晴、21度、64%
母が持っていた器で残したものは数少なく、片口が数個、銀彩の福の字の角皿が数枚、そして木箱に入ったままの番浦史郎の筒型の向付が6個。それだけです。
ほかにも箱に入ったままのもので綺麗な状態のものは使ってくださる方に差し上げました。なぜかこの筒向付、粉引の色合いと口元の優しい形に惹かれて手元に置きました。向付です、量は少なくちょっとどうぞと何も入れてもいいはずですが、この形の向付、さて何を入れようかと思います。筒型の向付をほかにも持っていますが、お湯のみに使ったり、お汁粉を少し入れたり、しゃれた使い方ができません。筒型ですから、お箸を入れて覗き込む形です。
先日、走りの青豆を炊いて入れてみました。お箸に乗せるのに難儀しました。粉引ですから、白っぽい和え物は見栄えが良くありません。主人が帰ってくると必ず作るものの一つが「茗荷味噌」です。茗荷は香港にありません。お味噌料理は自分ではあまりしないようです。茗荷をいっぱい買っても「茗荷味噌」にすると少なくなってしまいます。小皿に杉のように盛ってもちょっぴりです。思い切ってこの粉引の筒向付に入れて見ました。優しくふんわりと入れます。 中の茗荷には白胡麻の擦ったものがたくさん入っています。いい香りです。筒型は香りが上に立ち上ります。
母がいつ頃この向付を買ったか知りません。番浦史郎が亡くなる前か没後かもわかりません。おそらく料理をほとんどしない母はこの向付を持て余して一度も使ったことがないのではと思います。好きで求めた器も自分の料理の技量で使いこなすことができないものがあります。色鮮やかな吉田屋風の九谷焼、色に負けて何をのせてもパッとしません。ある時会心のいく盛り付けができると、手を叩きたくなります。薄く軽いこの粉引の向付、「茗荷味噌」をうまく受け止めてくれました。今度は何を盛ってみようか、思い巡らせるのも楽しみのひとつです。