文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
執筆依頼、献本等歓迎。

コロナが明けたらしたいこと

2021-09-14 12:14:37 | 書評:その他

 

 本書の内容を一言で表せば、幼馴染からの恋の遍歴というところ。確かにコロナのことは、最終章には出てくるが、なんかとってつけたような感じだ。幼稚園の入園式で出会った二人は、そこからいろいろな出来事に遭遇し、結局最後は落ち着くところに落ち付いたという感じだ。

 男の方は何処か一途な感じがする。例えばできる女と同じ高校に行くために必死で勉強をするのだ。しかし、女の方はそうではない。落ち着くところに落ち着くまで、色々と遍歴があるのだ。高校で恋人を作ったり、大学も彼氏と同じところに行ったりする。実は男の方も同じ大学に受かっていたのだが、二人を見るのが辛いのか、別の大学に通うことにするのである。女は勤め先でもいかにもチャラ男のような奴と愛人関係になるのだ。

 それにしても、どうしてヤギ髭のチャラ男がモテるのだろう。私などは、ヤギ髭を見ると引っ張りたくってしかたがなくなるのだが。

 この漫画は、ツイッターから生まれたようだ。だからだろう、物語が4コマ漫画の連続で進んでいく。

 あまり絵柄が私の好みではない。帯に「3回涙する」とあったが正直な話、一度も涙は出なかった。 

☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

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けんか餅 (お江戸豆吉)

2021-09-12 08:43:08 | 書評:小説(その他)

 

 本書は、「お江戸豆吉」シリーズの幕開けとなる作品です。豆吉は、江戸で評判の菓子屋「鶴亀屋」で働く11歳になったばかりの小僧さん。大旦那さんや鶴亀屋で働く人はみんな優しく、豆吉は元気で働いているのですが、この店には一人だけ豆吉が苦手な人がいます。

 それは、鶴亀屋の跡継ぎの若旦那・米蔵。何しろ顔が怖く、体も大きく、とにかくおそろしくけんか早い。客と喧嘩するは当たり前。石ころともけんかを始める始末。もちろん石ころがけんかをするはずがありません。完全に若旦那の独り相撲なのですが。

 この若旦那、とうとう店先で客の建具屋辰五郎と大喧嘩をしてしまいます。このけんかの原因がなんともくだらない。大福餅の餅は薄い方がいいか、厚い方がいいかということなのです。ちなみに、若旦那は餅は薄い派、辰五郎は厚い派です。

 この喧嘩が元で、とうとう若旦那は、堪忍袋の緒が切れた大旦那さんに、店から出されてしまいます。鶴亀屋から独立して隠居した人の店を軌道に乗せるまでは帰ってくるなという訳です。若旦那のお目付け役に大旦那から指名されたのが、なんと豆吉。

 ところが、その独立した職人さんの店と言うのが、とんでもないぼろ家。それでもなんとか開店にこぎつけます。ところが、この店が辰五郎に見つかってしまいます。顔を合わせると若旦那と辰五郎はけんかを始める。しかし、それは二人の挨拶のようなもの。本当に仲が悪いわけではないようです。豆吉も、最初は怖がっていた若旦那ですが、得るものも多かったようです。

 表題の「けんか餅」というのは、豆吉がつくるのをまかされた、餅の厚い大福。それに「けんか餅」と言う名前がついて評判になるのですがら、世の中分からないものです。

 お話はなんともユーモラスな感じで進んでいきます。苦手だった若旦那のすごいところを見たりして豆吉も、鶴亀屋にいるときよりかなり成長したようです。いうなればこの作品は豆吉の成長物語とでもいうのでしょうか。

☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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放送大学の学費振り込み完了

2021-09-10 10:59:09 | 放送大学関係

 先ほど、近くのコンビニから、放送大学2021年度2学期の学費を振り込んできた。それから少し離れた書店によって、古書などを幾つか仕入れる。ここは、古書と新刊書を両方扱っているのでなかなか便利だ。しかし、時節柄とはいえ、レジの半分以上がセルフレジになっていたのには驚いた。この流れが、非正規の労働者を減らして、不況に一層の拍車をかけていくような気がするのだが。

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銭形平次捕物控 006 復讐鬼の姿

2021-09-10 10:57:05 | 書評:小説(ミステリー・ホラー)

 

 

 この話は、まだ平次がお静と夫婦になっておらず、許嫁だったときの話。お静が、平次が日頃世話になっている八丁堀の与力・笹野新三郎のところで行儀見習いとして働いている時の話だ。

この笹野の周りで不気味な事件が起きる。鈴ヶ森で処刑されたはずの男が磔柱を背負って追いかけて着たり、窓格子に獄門首が括くくられたりと言った具合だ。

 ところで銭形平次のライバルといえば、三輪の万七が有名なのだが、この話に出てくるのは、石原の利助という岡っ引き。新三郎の妻のお国が相談したのが、普段新三郎が世話をしている利助というわけだ。ところが、この利助ひどい迷探偵ぶりである。

