チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

護国神社の蚤の市

2017年05月21日 | 日々のこと

晴、19度、62%

 昨朝、いつものように大濠公園目指して走りに出ました。大濠公園の南には福岡県の護国神社の杜がこんもりと見えています。護国神社の横道を走り大濠公園に入ります。土曜日の朝、いつもなら犬のお散歩の人が歩いているばかりですが、軽トラックやライトバンがずらりと並んでいます。荷台には、鉄のフェンスや大きな箱、植物の植木鉢が見えます。道の角まで来ると、「護国神社蚤の市 搬入車はこちら」と手書きのビラが貼られていました。

 日本の蚤の市に行ったことがありません。テレビなどで見る蚤の市は、和服の古着やら骨董の類を思い出させます。予定していた来客が午後になりました、昼前、ソワソワと蚤の市に出かけてみました。気温はすでに30度近く、青空が広がっています。本殿を離れた脇の参道に蚤の市は立っていました。

 朝から気になっていた植物はサボテンや食虫草ばかりです。脇参道の端から端までそれぞれので店がテントを張っています。私の想像してような古着、屋骨董ばかりではありません。手作りのジャムや焼き物、 こちらは手作りのブラシ屋さん。洋ブラシですがいいのもが置かれています。美味しい匂いがすると思えば、 釜焼きピザやケバブのサンドイッチなどが出ています。昔ながらの焼きそばたこ焼きもありますが、しゃれた蚤の市です。お若い家族連れがいっぱい。ブラブラとお店を覗きます。 バスケット、 ラメキンの食器、 犬のスナックや服を売るお店も人気です。

 以前この家に求めたテーブルランプのところで書いた私が中学、高校と欲しかった、 バンカーズランプも売られています。手前がバンカーズランプです。食器などの紛れて置かれていたのが、 これまた中学高校と欲しかったオリベッティの赤いタイプライターです。昭和40年代の後半、この赤いタイプライターは画期的な色でした。 給食で使われたアルミの食器も山積みです。手に取っていると私の背後でお若い女性が「懐かしいねえ。」とおっしゃいます。長く使われたアルミの食器です。

 昔欲しかったものを目の当たりにして気持ちが高揚しています。人の流れの間からチラッと陳列棚に固定された黒いものが見えました。 この黒と赤のコントラスト、目が止まって動きません。紛れもなく、主人が結婚前から使っていた手回しのコーヒーミルです。懐かしい重み、鋳物ですからどっしりとしています。イギリスのスポング社が作っています。まさかこんなところで会えるとは思ってもいませんでした。おじさんにお値段を聞きます。このミルはコーヒーを受ける小皿がついているのですが、欠損したというのでお安くしてもらいました。香港まで連れて行っておきながら、香港の最後に家に移った17年目に始末したコーヒーミルと同じものです。1週間後に戻って来る主人へのプレゼントのつもりです。使わなくてもいい。今の家の台所にはこれをネジで止めつける場所があります。

 紙袋に入れられたコーヒーミルは重たいのですが、心は重さより嬉しくて軽々としています。 西洋圏の初洗礼の時のベビードレスなどを横目にそそくさと家に戻りました。

 今日は手作りの品物が中心の蚤の市が立つそうです。主人の驚く顔が楽しみです。

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「佐渡バター」を使ってパンを焼く

2017年05月20日 | パン

晴、18度、69%

 日本に帰って来て、パンを焼く小麦粉を代えました。日本の小麦を使った小麦粉から大手の小麦粉までよりどりみどりです。小さなパン屋さんですら、九州産の小麦粉を使ったパンを焼いています、と看板が出ています。それぞれの小麦の特徴を生かしたパンを焼く、研究心が旺盛な国民です。

 シンプルなフランスパンのようなパンは、小麦の味と香りが小麦粉そのままを反映しますが、バターやを加えて焼くパンは香りも味もこのバターに影響されます。香港にいた頃は世界各国のバターを使っていました。その時にバターが持つ香りや味に大きな差があることを知りました。日本ではメーカーが違っても、元の牛乳が輸入のものであっても国産バターが主流です。主人が香港から持ち帰るバターです。 一つだけベルギーのものがありますが他はフランスバターです。パンにつけるためのバター、お菓子やパンを焼くのに使うバターと分かれます。

