:19:08 | 書評:小説(ミステリー・ホラー)
歌枕殺人事件 (角川文庫)
クリエーター情報なし
KADOKAWA / 角川書店

・歌枕殺人事件

 この作品は、「歌枕」をモチーフにした、浅見光彦シリーズの一冊である。

 本作のヒロインは、朝倉理恵。浅見家恒例のカルタ会に来ていた東京都の「カルタの女王」だ。父が、3年前に多賀城市にある歌枕の地、「末の松山」で毒殺されている。歌枕を訪ねるのが趣味だった彼の手帳には、「白波、松山を越ゆ」という謎の言葉が残されていた。理恵と一緒に「末の松山」の調査を始めた光彦は、12年前にやはり歌枕を訪ねていた若い女性が、有耶無耶の関で殺害された事件に行き当たる。

 光彦は、かなり理恵のことが、気になっているようだ。彼女が、浜田という大学の助手に接近していることを、かなりやきもきして見ている。ちょっとした喧嘩のような感じにもなるのだが、その挙句が「女は分からない」(p254)である(笑)。

 ところで、事件のほうだが、光彦はかなり核心には迫っているのだが、やはり最後のところで間違えている。今回の解決方法も、いつもの光彦流だ。しかし、「末の松山」に関する異伝をうまく使い、最後に色々な伏線を回収しながらのどんでん返しというのはなかなか面白い。このシリーズは「旅情ミステリ-」とも言われているが、この作品にも旅情がたっぷり盛り込まれている。

 短歌をする人でミステリー好きなら必読の書だろう。歌枕について詳しく書かれているうえ、それをモチーフにしてうまくミステリーを作り上げているのだから。

☆☆☆☆

※本記事は、書評専門の拙ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。

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