こんばんわ。
被災地から帰ってきたのが日曜日。間もなく1週間になろうとしています。
被災者に微力ではありますがお手伝いをし、震度6強という恐怖の地震も体験しました。
一生忘れることの無い経験をしてきました。
最後になりますが、鉄道の状況です。これも言葉の出ない風景でした。
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国土地理院の地図データから
気仙沼線の志津川駅近辺を抜き取りました。
点々と建っている家並みは、その殆どが平地にあります。川沿いですから、比較的低地にあると判断していただけると思いますが、高台にある学校と若干の民家以外は壊滅していると思っていただいて構わないと思います。そのくらいの広範囲が津波に襲われました。
もちろん、気仙沼線の志津川駅も例外ではありません。
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携帯電話のカメラで撮影したものなので、画像はあまり良くないですが、一応クリックすると大きくなるようにしておきました。
中学校から小学校までの道のり、国道398号線を歩いていると、1箇所だけ大きく渡る橋があります。何でここだけ?と思ったら、やはり鉄道だったんです。
というのは、鉄道かどうかも最初は判らない状況だったのです。
国土地理院の♂を付けた位置から撮影しています。遠くに見える工作物がどうも駅のホームのようです。
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駅のホームと思われる部分をアップにしてみました。
まるで廃線跡か、あるいは整地してこれから線路を敷設しようとしている風景にも見えてしまいます。
一番驚いたのは、線路が全く無くなっていることでした。
水害や地震などで土盛りの路盤が流出することがあっても、線路と枕木はしっかりと繋がれているので、線路後となくなった様子というのは今まで記憶がありません。見渡す限り線路が見当たらない光景というのは、私の中の常識では考えられません。
線路側面の面積で、水の抵抗を受けたとしてもたかが知れている思いますが、一体どんなパワーだと言うのでしょうか?本当に信じられません。
東北各地で被災した線路も、徐々にではありますが運転が再開されるようになりましたが、このような状況の場所が海岸を中心に数多く残っています。
被災者の言葉に
「もう(気仙沼線は)廃止になっちまうだろう。鉄道が復活したって、乗る人さ居ねーべ。みんな流されちまったんだから。」
あまりにも重た過ぎる言葉で、受け止めることができません。
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約1週間にわたり、被災地支援の際に得た状況を報告してきました。
今回は取材で行ったわけではないので、写真も携帯電話のみ、枚数もあまりありませんでした。
文字だらけのダラダラとした文章にもかかわらず、多くの方に読んでいただき、支援活動に対する労い、被災者への心遣い、ご自分の想いなど、多数のコメントをいただきありがとうございました。
遊びでは被災地に行ける状態ではありませんから、現地に近付く機会の無い読者の方々に、報道では分からない現地の状況、被災者の考えていること、不安、そして本当に必要と望んでいるものが何か、少しでも伝わっていただければありがたい。そう思っています。
被災地支援に関する記事は、これにて一旦終了といたします。
最後まで稚拙な記事にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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被災地から帰ってきたのが日曜日。間もなく1週間になろうとしています。
被災者に微力ではありますがお手伝いをし、震度6強という恐怖の地震も体験しました。
一生忘れることの無い経験をしてきました。
最後になりますが、鉄道の状況です。これも言葉の出ない風景でした。
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国土地理院の地図データから
気仙沼線の志津川駅近辺を抜き取りました。
点々と建っている家並みは、その殆どが平地にあります。川沿いですから、比較的低地にあると判断していただけると思いますが、高台にある学校と若干の民家以外は壊滅していると思っていただいて構わないと思います。そのくらいの広範囲が津波に襲われました。
もちろん、気仙沼線の志津川駅も例外ではありません。
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携帯電話のカメラで撮影したものなので、画像はあまり良くないですが、一応クリックすると大きくなるようにしておきました。
中学校から小学校までの道のり、国道398号線を歩いていると、1箇所だけ大きく渡る橋があります。何でここだけ?と思ったら、やはり鉄道だったんです。
というのは、鉄道かどうかも最初は判らない状況だったのです。
国土地理院の♂を付けた位置から撮影しています。遠くに見える工作物がどうも駅のホームのようです。