 先日、新潟から頂戴した荷物の中に「佐渡バター」が入っていました。佐渡の地元の牛乳で作った初めていただくバターです。バターの色は白に近い乳白色、着色料は使われていません。口の中で香るその香りは、ああ昔のバターと思います。日本でも人気のエシレバターに近い香りです。それでいてくどく無い溶け具合。

 思い切って「佐渡バター」を使ってプルマンローフを焼きました。 焼成中の香りが違います。香りや匂いはお伝えできないので残念です。我が家のプルマンローフは加える水の量が多いタイプです。 パンの肌理はこんな感じです。国産の小麦粉に「佐渡バター」で焼いたプルマンローフは小麦粉の甘さがしっかりと伝わって来ました。

 贅沢なパンを焼きました。国産の小麦粉、メーカーものの小麦粉をミックスして作るまでにはまだ至りません。これからの私の楽しみの一つです。2斤型で焼く我が家のプルマンローフ、ココと私で1週間で食べあげます。このパンを食べながら佐渡の島で風に吹かれ草を食む牛を想像しています。

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ココにお洋服をいただきました。

2017年05月19日 | ここ

晴、16度、78%

 モモさんは香港産まれの香港育ち、日本より蒸し暑い香港です。洋服を着ずに育ちました。日本の帰国が決まってさあ大変、一番寒い大寒の頃に帰ります。洋服をと思っているところにどっさりお下がりの洋服をいただきました。日本に帰るとL,L,Beanのコートやダウンジャケットまでピカピカの新品をいただきました。いっぺんに服持ちになったモモさんです。寒い間この服に大変お世話になりました。

 ココがやって来て、季節は夏に向かっています。ココの服の準備など考えてもいませんでした。寒くなればモモさんのお下がりを着せるつもりでした。昨日ポストを覗くとレターパックが入っています。中から出て来たのは真新しいココのための服でした。わざわざ、女の子らしいものを選んでくださっています。さあ試着ですよ。

 ココはハーネスを付けるとき興奮します。お散歩に行きたい気持ちが昂じることと自分の体を触られての喜びでテンションが上がります。ハーネス一つ付けるのに、まるで格闘をしているようです。そのココに洋服を着せます。暴れまわります。でも着せ終わると、早速ポーズ。 このあたりもモモさんとは違います。モモさん、不承不承着たもののそのまま嫌そうなお顔でした。夕方のお散歩前でしたので、洋服を着て出かけました。途中で会ったチワワさんも洋服を着ています。日本はこれくらいの気温でも洋服を着せるのだと認識しました。カメラ目線でポーズをとるココです。 

 服を着せて思ったのですが、服で首回りのお肉が寄せられて、か細いココの首回りにもタフタフができたように見えました。足の付け根などはがっちりして来たココです。  

 今朝はココのいびきで目が覚めました。まるで小さいな女の子が「怖いよ、怖いよ。」と言っているように聞こえます。トントンと背中を撫でてもまた「怖いよ、怖いよ。」私の耳を疑います。単に「怖いよ。」って聞こえるだけです。

 3着もいただいたお洋服、暴れますので一つずつお披露目いたします。ありがとう。

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マドラスカレーパウダー

2017年05月18日 | 日々のこと

晴、16度、74%

 主人は香港から持ってくるたびに、香辛料やら湯葉やらチーズやらパスタまでごっそり運んで来てくれます。福岡では手に入りにくいものばかり、私が不自由していると思ってのことです。おかげで主人が帰ってしばらくは満足な食事がいただけます。

