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本の裏表紙をめくると、その著者の小さな顔写真が載っていることがあります。証明写真ではありませんが、皆さん大抵普通の顔をして写っています。その小さな写真に何を感じるかは見た人任せです。
本の内容に興味が湧いて一人の作家の本を読み続けます。ある時その作家のポートレートを裏表紙にみつけます。「この本はこんな顔の作者だったのね。」と深く頷くこともあります。そのポートレートから受けた好印象に、一体お幾つだろうかとか、どこのお生まれだろうかと次々に疑問が湧いてきて、PCの前に座ります。作家のポートレートに何も美醜を云々と言っている訳ではありません。ある程度のお年になればみなさんお顔にその方の生きてきたものが映し出されています。このお顔、この目の方の書くものなら、と私の中で安心感が生まれます。そして、その作家の新刊を待ちます。
ところが、もちろんその逆さまもある訳です。裏表紙の作家の写真を見て、その方のふてぶてしさや奢りのようなものを感じると、どんなに評判の作家でもその作家の本を買うことも本を読むこともありません。ある時、好印象を持たなかった作家を実際に見たことがありました。会った訳ではありません。10メートルぐらいの距離でその作家を見ただけです。ホテルのロービーです。編集者の方でしょうか取り巻きの方もいます。私はロビーで人を待っていましたし、甲高い作家の声は耳に入ってきます。海外のホテルのロビーですから日本語がわかる人も少ないだろうと、作家は意外に大声で話しています。その話し方、身振り手振り、私は「やっぱりこの作家の本は読まなくてよかった。」と思いました。
本の裏表紙の作家のポートレートは、思いの外にその人の人となりを真実で伝えてくれます。たった一枚の小さな写真です。作家の容姿や私生活は作品に関係ないと言いますが、大きく反映すると思います。海外の作家で家庭における細やかな愛情を得意とする作家がいます。いつ読んでも読み終わった後に、こういう家庭を築けたらと思える作品です。実生活もお子さんがたくさんで、本のはじめの感謝の言葉はいつもご自分の奥様宛でした。その作家が離婚しました。理由は明らかではありませんが、そのことを知って以来、その作家の作品は読んでいません。落胆もありますが、急に作品自体が虚しいものに感じました。
また別の作家、写真からも真面目な人柄が伺えるその人の作品は、山の中で朝目が覚めた時のような作品です。作品の数は少ないのですが、この作家の本は大事に繰り返し読んでいました。お嬢さん二人がいるご家庭の話も心温まるものです。ところがこの作家、離婚して随分年の離れた女性と再婚しました。その途端、この作家の本は目に付かないところにしまい込みました。
作家の中にも自分のイメージが作品に影を落とすことを恐れて、ポートレートを載せない作家もいるそうです。講演会などではまだ生身の人間として見られますが、小さな写真ひとつで作品を判断されたくないのだと思います。作家だって人間です。感情豊かな人間であれば離婚だってありえます。感情豊かだからこそ作家になった人もいるはずです。
私の作家のポートレート判断、不思議に現代作家の場合だけです。もうすでに亡くなっている古典作家においては、どんなポートレートでもその方の人生を感じます。なぜ現代作家だけなのかしらと考えます。それは私自身も今を生きているからだと思います。
ポートレートひとつでこの作家の作品は読まないなんて偏狭な考えはねと思うこともありますが、私は文学学者でもないし、世の中にはたくさんの作家がいるし、嫌だなと思った作家の作品はこれからもきっと手に取らないように思います。