曇、21度、79%
私は肩書きなんて持ちません。今はもう仕事もしていません。でも、名刺を作っていました。理由はメールアドレスです。口頭で伝えても、手書きでも、どうも間違えやすいメールアドレス、正確に知っていただこうと名刺を作りました。初めのうちは自分でプリントアウトしていました。香港も安く早く名刺を作ってくれるお店があります。今残っている香港の住所の名刺はそうしたお店で作ってもらいました。女ですから、紙はオフホワイト、角のないものです。
日本に戻ってきて、住所もメールアドレスも電話番号もすべて変わりました。新しい名刺をと考えます。できたら和紙の小型のものがいいと予々考えていました。先月、病気のモモさんを置いたまま上京しました。心の晴れない四日でしたが、ここなら和紙の名刺があるだろうと日本橋の榛原に出向きました。手すきの和紙の名刺がちんまりと箱に入って並んでいます。紙の切断されたところが整っていない、耳つきという方を選びました。 優しい感じがします。
さて福岡に帰り、印刷をと考えます。こんな変形の紙を扱ってくれる店などありません。当節のコンピュータでの印刷など全く無理です。モモさんの病状もありすっかり名刺のことは忘れていました。こんな変形、しかも厚みも洋紙とは違います。活版印刷でなくては名刺にならないと印刷屋さんを調べてみました。どこの印刷屋さんも今では活版印刷は受け付けないとのお返事です。しかも、たったの100枚の名刺です。
諦め掛けていたのですが、我が家から歩いて20分程のところにある印刷屋さんが「やりますよ。」とおっしゃってくださいました。小箱を抱えて急いで向かいます。昨夕刷りあがりました。
今ではご夫婦二人で営む印刷屋さん、オフセットの最盛期には大勢の従業員がいたと話してくださいます。活版印刷ですから活字を組まなくてはなりません。 ずらりと並ぶ活字の中から、私の原稿に合わせて型を作ってくださいます。お歳で目が悪くなって型を組むのも時間がかかりますとおっしゃるご主人、待っている私に奥様がコーヒーを持ってきてくださいます。
仮の下刷りを見てから帰ることにします。薄いジノリのベキッチオホワイトのデミカップのコーヒーの美味しいこと。
一夜明けて、メールを開けると書体の違う2つのモデルがメールに添付されて送られてきていました。明朝体を選びます。私自身も目が悪くなり始め、数字の読み間違いがありますので、電話番号はやや大きめに刷っていただくことにしました。
夏の盛りかと思わせる強い日差しが残る午後、足取り軽く印刷屋さんへ向かいます。久しぶりの気持ちの高揚です。お店のドアを開けるとテーブルの上にきちんと正座した名刺箱が一つ私を待っていました。蓋を取った時の私の顔をご覧に入れたかっと思います。満面の笑みです。 私の名刺を一枚一枚プレスしてくれた機械です。
福岡に帰って、こうした今は廃れそうになる手仕事を続けている方にお会いする事が重なりました。いずれもご夫婦でお仕事を続けてこられた方達です。そしてなんと仲のいいことか。
久しぶりに自分の名刺を前にして、気持ちが改まります。優しい和紙に人の手のぬくもりが伝わる印字です。お見せしたい気持ち山々ですが、個人情報ですので控えます。
お金の多寡ではありません。人の手で漉かれた紙に人の手で印刷していただきました。本当に贅沢な名刺を手に入れる事ができました。