 香辛料は私自身引越しの荷物にたくさん買い込んで入れました。選ぶ人が違うとまた違う香辛料を選びます。個々のスパイスを自分で混ぜて使うのが私の基本のカレーです。最後に一振りするガラムマサラは、料理の素材別にマサラとして売っているものを用意しています。主人が買って来てくれたのは、「マドラスカレーパウダー」と言う日本のSBのカレー粉のようなものです。オールマイティーなカレー粉、ある本で知ったのですがインドから本国に帰るイギリス人のために作られたカレー粉だそうです。「マドラスカレーパウダー」は以前に一度使ったことがあります。求めたのはシンガポールのインド人街、インドの日用品ならなんでも揃うマーケットで香辛料の棚にモスグリーンの小さな缶を見つけました。缶の色と大きさに惹かれて買った「マドラスカレーパウダー」です。滅多に使うことがないまま、湿度の多い香港でカレー粉は固まってしまいました。主人が買って来てくれたこの缶もなかなか素敵です。

 スパイスを混ぜ合わせるのではないので気軽に作れます。まずは「シンガポールビーフン」。このビーフンはシンガポールには存在しないようです。ところが香港のローカルの食堂に行けば必ずと言っていいほどメニューに載っています。ビーフンをカレー味で炒めたものです。少し甘く感じるところがポイントです。私も簡単にオイスターソースとカレー粉で味をつけます。具も決まりはありません。 お肉とお野菜エビなどを入れて炒めます。乗っけたグリーンはインサイ(パクチー)です。 最近お庭のパクチーを横取りするココにも少しおすそ分け。そうそう、このビーフンも主人が持って帰ってくれたタイのものです。日本のビーフンとコシが違います。一番細い「センミー」と呼ばれる種類です。

 お次は、スープカレーでもいいのですが、野菜やお肉の旨みがぐっと詰まったカレー味の蒸し煮を作りました。無水鍋などでじっくりと火を通すと野菜もお肉も驚くほど甘味を感じます。骨つきの鶏肉が手に入りにくいのでもも肉を使いました。骨つきの方が骨から出るだしでもっと美味しくなります。もちろん定位置でお待ちかねココにも。

 カレーパウダーの香りがコリアンダーを強く感じます。コリアンダーもパクチーの別称です。マヨネーズに混ぜてもお手軽にディップが作れます。日本だから湿気ないで使い切ることができそうです。

 モモさんが逝く前のひと月、モモさん中心の献立でした。モモさんが好きなもの、モモさんが食べれるもの。このふた品もモモさんの好きな食べ物ですが、こうしたものを作る余裕がなかったことに気づきます。でも13年間、モモさん、私と一緒にいろんなものを食べましたね。何をしても、モモさんを思い出します。

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ココ、すっかり馴染んで来ています。

2017年05月17日 | ここ

曇、16度、75%

 ココが我が家にやって来たのも、モモが我が家にやって来たのも9ヶ月です。ココの成長ぶりを見ながら、モモの同じ時期を思い起こします。男の子と女の子の差はありますが、9ヶ月になるまでお外の生活、家庭での生活を知らないで来た子たちです。そしてモモの13年を振り返ると、家族になるには時間がかかるとのではと思い当たります。我が家にやって来ましたで、すぐに家族になるのではなく、徐々に家族になるのではないかと思いました。

 ココは身体も小さいのですが女の子らしく伸びやかです。攻撃性はなく、よその犬にも声をかけてくださる人にも喜びます。モモの人間には無愛想だったのとは大違いです。お散歩の時の道を歩くマナーは身につけてくれました。時に初めて見る光景に吠えることもあります。昨夕、学校の近くを散歩中、部活の子供達が一団で走って来ました。その足音、横を走る抜ける様子に興奮して全力疾走するココでした。

 よく食べてくれます。なのに朝晩の散歩、庭遊びで消耗するのかちっとも太りません。腰、手足はしっかりとして来ました。階段の上り下りもスムーズにできるようになりました。最初は降りるのが怖い様子でした。降りるのが怖かったのはモモも同様、階段という習慣がなかったからでしょう。

 まだ2週間、トイレの失敗を除けばよくできたココです。一緒に同じベットで休みます。ベットにはまだ上がれないので、持ち上げてやると興奮して、ベットの上を走り回ります。御構い無しに私は休みます。気が付くとちゃんと首のあたりでいびきをかいています。暖かさもあるのでしょうが、私の足元で寛いで休むココです。 安心しきっています。

