チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

棚を作ってもらいました。

2016年10月29日 | 日々のこと

晴れ、24度、80%

 まだ日本にいた頃のことです。我が家が住んでいた家には、壁一面に棚がありました。白いペンキ塗りの壁、白い棚。4部屋しかない小さな家です。元々は2部屋の和室、そこに洋間を2部屋付け足した離れでした。その家のドアを開けると壁一面の棚が目に飛び込んできます。母屋を囲む木々は鬱蒼としていました。その家を借りたいと思った大きな理由は、この壁一面の棚とビルトインのガスオーブンです。もう30数年前の昭和50年台半ばのことです。

 改築した日本の家の2階には、使いようのない床の間があります。床柱はあるもののあまり格のない床の間です。この空間に棚を作ってもらいました。白い漆喰壁に白い木の板を取り付けます。古い木造ですから歪みがあります。水平に取り付けるのにはご苦労がありました。

 出来上がった棚を前にして、急に昔住んだ家を思い出します。昔の家の棚はちょうどこの倍くらいの大きさでした。天井まである棚です。一番上に物を置く時は棚を登りました。出来たての棚に積み重ねてある本を入れました。階下にある本棚の本をいくらか持って上がりました。棚の一番下中央にある古い和文タイプライターは、昔の家に住んでいた頃私が拾って持ち帰ったものです。犬を連れ小さかった息子は自転車に乗っていました。古いタイプライターはとても重い上に犬も連れているのに抱えて持ち帰ったものです。今考えると若かったからできたことです。タイプライターは私たちが香港に行く時、この家に残していきました。30年ぶりに日の目を見ます。

 のちに知ったことですが、私たちが住んでいた大きな棚のある家は、木工家具作家の岩倉榮利さんご家族がその以前住んでいらしたそうです。ご自身がペンキを塗られたのか、玄関のドアも門柱横の木のポストも白いペンキ塗りでした。昭和の時代には白いペンキの色は目映く見えました。きっと私たち夫婦はその頃からずっとあの壁一面の棚のことを胸に秘めていたと思います。出来上がった日本の家の棚の写真を香港にいる主人に送ります。「我が家らしい棚になったね。」と返事が返ってきました。本を入れ終わった棚を前にこの数十年のことが頭を駆け巡ります。もう私の手持ちの時間は少なくなってきました。静かな生活を送りたいと思います。気が付くと時計の針は真夜中を回っていました。

コメント
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