小雨、21度、93%
お彼岸も過ぎて人気のない菩提寺の墓地の一角に桜が吹き溜まっていました。たった一本古い桜の木が墓地にはあります。この春先のお墓と桜の木のコントラストは、いやが上でも桜の存在感に目を見張ります。吹き溜まった桜の花びら、遠目には白く見える桜もこうして寄り添うとはっきりと桜色を見せてくれます。
この2、3年続けて桜の季節に帰国しました。桜を見たいと思う気持ちは、国の外にいれば尚更です。今が盛りの時はいつも外してしまうのですが、桜の散る頃には戻ります。地面に拡がる桜の花びらを見て思います。この桜色を身に纏ってみたい。日本古来の花を見るとその色を身につけたいと思います。杜若、露草、山茶花や蠟梅。しかも出来たら紬の着物が好もしい。杜若や露草の色なら着る事が出来そうです。ところがこの桜色となると難しい。年齢ではありません。私の人柄に桜色がそぐわないのです。
それでも紬の桜色に魅かれて手元にと求めたのが、志村ふくみさんの古袱紗です。 この桜色、花が咲く直前の桜の木の皮から取られた色です。あんな無骨な木の皮にこんな繊細な色が潜んでいます。染色には疎い私は、てっきり花から染め上げる物だとばかり思っていました。 ここ数年、桜の季節にはこの古袱紗を手に取ります。
お寺の吹き溜まった桜を見ながら思いました。私の人柄が桜にそぐわないのは、私自身がそんな風に自分を育てることが出来なかったということです。60歳を前にして、桜色に似つかわしく自分を育てることが出来なかったことを寂しく思いました。