 モモは10歳を越すまで、カメラを見ることがありませんでした。カメラを向けると顔を伏せました。ココはカメラを向けてもご覧のようにしっかりとレンズを見てくれます。考えてみればモモは言葉のギャップもあったわけです。我が家に来て広東語から急に日本語です。そんなことですら今になって気付きます。ココも日ごとに言葉を覚えています。「お散歩。」で玄関にまっしぐら。早くおしっこを覚えてくれないかなあ。

 お日様の射す庭でゆっくりと遊ぶココを見ながら、日に日に家族になる、日に日に身近になるのを感じています。

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息子のお嫁さん、孫娘が泊まりに来てくれました。

2017年05月16日 | 日々のこと

晴、15度、66%

 ゴールデンウィークの話です。東京から孫娘、お嫁さん二人が我が家に泊まりに来てくれました。4月の末に主人が帰って来ることも、この二人がやって来ることも連休中ですから随分と前から決まっていました。ただただ、モモさんがみんなに会えるようにと思っていました。モモさんが逝ったのは主人が戻って来た翌日です。心も身体も腑抜けたようなその二日後、孫たちはやって来ました。

 家に着くなり、「モモちゃんはお星様になったの?なぜ?」と聞きます。まだ3歳の子供には亡くなる意味がわかるはずもありません。モモさんと私が休むベットの下を覗いては、「モモちゃん。」と探します。孫娘とモモさんが会ったのは2回、香港に遊びに来た時と私が香港からモモを連れて帰国した時です。あの時はモモさんと息子家族と一緒に5時間の新幹線の旅をしました。

 3歳の子供の元気と明るさは、主人と私にモモさんを亡くした辛さを忘れさせてくれました。どこに行っても元気満点。公園だって走り回ります。家の庭だって走り回ります。家の中だってじっとはしていません。最初の晩、私が想像していた通りのことが起こりました。二人には2階に休む準備をしていたのですが、寝る段になると孫娘、「下のベットでかかと寝る。」と言います。以前もそうでした。その時は女3人で下の部屋で休みました。ところが今回は主人がいます。主人に2階に行って欲しいとは言えません。結局、私が主人のベットに移動、4人揃って同じ部屋で休みました。主人のベットで私と主人、私のベットに孫とお嫁さん。3人の寝息が聞こえる頃、4人が並んで寝ていることに思わず微笑んでしまいました。

 たったふた晩で東京に戻ります。ココが東京から運ばれて来る日に帰りました。あいにく、すれ違いです。お嫁さん一人で孫を連れ帰ります。何かともたせたお土産は宅急便で送ります。荷物を作る時、「真奈お母さん、冷凍庫の食パンをもらって帰っていいですか?」とお嫁さん。彼女は毎朝食パンです。とても嬉しくて「どうぞ、どうぞ」と私。それをそばで聞いていた主人が「僕が香港に持って帰る分は?」と言います。翌日には、主人が香港に帰ります。そこで孫が帰る日は朝からまたパンを焼き始めました。冷凍しないと食パンは形が崩れます。このところ、主人は香港に戻る時必ず私のパンを持って帰ります。

 慌しい3日間でした。でもとても楽しかった。4人で並んで寝たことも初めてです。私が焼いたパンをと言ってくれたお嫁さん、本当に嬉しかった。

 ココと二人だけの生活もそろそろ2週間です。友人、家族に見守られしっかりとモモさんを亡くしたことを噛み締めています。

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めだかの学校

2017年05月15日 | 日々のこと

晴、16度、63%

 表の道に面したモミジの木の根元に甕を置きました。 水を張ってホテイ草をいっぱい浮かべました。めだかを飼うためです。

 香港に行く前のことです。息子は小学の低学年、家の玄関先には飼育用の水槽にめだかを飼っていました。特に世話をしていた記憶がありませんが、真夏を過ぎるとたくさんの卵が孵って水槽いっぱいにめだかが泳いでいました。親のめだかが子供のめだかを食べるからと水槽を分けたこともありました。このめだか、買ってきたのではありません。多摩川から引いた水路で採ってきたものです。今住む家に池があった私の小さい頃も近くの川にめだかを採りに行きました。メダカを取りに行ってアメリカンザルガニも捕まえました。そういえばザルガニの捕まえ方を主人が息子に伝授していたのを思い出します。

