おはようございます。
昨日は朝からショックな出来事ばっかりで、すっかり気が滅入ってしまいました。
あまりの精神的疲労に耐え切れず、更新の準備をせずに寝てしまいました。
取り敢えず、このブログをアップするときだけでも気を取り直して頑張ります。
今日は「ローカルシリーズ」の27回目として、国鉄「高千穂線」をお届けいたします。
高千穂線は、日豊本線延岡駅から内陸に向かって高千穂峡のある高千穂駅までを結ぶローカル線です。
開業当初は「日之影線」と呼ばれており、高千穂駅までの延伸開業時に「高千穂線」と改称されています。
地図をご覧いただくとお判りいただけると思いますが、最終的には熊本側から来る高森線と接合し、延岡~立野(豊肥本線)を直通する計画でした。私は、高千穂から高森までバスで抜けたことがあるのですが、阿蘇の外輪山でしょうか、非常に勾配のきつい道路を「いろは坂」の如く延々カーブを続けながら相当な時間を掛けて降りていった記憶があります。このような人も住んでいないような地形のところに鉄道を通しても、経営の負担になることは目に見えています。要は無理のある計画であったということですね。
では写真ですが、私が中学の卒業旅行のときに「高千穂線」に乗った時の写真です。
写真は、2枚とも昭和54年3月25日撮影です。
キハ20系2連との交換風景
どこの駅かは覚えていませんが、途中駅で交換がありました。赤字ローカル線ではありますが、結構乗客は乗っていましたね。
この頃「首都圏色」は未だいなかった時代で、気動車はすべて標準色でした。写真はキハ20の2連ですが、初期車のバス窓車と後期の2段窓車で組成されており、非常に興味深い写真だと思います。
3両編成の普通列車
私が延岡~高千穂間で乗車した3両編成の列車で、キハ10+キハ20+キハ10でした。キハ10系に乗ったのは初めてで、通路側に肘掛けが無かったのには驚きました。寝ていてコケたら通路に転がってしまいますよ。でも、戦前の電車や客車でも肘掛けがなかった車両って意外と多いんですよね。
標準色ばかりで大変好感が持てる時代でした。
折角キハ10系や20系がゴロゴロ走っているのに、興味が特急列車に行ってしまっていて、ちゃんとした写真は撮っていませんでした。キハ10なんて他には写真を持っていませんから、自分的に非常に貴重な1コマなんです。
平成元年に第3セクター化され、なんとか存続してきた「高千穂線」ではありましたが、不幸にも平成14年の台風により鉄橋が流失、そして全面運休となり、復旧に必要な莫大な経費を考慮した結果、残念ながら廃止となってしまいました。
昨日は朝からショックな出来事ばっかりで、すっかり気が滅入ってしまいました。
あまりの精神的疲労に耐え切れず、更新の準備をせずに寝てしまいました。
取り敢えず、このブログをアップするときだけでも気を取り直して頑張ります。
今日は「ローカルシリーズ」の27回目として、国鉄「高千穂線」をお届けいたします。
高千穂線は、日豊本線延岡駅から内陸に向かって高千穂峡のある高千穂駅までを結ぶローカル線です。
開業当初は「日之影線」と呼ばれており、高千穂駅までの延伸開業時に「高千穂線」と改称されています。
地図をご覧いただくとお判りいただけると思いますが、最終的には熊本側から来る高森線と接合し、延岡~立野(豊肥本線)を直通する計画でした。私は、高千穂から高森までバスで抜けたことがあるのですが、阿蘇の外輪山でしょうか、非常に勾配のきつい道路を「いろは坂」の如く延々カーブを続けながら相当な時間を掛けて降りていった記憶があります。このような人も住んでいないような地形のところに鉄道を通しても、経営の負担になることは目に見えています。要は無理のある計画であったということですね。
では写真ですが、私が中学の卒業旅行のときに「高千穂線」に乗った時の写真です。
写真は、2枚とも昭和54年3月25日撮影です。
キハ20系2連との交換風景
どこの駅かは覚えていませんが、途中駅で交換がありました。赤字ローカル線ではありますが、結構乗客は乗っていましたね。
