隣町のJAのカントリーエレベーターまで、畑用のもみ殻をもらいに行ってきました。
そして気になっていた「松笠餅」を買いに、相可(おうか)へ向かいました。
熊野街道と伊勢街道の交差点で、
かつては、街道に沿って流れる櫛田川の交通(船)の重要な拠点(港)でした。
櫛田川の上流には、古くからの水銀の産地「丹生・にう」があります。
「相可」の向こう岸の「射和・いさわ」は水銀を原料にした「伊勢おしろい(室町時代~江戸)」
の生産地としても栄え(鉛を使った安価な白粉が出回るまで)豪商が屋敷を連ねていたそうです。
(貴族や役者や遊女は、大量に白粉を使っていたそうです。)
夜の明かりはろうそくしかない時代、
薄暗い中、真っ白い顔が浮び上がり、紅花から作った紅を塗った赤い唇が・・・
お歯黒を塗った女性が・・・
そして、水銀や鉛の後遺症は・・・
見たいような、見たくないような。まるで、怪談です。
でも、現代だって、もしかしたら、いつか未来の人が振り返れば、
怪談のような世界に見えるかも知れません。
非公開ですが、ビックリするような広大な屋敷(射和文庫・江戸時代の私設図書館、など)が今もあります。
塀の上や隙間から、茶室や庭や倉などがちらちら見えますが、一体幾つ建物があるのか・・・?
時代劇を見ているような気がしました。
下は、松笠餅の店「長新」です。
「松笠餅」は黒砂糖餡で、お餅は堅めで、上にもち米?がまぶしてあります。
写真では、フォークを置いていますが、フォークでは切れませんでした。
手で持って食べるのが正解、ケーキじゃないので、当たり前だった・・・
旧街道(伊勢の周り)には、お餅屋さんが今も健在で、
餅街道などと呼ばれたりするそうです。
有名な「赤福餅」赤福餅にそっくりな「御福餅」
「二軒茶屋餅」「へんば餅」「松笠餅」「おきん餅」「くうや観助餅」・・・
店の建物も、昔のたたずまいを残したものが多く、店内で腰を下ろして食べられるようになっています。
大抵2~3個買って包んでもらって、持って帰り夕食後にいただきます。
(松笠餅は3個350円でした。)
ほとんどのお餅が、賞味期限が当日限り、あるいは次の日までなので、
贈り物などにはできません。
次は「おきん茶屋餅」を買いに行きたい。