晴、17度、85%
日本に戻ってきて走り始めたのは、荷物もやっとひと段落ついた2月の中旬でした。確か朝の気温は3、4度、私にしてはこんな寒い中を走るのは初めてのことです。帰国前から走るための服装を準備していました。ヒートテック素材の長袖に薄いランニング用のダウンベストその上にウィンドブレーカーを着ました。もちろん手袋は必需品です。
日本の治安が心配で、香港の時とは違い日の出と共に走りに出ます。コースを決めるのに2日程かかりました。距離、ルートです。何かあった時のために、主人に私の走るルートを伝えます。走るのは香港時代とは大違い、都市の住宅街、坂の上り下りもありません。平坦な道を走り続けます。大濠公園を1周して同じ道を戻ります。
2月の中旬、時には雪も舞いました。落葉樹はすっかり葉を落としています。思い出せば寒さも手伝って殺風景でした。ただ、香港時代と同様に東に向かって走ります。つまり昇り来る太陽を見ながら走るわけです。周りが殺風景であろうが、毎日姿が違う日の出はダイナミックに感じます。
我が家から20分ほど走った道沿いに裸の木が6本並んでいます。並木とまでは行きませんが背丈の揃った6本の木のある道は雰囲気のある道です。背の高い木を見上げながら、「この木は何かしら?どんな葉をつけるのかしら?」と春の訪れを待ちました。
春の芽吹きも木によって違います。早くから緑をつけた柳、寒空に満開の花をつけた後に芽吹く桜。この6本の木はいつまでたっても葉をつけません。モモさんが逝った頃から気温がぐんぐん上がりました。お天気も続きました。6本の木に緑がちらほら見え始めました。
私より少し高いところにあるこの木の葉っぱを見た途端、「メタセコイヤだ。」と喜びます。生きた化石と言われるメタセコイヤの木です。 柔らかく、繊細な葉っぱです。真夏になってもこの柔らかな葉っぱは変わりません。
小学生の私に木の名前、花の名前を教えてくれたのは母です。私はほとんど覚えていないほど上の空、木や花なんかに興味のある子どもではありませんでした。ところが、「生きた化石」という言葉に惹かれて「メタセコイヤ」は覚えました。関東平野のメタセコイヤの並木道、葉陰から木漏れ日がさす道を母と二人で歩いていたことを思い出します。
すっかり葉をつけてからもこの道は毎朝の私の楽しみです。大濠公園の柳よりもこの木の下を走る抜ける時の爽快感は殊更です。日本に帰ってきて道端の花の多さに驚きます。樹木の種類の多さに驚きます。ところが私は名前がわかりません。その度に思います。「母なら知ってるだろうなあ。何で教えてくれた時覚えていなかったんだろう。」あと5回ほど四季が巡れば、私でも木の名前、いつ頃落葉するか、どんな花をつけるか記憶に留めることができると思います。さあ、6本のメタセコイヤの下を走りに出かけます。