 めだかなんてどこにでもいました。ところがめだかも金魚すらどこで売られているのかわかりません。結局、佐賀に抜ける山の方まで買いに行く羽目になりました。東京から来ていた息子のお嫁さん、孫まで連れて出かけます。お天気のいい連休中日の普通の日でした。バスに乗ってゴトゴト山に向かいます。緑多い田舎の風景にホッとするものがありました。やっと辿り着いたのにお店はお休み、手ぶらで戻ってきました。お店の周りはイオンのスーパーなどができていて、鮮魚などの品揃えに驚きます。田舎なんて言っていられません。

 後日、私一人で「熱帯魚、メダカ」と看板のある店に戻りました。店の扉を開けてびっくりです。大きな熱帯魚の水槽がいくつも、あの薄いブルーの光線で照らされています。小さな熱帯魚、巨大な熱帯魚もいます。熱帯魚ですから温水です。店内やや蒸し暑く感じます。

 「めだかをください。」と言うと「どれにします?」とお兄さん片隅を指します。温水でない水槽が6個、見れば何やら名前が書かれています。「普通のをください。」と見慣れた「黒めだか」と書かれた水槽を指さしました。めだかにこんなに種類があるとは知りませんでした。お兄さん曰く、昨今めだかの品種改良が進んでいるとのことです。驚きです。白いめだか、ヒレがビラビラしためだかもいました。お値段も黒めだかの何倍もします。

 外で育てますので、普通のめだかの方が丈夫に違いありません。甕の大きさを言って15匹の黒めだかを袋に詰めてもらいます。するとお兄さん「餌はお持ちですか?」めだかに餌をやった覚えがないのです。でも、お薦めの「おとひめ」という餌もいただきました。

 甕にめだかを入れ、翌朝から餌を与えます。ホテイ草の間を群れを作って泳いでいます。「めだかのがっこう」を歌います。めだかの写真を送ってくれと言う主人ですが、黒めだかですから写真に写っていません。「おとひめ」の魚の匂いが強烈でココさんまでが顔を背けます。夏には卵を産んでくれるでしょうか。もっと大きな学校になる予定です。

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メタセコイヤの木

2017年05月14日 | 走ること

晴、17度、85%

 日本に戻ってきて走り始めたのは、荷物もやっとひと段落ついた2月の中旬でした。確か朝の気温は3、4度、私にしてはこんな寒い中を走るのは初めてのことです。帰国前から走るための服装を準備していました。ヒートテック素材の長袖に薄いランニング用のダウンベストその上にウィンドブレーカーを着ました。もちろん手袋は必需品です。

 日本の治安が心配で、香港の時とは違い日の出と共に走りに出ます。コースを決めるのに2日程かかりました。距離、ルートです。何かあった時のために、主人に私の走るルートを伝えます。走るのは香港時代とは大違い、都市の住宅街、坂の上り下りもありません。平坦な道を走り続けます。大濠公園を1周して同じ道を戻ります。

 2月の中旬、時には雪も舞いました。落葉樹はすっかり葉を落としています。思い出せば寒さも手伝って殺風景でした。ただ、香港時代と同様に東に向かって走ります。つまり昇り来る太陽を見ながら走るわけです。周りが殺風景であろうが、毎日姿が違う日の出はダイナミックに感じます。

 我が家から20分ほど走った道沿いに裸の木が6本並んでいます。並木とまでは行きませんが背丈の揃った6本の木のある道は雰囲気のある道です。背の高い木を見上げながら、「この木は何かしら?どんな葉をつけるのかしら?」と春の訪れを待ちました。

