きり、15度、95%
久しぶりに、たくあんを買いました。 たくあんを食べていると、ぜんざいが食べたくなりました。
たくあんを食べてしまって、しばらくして寒かったので、ぜんざいを炊きました。ぜんざいを食べていると、たくあんが食べたくなりました。
私の実家がある福岡の博多区に、那珂川という川が流れています。その川沿いに長いアーケードが付いた、川端商店街があります。昭和30年代頃までは、福岡で一番華やかだった商店街です。そこにあったのが、「川端ぜんざい」。お店で食べさせてくれるのは、ぜんざいだけです。
お店に入ると、奥の厨房が見えます。中にはお相撲さんをひと回り小さくしたような、よく似たおじさんが二人、ぜんざいを作っていました。配膳をしてくれるのは、小柄な若いおじさんでした。この3人、兄弟だったようです。
席に着くと、何も言わなくても、ぜんざいが出てきました。小振りのどんぶりに、やけどしそうなくらい熱い、甘いぜんざいがたっぷり入っていました。きっちりお餅が一つ。
5、6卓のテーブルの上には、大きなどんぶりに、厚く切られたたくあんがどっさり盛ってありました。ほこりよけに、巻きすが掛けられ、とり箸も添えられていました。今の、甘味処のような感じではありません、男性もやってきます。ぜんざいをすすりながら、たくあんをぽりぽりと食べたら、皆さっと席を立ちます。
小柄なおじさんは、アルミの盆にどんぶりを下げ、その手で、テーブルを拭きます。その台ふきんが、真っ白でした。おじさん達が着ている前掛けも、いつも真っ白でした。
この商店街を抜けたところに実家の菩提寺があります。物心ついた時から、お墓参りと「川端ぜんざい」は、私にとってワンセットでした。ところが高校になるくらいまで、ぜんざいが大嫌いで、いつも大人の横に座って、甘いぜんざいと塩辛いたくわんを一緒に食べるのを、不思議だなと見ていました。
18歳で福岡を離れてからも、帰ればお墓参りに行きます。いつ頃か、「川端ぜんざい」が閉まっていました。もうお店をやっていなかったのです。あの3人のおじさんの誰がかけても、続けることができなかった店のように思います。お店が閉まってしばらくしたら、建物は取り払われ、ぽっかりと空間が出来ました。それでも、「川端ぜんざい」の看板は上がっています。この空間、土曜日曜、山笠などの博多の大きなお祭りの時は、休憩所として使われています。「川端ぜんざい」を懐かしむ人たちが、この空間をとってあるようです。
味覚に残る、ぜんざいとたくあん。視覚に残る、真っ白な台ふきんと前掛け。私の「川端ぜんざい」の思い出です。