おはようございます。
昨夜はネタを考えていたらいつの間にかくたばってしまって、更新が出来ませんでした。
出勤前に取り急ぎアップいたします。

昭和56年7月2日 身延線 鰍沢口~落居間にて
旧型国電にそろそろ全廃の足音が迫ってきた頃、先行で廃車となったサハ45を含む編成に変わって登場した、身延線専用の115系が走り始めました。
この時点ではまだ2編成くらいしか運用に就いていなかったようで、撮影中もあまり見ることはありませんでしたし、元々新型車なんて撮る気も無かったのですが、1枚だけリバーサルのコマがありました。
甲府を基点とする身延線らしく、車体はワインレッドを身にまとい、白帯は富士山の雪をイメージしたものでしょうか、山梨・静岡それぞれの地域を反映したカラーとなっています。
導入当初は クモハ+モハ+クハ+クハ で、クハは背中合わせに連結するという珍しい組成が組まれました。これは、無人駅の多い身延線で車掌が集改札をしやすいように、編成中間に乗務員室を設ける措置だったと聞いています。その後、全国的な短編成化に伴うクハ捻出のため、中間のクハが抜かれて3両編成化されてしまいました。
モハ114はパンタつきの車両ですが、トンネル断面の極端に低い同線を走らせるため、折り畳み高の低いパンタグラフを採用するとともに、パンタ部だけ少し低くした2600番代という新しい区分番代が発生しています。外観からは殆ど判らないんですが。
同時に身延線専用のクモユニ143のワインレッドカラーが導入され、身延線で活躍するとともに、荷物扱い終了後は首都圏にも顔を見せ人気を博しました。これに比べると、115系のワインレッドカラーは比較的短い期間で標準化され、地味なうちに消滅してしまいました。
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昨夜はネタを考えていたらいつの間にかくたばってしまって、更新が出来ませんでした。
出勤前に取り急ぎアップいたします。

昭和56年7月2日 身延線 鰍沢口~落居間にて
旧型国電にそろそろ全廃の足音が迫ってきた頃、先行で廃車となったサハ45を含む編成に変わって登場した、身延線専用の115系が走り始めました。
この時点ではまだ2編成くらいしか運用に就いていなかったようで、撮影中もあまり見ることはありませんでしたし、元々新型車なんて撮る気も無かったのですが、1枚だけリバーサルのコマがありました。
甲府を基点とする身延線らしく、車体はワインレッドを身にまとい、白帯は富士山の雪をイメージしたものでしょうか、山梨・静岡それぞれの地域を反映したカラーとなっています。
導入当初は クモハ+モハ+クハ+クハ で、クハは背中合わせに連結するという珍しい組成が組まれました。これは、無人駅の多い身延線で車掌が集改札をしやすいように、編成中間に乗務員室を設ける措置だったと聞いています。その後、全国的な短編成化に伴うクハ捻出のため、中間のクハが抜かれて3両編成化されてしまいました。
モハ114はパンタつきの車両ですが、トンネル断面の極端に低い同線を走らせるため、折り畳み高の低いパンタグラフを採用するとともに、パンタ部だけ少し低くした2600番代という新しい区分番代が発生しています。外観からは殆ど判らないんですが。
同時に身延線専用のクモユニ143のワインレッドカラーが導入され、身延線で活躍するとともに、荷物扱い終了後は首都圏にも顔を見せ人気を博しました。これに比べると、115系のワインレッドカラーは比較的短い期間で標準化され、地味なうちに消滅してしまいました。
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富士駅に停車中の車両を撮っただけで、何時の間にやら消えてしまった感があります。まあ、このような線区別塗装は誤乗防止には解かり易い試みでしたね。
このカラー、実物で見たかったですね。
思い切った色の使い方だったと当時は思いました。
Wポチ完了なり。
115系では最初だったような気がします。初めて見たときは「なんと無謀な」塗り方に見えたもんです。
これより先に、105系の地方色があったかもしれません。小野田線とか福塩線とか。
飯田線の119系の水色も身延線とほぼ同じ運命を辿りましたね。
この色はインパクトがありますが、スカ色に馴れた目には強烈過ぎました。
未だ運用が少なかったので、この1本しか撮れなかったのは残念でした。でも、そのときは沢山走っていても撮らなかったかもしれません。わがままなもんですな。
Wポチども!
近年リバイバル色が登場したようですがありゃ赤というよりぶどう2号だったのでは?この色で最初から登場していればたとえ不気味でもなぜか許せる気がします。
Wよ~し!
もうかなり前ですが、復活塗装として茶色2号が登場しましたが、あれは間違ったらしいですよ。で、そのあと赤に塗り直したと。そしたら、それをさらにTOMIXが2色とも模型化するなど大わらわな状況になりましたね。
身延線のようなローカルでも光り物になっちゃうんですね。今は、ローカルらしさっていうのは編成の長さぐらいでしか味わえなくなっちゃったんでしょうか。
昔の電車に比べて光り物は世代交代が早いようなので、光り物でさえ油断できないかもしれません。
高校生のころでしたが国府津において御殿場線運用に就いてたこの色の電車を見た事がありましたけど、湘南色の在来車と比較したら斬新な感じでよく目立ってたこと記憶にあります。
それでは、この辺にて失礼いたします。
私が訪れた頃はまだ115系が余り居なくて、撮る機会も少なかったように思います。もっとも、新しいのは採らない主義だったので、余計に少なかったですね。JRになってからは急速に地域カラーが消滅。本来、地域性を強調して取り入れたカラーがいとも簡単に消されてしまったのは飯田線の119系も同じでしたね。
背面クハを連結した特徴のある編成も、今となっては貴重な資料です。