 春の芽吹きも木によって違います。早くから緑をつけた柳、寒空に満開の花をつけた後に芽吹く桜。この6本の木はいつまでたっても葉をつけません。モモさんが逝った頃から気温がぐんぐん上がりました。お天気も続きました。6本の木に緑がちらほら見え始めました。

 私より少し高いところにあるこの木の葉っぱを見た途端、「メタセコイヤだ。」と喜びます。生きた化石と言われるメタセコイヤの木です。 柔らかく、繊細な葉っぱです。真夏になってもこの柔らかな葉っぱは変わりません。

 小学生の私に木の名前、花の名前を教えてくれたのは母です。私はほとんど覚えていないほど上の空、木や花なんかに興味のある子どもではありませんでした。ところが、「生きた化石」という言葉に惹かれて「メタセコイヤ」は覚えました。関東平野のメタセコイヤの並木道、葉陰から木漏れ日がさす道を母と二人で歩いていたことを思い出します。

 すっかり葉をつけてからもこの道は毎朝の私の楽しみです。大濠公園の柳よりもこの木の下を走る抜ける時の爽快感は殊更です。日本に帰ってきて道端の花の多さに驚きます。樹木の種類の多さに驚きます。ところが私は名前がわかりません。その度に思います。「母なら知ってるだろうなあ。何で教えてくれた時覚えていなかったんだろう。」あと5回ほど四季が巡れば、私でも木の名前、いつ頃落葉するか、どんな花をつけるか記憶に留めることができると思います。さあ、6本のメタセコイヤの下を走りに出かけます。

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モモとココ

2017年05月13日 | ここ

曇、18度、97%

 ココが我が家にやってきて、十日が過ぎました。そして、一昨日には月齢10ヶ月を迎えました。空港の貨物収集所で会った時もしかと思っていたら案の定、初潮を迎えていました。

 早速、市に登録に行き鑑札をいただきました。同じ時にモモさんの登録も取り消してきました。とても複雑な気持ちです。狂犬病の予防接種がまだなので、モモさんがお世話になった動物病院に行きました。先生も看護婦さんも私が小さなココを連れて行くとニコニコと迎えてくださいます。初潮のために注射は2週間後になりました。先生に「もう少し太らせてください。」と言われます。確かに細すぎる気がします。

 よく食べます。お魚もお肉もやっとお野菜や果物も食べれるようになりました。モモさんと大違いなのはご飯を上手に食べる事です。モモさん、ボロボロとよくご飯をばらまいていましたがココはきれいに食べてくれます。モモさんが若かった時と同じように、私が行く先々について回ります。

 お散歩もうまく道を歩けるようになりました。まだジグザグですが、「車よ。」といえば停まります。お友達の犬たちにもフレンドリーです。寄って行ってクンクン。遊びたい盛りです。伏せて「遊ぼう。」と仕草をします。お散歩で会う犬たちは小型犬ばかりです。大型犬に会った時はどんな反応をするでしょう。雨の日のお散歩も嫌がりません。昨夕も大雨、その中をレインコートも着ずに散歩に出ます。お風呂もおとなしくしています。モモさんはお風呂上がりには猛烈なパグ走りをしていましたが、ココはそんなことありません。掃除機も怖がらなくなりました。コードをくわえて付いて回ります。お留守番も大丈夫、ただ留守中、ベットの上の私のお布団を床に引きずり落として寝ています。こう書くといいことばかりですが、生活のリズムが身につかず、トイレは失敗を繰り返しています。まだ十日ですから当たり前、お外でトイレができるようにと思っています。

 ご飯の支度をしていると、背中に視線を感じます。振り返ると、台所のドアの横で私を見ています。びっくりしました。モモさんの定位置です。 おやつやご飯を一緒にとる時もモモさんが座って待っていたところに座ります。一緒に休む時も、足と足の間でいびきをかき始めます。モモさんもそうでした。匂いも重さもいびきだってモモさんとは違います。懐かしあもありますが微妙な感情が私をよぎります。