 笹野の家には、新三郎と縁談があったが、両親が亡くなったために縁談が流れ、現在は笹野家の居候として暮らしているお吉と言う女性がいた。利助が目を付けたのが、このお吉であるが当然のことながら無実。

 そうこうしているうちに、新三郎の一粒種で5歳の新太郎とお静が行方不明になった。

 利助は、お吉に縄をかけてしょっぴこうとする。しかし、吟味与力の家から縄付きを出したということになれば新三郎は破滅してしまう。しかし、売り出し中の平次に対して普段から嫉妬しており、自分の手柄に目がくらんでいる利助は、平次の言うことに耳を貸そうとしない。仕方がないので平次は実力行使に出る。

 実はこの事件は、三年前に獄門になった米屋の息子たちが企んだ復讐劇。新太郎とお静は、雁字搦めにして猿轡をかまされたうえに川の上に吊るされ、新三郎も罠にかかって落とされ、二人が吊るされている麻縄を掴んでなんとか落下を免れている始末。

 しかし、犯人の一人は、正に命綱となっている麻縄を一本一本切っていく。最後の綱を切ろうとしたとき、それを防ぐのが平次という訳である。平次は麻縄を切ろうとしていた奴を下の川に放り込んだ。犯人たちを捕まえろという新三郎に平次は言う。

「多分死にましたよ、放つておきましょう。親が無實で死んだと思ひ込んでいるんですから、可哀想ぢゃ御座いませんか――それに、あの兄弟は二度とあんな惡戯をする気づかひはありませんよ」
 と、けろりとしております。



 なんか、テレビで視ていた銭形平次と性格が若干違うような。それに下にいた犯人の方には何もやられていないので本当に一件落着か?また、犯人の親が無実でなかったということの説明はなかったので、真相は藪の中という感じだ。それに利助はお吉に縄をかけているが、岡っ引きには本来逮捕権はないはずである。

☆☆

 

 

 

 

 

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久しぶりに秋田大学の単位認定試験問題を解いた

2021-09-10 00:10:57 | 秋田大学通信教育

 最近50肩の方も大分落ち着いてきた。左腕の可動域はかなり制限されるが、痛みの方は大分なくなってきた。ということで、リハビリも兼ねて、秋田大学の「エネルギー地質学」の単位認定試験問題を1問解いた。今回は早め早めに順調に行っていたのだが、左腕に50肩の症状が出てきたので、ストップしていたのだが、なんとか、パソコンを打つときに左手も使えるようになったので、徐々に再開しようと思う。これまでは、左腕が痛くて、右手だけでパソコンを打つような状態だったので、ものすごく不便だった。

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放送大学から振り込み用紙が来た

2021-09-10 00:00:05 | 放送大学関係

 今日郵便受けを見てみると、放送大学から2021年度2学期の「科目登録決定通知書」と学費振り込み用紙が届いていた。面接授業は、このご時世にどうなるか分からないので、放送授業しか申請していなかったが、当然のことながら申請通り。今日は面倒くさいので、近いうちに近くのコンビニから振り込む予定。

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おりたたぶ(1)

2021-09-08 08:06:04 | 書評:その他

 

 なんかちょっと変わったタイトルだが、モチーフが、折り畳み式の自転車だからだろう。

 主人公は、自転車大好き少女の鳴嶋ゆうみ。彼女が折り畳み式の自転車に嵌ったのには訳がある。彼女が引っ越してきたアパートには駐輪場がなかった。自転車をとめてもいいスペースに置いておくと雨ざらしになってしまう。なぜ彼女がアパートで独り暮らしを始めたのか、この巻ではそのあたりの事情はよくわからない。ただ、彼女は自転車で通学するつもりだったようだから、学校との関係だろうか。

 そんな彼女が電車で出会った滝沢奈緒。最初は怖い人だと思っていたが、実は彼女も大の自転車好き。ただ二人の自転車の楽しみ方には少し違いがあるみたいだ。奈緒は自転車に乗るのが好き。ゆうみは、自転車に乗って、色々なものを見るのが大好きなのだ。

 そんな二人が出会い、友達になる。そしてゆうみはすっかり、折り畳み式の自転車に嵌ってしまうのだ。

 一見クールな美少女のような奈緒だが、時々違う顔を見せる。恐らくそちらの方が地なのだろうが、それがなんとも可愛らしいのだ。

 後二人おりたたぶの仲間らしき少女が、ちょっとだけ登場していたが、今後話に関わってくるものと思われるので、どう展開していくのか楽しみ。

☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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数学と語学

2021-09-06 08:50:45 | 書評:その他

 

 このエッセイで言っていることは、数学と語学の点数には相関があるということ。つまり数学の成績のいい者は語学の成績もいいということ。もちろん例外はある。数学ができても外国語はさっぱりという人もいればその反対もある。しかし、全体の傾向を見ると、相関があるような傾向が見られるということだ。

