おはようございます。
今日は、以前一通りアップいたしました上野~山形間の特急「やまばと」のうち、その後のフィルムスキャンから発掘した写真を含めて貫通型・非貫通型を一挙に掲載いたします。
まずは、53・10改正以前の字幕時代です。
昭和51年頃 上野駅にて クハ481-300代
上野駅15・16番線で並ぶ「やまびこ」と「やまばと」。上野駅黄金時代と言える頃ですね。昼頃から夕方までは、上野発と着の列車が各ホームで交錯し、どこのホームに行っても特急列車が停まっているような状況でした。まだチューボーの頃、上野駅を走り回っていました。
昭和52年 東北本線 宇都宮駅にて(再掲)
宇都宮駅を通過中の非貫通型「やまばと」。この頃は仙台運転所持ち及び青森運転所持ちなので300番代ですね。
昭和52年1月 東北本線 大宮駅にて(再掲)
こちらも青森持ちでしょうかね。貫通型の「やまばと」です。新幹線高架橋のない大宮駅は、今では想像できないほどスッキリしています。
昭和53年9月 東北本線 蕨駅にて(再掲)
イラストマークが使用されている貫通型の「やまばと」です。
過去ログでも述べましたように、53・10ダイヤ改正からは「やまばと」の運用が全面的に秋田運転所へ移管となり、一方、ヘッドマークのイラスト化も同時であったため、本来「やまばと」のイラストマークは1000番台車にしか存在しない筈です。しかし、改正1ヶ月くらい前にはヘッドマーク交換の準備が始まっていたため、わずかな期間ではありましたが、200番台貫通型の「やまばと」にイラストマーク掲示列車が存在しました。
画像は悪いですが、そんな貴重な1コマです。
以下は53・10改正以降の写真です。
昭和56年頃 東北本線 蕨~西川口間にて
秋田運転所持ちとなり、1000番代のみの変化のない編成になってしまいました。それでも食堂車を含む12連は、今から見れば堂々とした特急列車らしい編成ですね。
秋田持ちの485系は、初めからグリーン車が6号車に組成されていました。
昭和56年1月5日 東北本線 豊原~白坂間にて(再掲)
本数が少なかったこともあり、地方での撮影記録は余りありません。雪景色を行く「やまばと」はこの1枚だけで、私的には貴重な記録です。
昭和57年1月4日 東北本線 ???
東北の撮影に行った際、どこかの駅で通過待ちの際に撮影したものですが、どこの駅か全く記憶がありません。パンタが2丁とも上がっていますが、延伸された部分以外ホームが低くなっていますので、交流区間の可能性が高いようです。
昭和60年1月5日 東北本線 古河~栗橋間にて(再掲)
東北新幹線が開業してからも、大宮暫定開業に伴う乗換え不便対応として、上野発の「やまばと」「つばさ」が各1.5往復づつ残されました。
東北新幹線の開業直前から食堂車ははずされ、さらに9連へと編成が短縮されています。
そして、この写真を撮影してまもなくの昭和60年3月、東北新幹線上野開業時に福島接続の特急はすべて愛称を「つばさ」とされてしまい、長らく奥羽特急コンビで活躍した「やまばと」の愛称は一足先に消滅することとなりました。
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今日は、以前一通りアップいたしました上野~山形間の特急「やまばと」のうち、その後のフィルムスキャンから発掘した写真を含めて貫通型・非貫通型を一挙に掲載いたします。
まずは、53・10改正以前の字幕時代です。
昭和51年頃 上野駅にて クハ481-300代
上野駅15・16番線で並ぶ「やまびこ」と「やまばと」。上野駅黄金時代と言える頃ですね。昼頃から夕方までは、上野発と着の列車が各ホームで交錯し、どこのホームに行っても特急列車が停まっているような状況でした。まだチューボーの頃、上野駅を走り回っていました。
昭和52年 東北本線 宇都宮駅にて(再掲)
宇都宮駅を通過中の非貫通型「やまばと」。この頃は仙台運転所持ち及び青森運転所持ちなので300番代ですね。
昭和52年1月 東北本線 大宮駅にて(再掲)
こちらも青森持ちでしょうかね。貫通型の「やまばと」です。新幹線高架橋のない大宮駅は、今では想像できないほどスッキリしています。
昭和53年9月 東北本線 蕨駅にて(再掲)
イラストマークが使用されている貫通型の「やまばと」です。
過去ログでも述べましたように、53・10ダイヤ改正からは「やまばと」の運用が全面的に秋田運転所へ移管となり、一方、ヘッドマークのイラスト化も同時であったため、本来「やまばと」のイラストマークは1000番台車にしか存在しない筈です。しかし、改正1ヶ月くらい前にはヘッドマーク交換の準備が始まっていたため、わずかな期間ではありましたが、200番台貫通型の「やまばと」にイラストマーク掲示列車が存在しました。
画像は悪いですが、そんな貴重な1コマです。
以下は53・10改正以降の写真です。
昭和56年頃 東北本線 蕨~西川口間にて
秋田運転所持ちとなり、1000番代のみの変化のない編成になってしまいました。それでも食堂車を含む12連は、今から見れば堂々とした特急列車らしい編成ですね。
秋田持ちの485系は、初めからグリーン車が6号車に組成されていました。
昭和56年1月5日 東北本線 豊原~白坂間にて(再掲)
本数が少なかったこともあり、地方での撮影記録は余りありません。雪景色を行く「やまばと」はこの1枚だけで、私的には貴重な記録です。
昭和57年1月4日 東北本線 ???
