晴、15度、85%
モモさんの病状を知るのは我が家の家族だけでした。主人、私、息子夫婦。尿が出なくなって、毎日導尿、カテーテルで尿を抜くためにモモさんを病院に連れて行きました。モモさん男の子ですから散歩の途中ではマーキングをします。足を上げてもおしっこが出なくなっても草をクンクン、足を上げるを繰り返します。それが2週間も続いた頃には、マーキングの仕草がなくなりました。毎日一回、三人がかりでおしっこを採ってもらいました。多い時は300ccにもなりました。
便は細いながらも出ていましたが、それが全くない日もあります。この便が不調になり始めた頃から食べ物の好みが変わりました。大好きなパンやシフォンケーキは全く食べません。お魚、お肉、サツマイモ。お肉もその時その時によって食べないこともあります。とにかく食べることが生き物の基本です。食べれなくなったらお終いと思い、いく種類もの食べ物を用意しました。ご存知のようにモモさんの食事は3度私とほぼ一緒です。尿、便共に出ないのによく食べました。お肉100グラム以上は毎食でした。毎日病院に通ってもいい、このままモモさんとの毎日が続くような錯覚を覚えました。錯覚だとわかっています。一日の中でも私の心の中は揺れ動きました。
次第に前立腺がお腹の外から触ってもわかるぐらいになった頃から、主人がモモさんの様子を尋ねて来ても応えるが出来ませんでした。応えるということは言葉にすることです。書くのも話すのもその現状を繰り返すことになります。主人からのメールの返事も出せません。怖かったのです。息子夫婦も心配して電話をくれます。でも、「聞かないで。」と応えるのみでした。モモさんがいなくなることが怖かった。
そんな風ですから、モモさんの術後の様子やむくみを心配してくださる友人からのメールにもお返事を出すことが出来ませんでした。「もう少し経てば、わかってくださる。」と思いました。私の甘えです。
足のむくみが出るまではよく歩きました。モモさんの背中、耳が揺れる様子、尻尾の巻き具合い、目を閉じれば蘇ります。
怖くて仕方ないのに、モモさんには普通に話しかけました。「起きたの?」「ご飯食べる?」「今日はどこにお散歩に行こうかね。」「お昼ご飯は豚汁よ。」そして、あの大きな目をじっと見ると、膝や足元にもたれかかって来ます。懐かしい重みです。懐かしい温かさです。懐かしい匂いです。全身でモモさんは私に応えてくれました。
主人や息子夫婦、友人に返事ができない自分が恥ずかしくなります。わかっていても心底怖かったのです。そんな意気地なしの私にモモさんは、ぬくもり、重さ、匂い、眼差しで守ってくれました。「たくさんのありがとう、モモさん。」