 このことは宇宙論で仮定される「宇宙原理」を思わせる。宇宙には特別な場所などなく、一様等方だという仮定である。宇宙には大規模構造があることが分かっているが、もっと大きな目で見れば、この仮定はかなり良い精度で当てはまるらしい。

 つまり、物事を見る時は、大きな目で見ると、違った世界が見えるかも知れないということ。

 ただ私は、単なる外国語を語学と呼ぶのは反対だ。小学校で習う算数を数学と言わないのと同じである。慣例的に「語学」と言っているが、その言語が話されているところに行けば子供でもしゃべっている。それを学問と呼ぶのはかなりの違和感がある。英語、ドイツ語、中国語などと呼べばいい。「語学」と呼ぶのなら、「〇〇言語学」といったものでないといけないだろう。

☆☆☆

 

 

 

 

 

 

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21世紀型「のれん分け」ビジネスの教科書

2021-09-04 08:27:06 | 書評:ビジネス

 

 「のれん分け」自体は昔からある。そして多くの人は「フランチャイズ」と言う言葉を聞いたことがあるだろう。フランチャイズとは、本部と契約を結ぶことで、経営ノウハウや商品・サービスの提供を本部と同じ看板で行うものだ。

 21世紀型「のれん分け」とは、フランチャイズの1種だが、通常のフランチャイズは、本部とは直接的な関係のない第3者と契約をするが、「のれん分け」は、本部で働いていた社員が経営者となる点が異なる。つまり、功績のあった社員を関係会社の社長として送り出すようなイメージを持てばいいだろう。ただ、店舗を持つためには自分で資金を出す必要がある。この点、通常の関係会社の社長なら、極端な話、裸一貫で行けばいい。

 いくつか疑問がある。この方法だと単に本部の経営者の劣化コピーが広がるだけだ。本部の経営者よりのれん分けされた方が優秀なら、今す直ぐ役割を交換した方がいい。順調に行っているときは、劣化コピーを増やしてもいいのだろうが、いざ何かあった時には全滅しかねない。生物が色々な遺伝子を取り入れることにより、環境に適応して生き延びてきたことをどう思うのだろうか? 今回のコロナ禍のように、いつこれまでに経験したことのないような事態を迎えるかもしれないのだ。その時こそ色々な考え方の人がいた方がいいと思う。どこにブラックスワンがいるか分からないのである。更に本部の経営者が変わったときはどうなるのだろう。経営者が代替わりして、経営に対する考え方が変わり、新旧経営者間でトラブルになっているという話は時折聞く。

 本部の経営者は、のれんわけした会社にリスクを移転できるし、のれん分けされた方は宮使えから1国1城の主となるのだ。一見Win-Winの関係のようだが、読んでいると、全体的に本部の経営者の視点で書かれているように見える。著者の職業からは仕方ないのだろうが、当然のことながら、のれん分けされた方が数としては圧倒的に多い。次に本を出すときはそちらの視点で書かれたものを期待したい。

☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

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物を大切にする心

2021-09-02 09:01:30 | 書評:その他

 

 

 物を大切にするということは大事だと思うが、こいつにだけは言われたくないということもあると思う。この短いエッセイ中で山頭火は言っている。四国巡拝中に道づれとなった老遍路に関することだ。二人が休憩中に煙草を吸ったときのこと、山頭火はこの老遍路がマッチを使い過ぎることについて次の様な事を言っている。

 ――ずいぶんマッチを使いますね。
 ――ええ、マッチばかり貰って、たまってしようがない。売ったっていくらにもならないし、こうして減らすんです。
 彼の返事を聞いて私は嫌な気がした。彼の信心がほんものでないことを知り、同行に値いしないことが解り、彼に対して厭悪と憤懣との感情が湧き立ったけれど、私はそれをぐっと抑えつけて黙っていた。詰ったとて聞き入れるような彼ではなかったし、私としても説法するほどの自信を持っていなかった。それから数日間、気まずい思いを抱きながら連れ立っていたが、どうにもこうにも堪えきれなくなり、それとなく離ればなれになってしまったのである。



 しかし、もし山頭火が口に出していたらどうなったか? 私なら、あんたにだけは言われたくないと言っただろう。なにしろ山頭火は生活能力ゼロで友人たちの支援や行骨で暮らしていたうえ、しょっちゅう酒や焼酎に溺れて酔いつぶれていた。そもそも、仏教者にとって酒は必需品ではない。寧ろ御法度の品である。般若湯などと名前をごまかしても駄目だろう。そんなものに金をつぎ込むなど、信心に生きる仏教者としてはダメダメではないのか。山頭火は水道を出しっぱなしにしていた家の夫人にも彼女は物のねうちを知らない。と言っている。

 山頭火は次のようにも言っている。

物そのもののねうち、それを味うことが生きることである。



 偉そうに言っているが、そうすると、酒や焼酎などのアルコール類にはねうちがあるというのだろうか。

☆☆

 

 

 

 

 

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