今年も神宮道のギャラリー「唯」で開催されている「東北の手わざ展」に行ってきました。
4年半経って、ますます深刻な状態になっている東北で、
何とか踏ん張って、助け合いながら、
懸命に生きる人々の姿が結晶しています。
「唯」では田野畑村、田老、大槌、陸前高田、南三陸の
仮設に暮らしながら、仮設店舗で作品作りを続け、
あるいは、再び地域の拠点として活動を始めた共同作業所で作られたものが展示販売されています。
(9月、3日~6日まで)
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織物や染め物などの小さな小物や、地味な作品たちですが、
気持ちが伝わってきます。
ここでは、ギャラリーに展示されている絵画を描いた岩手出身の3人を紹介したいと思います。
(紹介の文は会場にあった解説を簡略にしたものです。)
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秋田夕美 1976年生(上の大きな絵)
久慈養護学校卒業後、ハックの家(共同作業所)で絵を描いたり織物をしていたが、
2011年3月以降ぱったり織物をしなくなり、
絵と立体を作り始める。ポスターやカレンダーの裏のつるつるした紙にペンで描くと、
キュッキュッと音がするのが気に入って、毎日5時間描いている。
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銭袋悟 1960年生
久慈養護学校卒業後パクパク工場で水産加工の仕事をしていたが、
震災で工場が無くなり、仕事の意欲もなくしていたが、
今年の岩手障害者スポーツ大会のメダル制作をきっかけに出勤するようになった。
絵にはどこかに必ず海が描かれている。
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松家圭輔 1988年生
久慈養護学校卒業後ハックの家(共同作業所)に来て、
パクパク工場で働き始める。
震災でパクパク工場が無くなったので
本格的に絵を描き始める。
色鉛筆を使い、とくに三陸鉄道を多く描く。
技巧ではなく、手抜きもなく、見栄がなく、
隅々まで力強く書き込まれ、
創作の楽しさが伝わるこれらの作品を見る度、
すがすがしい気持ちになります。
4年半経って、ますます深刻な状態になっている東北で、
何とか踏ん張って、助け合いながら、
懸命に生きる人々の姿が結晶しています。
「唯」では田野畑村、田老、大槌、陸前高田、南三陸の
仮設に暮らしながら、仮設店舗で作品作りを続け、
あるいは、再び地域の拠点として活動を始めた共同作業所で作られたものが展示販売されています。
(9月、3日~6日まで)
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織物や染め物などの小さな小物や、地味な作品たちですが、
気持ちが伝わってきます。
ここでは、ギャラリーに展示されている絵画を描いた岩手出身の3人を紹介したいと思います。
(紹介の文は会場にあった解説を簡略にしたものです。)
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秋田夕美 1976年生(上の大きな絵)
久慈養護学校卒業後、ハックの家(共同作業所)で絵を描いたり織物をしていたが、
2011年3月以降ぱったり織物をしなくなり、
絵と立体を作り始める。ポスターやカレンダーの裏のつるつるした紙にペンで描くと、
キュッキュッと音がするのが気に入って、毎日5時間描いている。
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銭袋悟 1960年生
久慈養護学校卒業後パクパク工場で水産加工の仕事をしていたが、
震災で工場が無くなり、仕事の意欲もなくしていたが、
今年の岩手障害者スポーツ大会のメダル制作をきっかけに出勤するようになった。
絵にはどこかに必ず海が描かれている。
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松家圭輔 1988年生
久慈養護学校卒業後ハックの家(共同作業所)に来て、
パクパク工場で働き始める。
震災でパクパク工場が無くなったので
本格的に絵を描き始める。
色鉛筆を使い、とくに三陸鉄道を多く描く。
技巧ではなく、手抜きもなく、見栄がなく、
隅々まで力強く書き込まれ、
創作の楽しさが伝わるこれらの作品を見る度、
すがすがしい気持ちになります。