 新聞を読む私の足元でムートンを丸めたかと思うと、そこに顔を押し付けました。 じっと見ていると、小さく「チュウチュウ」と聞こえます。まだ10ヶ月、お母さんのお乳を思い出しているのでしょう。このすぐ後にゴロンと寝てしまいました。夜寝る時も私のお布団を同じように「チュウチュウ」して休みます。

 たくさんの方が私の心身を気遣ってくださいました。ココの成長を見守りながら、モモとココに支えられて元気にしています。安心してください。

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贅沢な名刺

2017年05月12日 | 身の回りのもの

曇、21度、79%

 私は肩書きなんて持ちません。今はもう仕事もしていません。でも、名刺を作っていました。理由はメールアドレスです。口頭で伝えても、手書きでも、どうも間違えやすいメールアドレス、正確に知っていただこうと名刺を作りました。初めのうちは自分でプリントアウトしていました。香港も安く早く名刺を作ってくれるお店があります。今残っている香港の住所の名刺はそうしたお店で作ってもらいました。女ですから、紙はオフホワイト、角のないものです。

 日本に戻ってきて、住所もメールアドレスも電話番号もすべて変わりました。新しい名刺をと考えます。できたら和紙の小型のものがいいと予々考えていました。先月、病気のモモさんを置いたまま上京しました。心の晴れない四日でしたが、ここなら和紙の名刺があるだろうと日本橋の榛原に出向きました。手すきの和紙の名刺がちんまりと箱に入って並んでいます。紙の切断されたところが整っていない、耳つきという方を選びました。 優しい感じがします。

 さて福岡に帰り、印刷をと考えます。こんな変形の紙を扱ってくれる店などありません。当節のコンピュータでの印刷など全く無理です。モモさんの病状もありすっかり名刺のことは忘れていました。こんな変形、しかも厚みも洋紙とは違います。活版印刷でなくては名刺にならないと印刷屋さんを調べてみました。どこの印刷屋さんも今では活版印刷は受け付けないとのお返事です。しかも、たったの100枚の名刺です。

 諦め掛けていたのですが、我が家から歩いて20分程のところにある印刷屋さんが「やりますよ。」とおっしゃってくださいました。小箱を抱えて急いで向かいます。昨夕刷りあがりました。

 今ではご夫婦二人で営む印刷屋さん、オフセットの最盛期には大勢の従業員がいたと話してくださいます。活版印刷ですから活字を組まなくてはなりません。 ずらりと並ぶ活字の中から、私の原稿に合わせて型を作ってくださいます。お歳で目が悪くなって型を組むのも時間がかかりますとおっしゃるご主人、待っている私に奥様がコーヒーを持ってきてくださいます。 仮の下刷りを見てから帰ることにします。薄いジノリのベキッチオホワイトのデミカップのコーヒーの美味しいこと。

 一夜明けて、メールを開けると書体の違う2つのモデルがメールに添付されて送られてきていました。明朝体を選びます。私自身も目が悪くなり始め、数字の読み間違いがありますので、電話番号はやや大きめに刷っていただくことにしました。

 夏の盛りかと思わせる強い日差しが残る午後、足取り軽く印刷屋さんへ向かいます。久しぶりの気持ちの高揚です。お店のドアを開けるとテーブルの上にきちんと正座した名刺箱が一つ私を待っていました。蓋を取った時の私の顔をご覧に入れたかっと思います。満面の笑みです。 私の名刺を一枚一枚プレスしてくれた機械です。

 製本もなさるので圧縮機もあります。 

 福岡に帰って、こうした今は廃れそうになる手仕事を続けている方にお会いする事が重なりました。いずれもご夫婦でお仕事を続けてこられた方達です。そしてなんと仲のいいことか。

 久しぶりに自分の名刺を前にして、気持ちが改まります。優しい和紙に人の手のぬくもりが伝わる印字です。お見せしたい気持ち山々ですが、個人情報ですので控えます。

 お金の多寡ではありません。人の手で漉かれた紙に人の手で印刷していただきました。本当に贅沢な名刺を手に入れる事ができました。

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