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駅のホームと思われる部分をアップにしてみました。
まるで廃線跡か、あるいは整地してこれから線路を敷設しようとしている風景にも見えてしまいます。
一番驚いたのは、線路が全く無くなっていることでした。
水害や地震などで土盛りの路盤が流出することがあっても、線路と枕木はしっかりと繋がれているので、線路後となくなった様子というのは今まで記憶がありません。見渡す限り線路が見当たらない光景というのは、私の中の常識では考えられません。
線路側面の面積で、水の抵抗を受けたとしてもたかが知れている思いますが、一体どんなパワーだと言うのでしょうか?本当に信じられません。
東北各地で被災した線路も、徐々にではありますが運転が再開されるようになりましたが、このような状況の場所が海岸を中心に数多く残っています。
被災者の言葉に
「もう(気仙沼線は)廃止になっちまうだろう。鉄道が復活したって、乗る人さ居ねーべ。みんな流されちまったんだから。」
あまりにも重た過ぎる言葉で、受け止めることができません。
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約1週間にわたり、被災地支援の際に得た状況を報告してきました。
今回は取材で行ったわけではないので、写真も携帯電話のみ、枚数もあまりありませんでした。
文字だらけのダラダラとした文章にもかかわらず、多くの方に読んでいただき、支援活動に対する労い、被災者への心遣い、ご自分の想いなど、多数のコメントをいただきありがとうございました。
遊びでは被災地に行ける状態ではありませんから、現地に近付く機会の無い読者の方々に、報道では分からない現地の状況、被災者の考えていること、不安、そして本当に必要と望んでいるものが何か、少しでも伝わっていただければありがたい。そう思っています。
被災地支援に関する記事は、これにて一旦終了といたします。
最後まで稚拙な記事にお付き合いいただき、ありがとうございました。
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久々にコメント書かせていただきます。
南三陸というと陸前高田と並んで市街地の大半、いや全域に近いくらい壊滅したそうですが、写真で拝見すると本当に何も言えないです。
ついこの間まで人々が普通に生活し、機能してた街だっただけに何もかも消えて失くなるという事に自然の脅威に驚く他ないと思います。
被災された方々を始め、関係の方々の事を心から祈りつつ、この辺りをもちまして失礼します。
全部かどうかは分かりませんが、地震そのものの被害は非常に少なく、けが人すら殆ど居なかったように思います。全ては想定外の大きな津波。過去の教訓が生きていなかったのではなく、想定を遥かに超えていたことにあります。
こうして現地を見ると、人間の力なんて、地球規模に比べればほんとにちっぽけなんですね。
地球を壊す力は絶大みたいなんですが、なんとも皮肉なもんです。
まず人が住める場所という事もあり、かつての面影が無くなってしまう路線もあるでしょうが、鉄道が復旧という事になれば、やはり地元の方の励みの一つになるでしょうね。
海岸近くの路線というのは、かなりコース変更されてしまうのでしょう。
それでも鉄道復旧という事を願って、JR東日本には頑張ってもらいたいです。
現地は平地と山、断崖が入り組んでいたりするので、経路を変更するとなると新たなトンネルを掘り直すなど、新線を開業するのと同じ工事規模が必要になると思われます。
尚且つ、利用者でなるであろう住民の住んでいた場所は家が1軒もないほど流されてしまっているので、駅を作ったとしても利用者なんて望めないような気がします。
むしろ、幹線道路はなんとか通れるようになっていますので、バスの代替で頻度を増やしたほうが、住民にとっては利益が大きいのではないか?私としてはそう思えました。
防災(津波)対策を待っていたらいつになるか分かりませんし、利用客の望めない地域に防災対策を兼ねた新線を作るほど巨額の投資をできるか?正直、現状を目の当たりにして難しいと思いました。
ご無沙汰しております。
今回の地震は想像を絶する巨大な力でしたね(まだ余震が続いておりますが・・・)。
親戚が牡鹿半島にて被災しました。そのときの話は叔父から聞きましたが、間一髪で助かったとのことでした。
被災地の様子は段々概要が判るにつれて正直眼を背けたくなりますが、キハ181つばさ様のレポートを読み、結果的には今こうやって何気なく過ごしている今に感謝をしなくてはと改めて思いました。
貴重なお話ありがとうございました。
地震のパワーってすごいですね。実際に震度6を体験してそう思いました。
それでも家屋倒壊しないしっかりした地盤で、本来ならやり過ごせる筈だったのに、1発の津波でこの有様です。本当に信じられない光景でした。
それでも、現地で被災された方々からは「命さえあれば」という気持ちも強く伝わってきました。自分勝手な馬鹿共の多い首都圏では、おそらく大混乱必死でしょうし、略奪・強奪なども起きるでしょう。
東北の人たちの強さ。このパワーも津波には負けていません。我々も見習うべきですね。