東北の撮影に行った際、どこかの駅で通過待ちの際に撮影したものですが、どこの駅か全く記憶がありません。パンタが2丁とも上がっていますが、延伸された部分以外ホームが低くなっていますので、交流区間の可能性が高いようです。
昭和60年1月5日 東北本線 古河~栗橋間にて(再掲)
東北新幹線が開業してからも、大宮暫定開業に伴う乗換え不便対応として、上野発の「やまばと」「つばさ」が各1.5往復づつ残されました。
東北新幹線の開業直前から食堂車ははずされ、さらに9連へと編成が短縮されています。
そして、この写真を撮影してまもなくの昭和60年3月、東北新幹線上野開業時に福島接続の特急はすべて愛称を「つばさ」とされてしまい、長らく奥羽特急コンビで活躍した「やまばと」の愛称は一足先に消滅することとなりました。
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やはりボンネットで見慣れていた列車が、貫通、非貫通になると撮る意欲が薄れて、撮らなくなってしまったようで。
非貫通型時代に、文字、絵入りと撮ってました。
事務所からのポチ!
「やまばと」は両ボンネット時代が50・3改正まであって、53・10では1000番代になってしまいましたので、期間的にはかなり短かったですね。この間の運用が良く分からないのですが、仙台持ちと青森持ちがあったようですし、仙台持ちだと貫通型が少なかったので、物理的に逢う機会が少なかったかもしれません。
私も長年撮っていてこの2枚だけですからね、確率が少なかったのがお判りいただけると思います。
真冬の米沢で雪の壁にへばりついて撮ったやつがあるのですが、後追いのアングルで構えていたら、通過の際の雪煙でなーんも写ってないなんて思い出があります。降雪中の後追い撮影は駄目だという事を知りました。
基本的にはボンネット型の方を撮りたいですよね。ただ、みんな下り方に付いていたので、上り列車だと後追いになってしまいます。
東北はパウダースノーなので、早い列車だと雪が舞い上がってしまいますよね。北海道も乾いた雪というか、氷の粒といった感じで舞い上がるので、前からだと迫力のあるシーンが撮れますが、後は撮りづらかったです。
雪の板谷でボンネットの「やまばと」キハ181「つばさ」なんて最高のシチュエーションですね。
と、コレは置いといてやまばとの仙台持ちではひたちと共通運用もあったかな?など考えてしまいました。ひばりと勘違いかもしれないですが。確か遅くまでひたちは下り側がボンネット、上りが200番、300番だったのでコメント見て思い出したまでです。
仙台持ちの編成の場合指定席車に定員の多い200,300を充てたために下り側がボンネットになったんですかねー。
苦情は出しているんですけどね。特にここのところのコメントの入り難さはどうにもなりませんね。7件くらいのお返しで1時間かかることもザラですから。私の寝不足に大きく貢献してくれています。
上野方クハにボンネットがないのは、導入当初の編成が上野方をクロで揃えていたことが最大の要因でしょう。クロの定員が少ないのでサロが導入され、クロ編成が「ひたち」に流れ、増備車は12両編成重点に充てられたようですね。
クハ481は、いずれの型も両栓構造なので方転できる訳ですが、それを引っ繰り返さなかったのは、指定席の席数を統一したかったのではないですかね?ボンとその他では席数が変わってしまい、共通・広域運用に支障が出るということではないでしょうか。自由席なら関係ないですからね。
私も何となく「ひたち」←→「やまばと」の折り返しシーンを見たような記憶があるんですけどね・・・クロ入り12連の「ひたち」って印象がないんですよ。こんど調べておきます。