この頃「首都圏色」は未だいなかった時代で、気動車はすべて標準色でした。写真はキハ20の2連ですが、初期車のバス窓車と後期の2段窓車で組成されており、非常に興味深い写真だと思います。
3両編成の普通列車
私が延岡~高千穂間で乗車した3両編成の列車で、キハ10+キハ20+キハ10でした。キハ10系に乗ったのは初めてで、通路側に肘掛けが無かったのには驚きました。寝ていてコケたら通路に転がってしまいますよ。でも、戦前の電車や客車でも肘掛けがなかった車両って意外と多いんですよね。
標準色ばかりで大変好感が持てる時代でした。
折角キハ10系や20系がゴロゴロ走っているのに、興味が特急列車に行ってしまっていて、ちゃんとした写真は撮っていませんでした。キハ10なんて他には写真を持っていませんから、自分的に非常に貴重な1コマなんです。
平成元年に第3セクター化され、なんとか存続してきた「高千穂線」ではありましたが、不幸にも平成14年の台風により鉄橋が流失、そして全面運休となり、復旧に必要な莫大な経費を考慮した結果、残念ながら廃止となってしまいました。
車内からこうやって窓を開けて撮れましたね。今じゃ窓が開く車両が激減しちゃって・・・。。。
逆に、昭和の時代よりも平成になってからの方が致命的な被害に遭っている鉄道が多いような気がしませんか?
昔だったら道路が整備されていなかったから、何が何でも復旧するしかなったのでしょうけど、今は赤字を理由としてバス転換を盾に簡単に廃止してしまっているような感じですね。実際に殆ど人がクルマに頼っていて、鉄道なんかに興味というか有難味を感じないのでしょう。自分達が歳をとったときのことなんて考えていないんですよ。
一部がトロッコ鉄道として存続したので、その鉄道に期待したいものです。
それにしても国鉄色の気動車は懐かしいですな。今や米坂線か大糸線北線(南小谷~糸魚川)でも行かないと見られない車両ですから。
観光地が一番奥だったのが難点だったかもしれませんね。中間地にも名勝とかあればもう少し需要が違ったかもしれません。
私が写真を本格的に始めた頃には標準色が殆ど消滅していました。線区ごとにわずかに残っていたくらいでしたし、その頃あまりこういった車両には興味が無かったので撮らなかったんですよね。今にしてみれば勿体無いことをしました。
正確に思いだせないのですが、小学4年~中学3年まで(S46~S52頃)延岡駅から西延岡駅までこのディーゼルで通学していました。
色彩はこの初期タイプ。
カラー写真が残っていたのは感激です。ありがとうございます。
この国鉄時代の1両の前5分の1ほどを切り取って、ご自分の喫茶店に展示されている方がいらっしゃいます。当然、天井も高くされております。
場所は宮崎市花ヶ島・山田電気後ろの「どくろ」という喫茶店です。
私もあと2~3年で50歳になります。
17歳のとき、書店で偶然Nゲージの本に触れ、こんな精巧な模型があるのだと知りました。が、その後社会人として自立するのにウエイトが置かれ、あれから30年、ついに今月からNゲージはじめました。当然車両はSLと茶の旧車、そしてキハ20です。
コメントありがとうございます!返事が遅くなりまして申し訳ありません。
私より少し年上の方ですね。中学を卒業するときに訪れました。首都圏では塗装が変更されてしまいましたので、ここ九州や北海道でしか見ることが出来なかった塗分けで、私の記録としても大変貴重なものです。
当時は写真の撮り方もド素人ですから、あまり良い写真は残っていませんが、こんなもので感激して頂けるというのは、私も大変嬉しいです。
TOMIXではやや値段が高いですが、キハ10系も発売されていますので、2番目の写真のような編成も組めるようになりました。10年前では想像付かないほど技術が進歩していますし、手軽に揃えられるようになりましたね。
私のブログは古い写真を中心にアップしています。九州は2度しか行っていないのであまり写真が無いのですが、お時間がありましたら過去ログも覗いてみてください。古い記事へのコメントも大歓迎ですから、ご遠慮なくどうぞ!またお越しください。