こんばんわ。
今日は上野口急行列車シリーズから、気動車急行「おが1号」をアップいたします。
過去ログ『DD51+20系:急行「おが」』で晩年の臨時急行時代や、気動車急行「おが1号」とペアで季節運転されていた頃の『EF58牽引 急行「おが」 旧客時代』をアップしたことがありましたが、今回は、定期急行として上野~秋田間を結んでいた急行気動車の写真をご紹介したいと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/f5/e5c74293ad20ab2e982b0bce9e666f51.jpg)
昭和52年1月 東北本線 大宮駅にて キハ28800番代を先頭にした急行「おが1号」(再掲)
こちらは過去ログでご紹介したことのある、秋田行き急行「おが1号」の先頭に連結された800番代車です。
まだ国鉄の塗装合理化が始まる前でしたので、修学旅行指定の解除後、一般運用に共通使用されていた頃も、しばらくは修学旅行色のままでした。
昭和52年というと、運用から外れたEF57を追って宇都宮運転所へ何度か出掛けたことがありましたので、電車待ちで偶然撮ったものと思いますが、運が良いと先頭に修学旅行色を見ることが出来ました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/f6/b2a2357e920c680f5402e05a16f9c034.jpg)
昭和55年7月23日 東北本線 蕨~南浦和間にて 秋田行「おが1号」
ブレちゃってます・・・。
当時は、この「おが1号」の他にも「いいで」・「ざおう」と夜行の「出羽」がありました。全ての列車に共通で気動車が運用されており、その仕業は複雑怪奇なものでした。既に塗装合理化後であり、グリーン車の帯は消え、修学旅行色も消滅しています。また、東北急行はグリーン車を除き、晩年まで非冷房車であったことも特筆されます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/ab/fe4e392f14af48301e4672dea95ca361.jpg)
昭和57年1月4日 東北本線 豊原~白坂間にて 秋田行「おが1号」
東北・上越新幹線開業に伴う57・11改正を迎える晩年の頃の写真です。
東北の気動車も多少の冷房化が進んできたのか、先頭車のキハ58冷房車となっています。中間にも2両並んで冷房車が連結されていますが、1両はグリーン車でしょうね。
下りの「おが1号」は上野発が7時過ぎでしたので、撮影の時間帯は良かったのですが、夜行群の到着が終わった後の上り通勤時間帯となっていたため、撮影する機会が非常に少なかったですね。やはり、ヘッドマークとか付いていれば、格段に撮影回数も合ったのでしょうけど。
昭和51年11月に奥羽本線全線が電化したのにも拘わらず、昭和57年11月のダイヤ改正前日までディーゼルのまま走っていた、架線の下の気動車急行の代表格であった列車と言えると思います。
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今日は上野口急行列車シリーズから、気動車急行「おが1号」をアップいたします。
過去ログ『DD51+20系:急行「おが」』で晩年の臨時急行時代や、気動車急行「おが1号」とペアで季節運転されていた頃の『EF58牽引 急行「おが」 旧客時代』をアップしたことがありましたが、今回は、定期急行として上野~秋田間を結んでいた急行気動車の写真をご紹介したいと思います。
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昭和52年1月 東北本線 大宮駅にて キハ28800番代を先頭にした急行「おが1号」(再掲)
こちらは過去ログでご紹介したことのある、秋田行き急行「おが1号」の先頭に連結された800番代車です。
まだ国鉄の塗装合理化が始まる前でしたので、修学旅行指定の解除後、一般運用に共通使用されていた頃も、しばらくは修学旅行色のままでした。
昭和52年というと、運用から外れたEF57を追って宇都宮運転所へ何度か出掛けたことがありましたので、電車待ちで偶然撮ったものと思いますが、運が良いと先頭に修学旅行色を見ることが出来ました。
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昭和55年7月23日 東北本線 蕨~南浦和間にて 秋田行「おが1号」
ブレちゃってます・・・。
当時は、この「おが1号」の他にも「いいで」・「ざおう」と夜行の「出羽」がありました。全ての列車に共通で気動車が運用されており、その仕業は複雑怪奇なものでした。既に塗装合理化後であり、グリーン車の帯は消え、修学旅行色も消滅しています。また、東北急行はグリーン車を除き、晩年まで非冷房車であったことも特筆されます。
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昭和57年1月4日 東北本線 豊原~白坂間にて 秋田行「おが1号」
東北・上越新幹線開業に伴う57・11改正を迎える晩年の頃の写真です。
東北の気動車も多少の冷房化が進んできたのか、先頭車のキハ58冷房車となっています。中間にも2両並んで冷房車が連結されていますが、1両はグリーン車でしょうね。
下りの「おが1号」は上野発が7時過ぎでしたので、撮影の時間帯は良かったのですが、夜行群の到着が終わった後の上り通勤時間帯となっていたため、撮影する機会が非常に少なかったですね。やはり、ヘッドマークとか付いていれば、格段に撮影回数も合ったのでしょうけど。
昭和51年11月に奥羽本線全線が電化したのにも拘わらず、昭和57年11月のダイヤ改正前日までディーゼルのまま走っていた、架線の下の気動車急行の代表格であった列車と言えると思います。
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わたくしが知る限りですので間違ってるかもしれませんがまともに冷房車が多かったのはきたかみとかしらゆきぐらいでは・・・。
折角のキハ581500番代なのに準備工事とは勿体無い。
キハ28800は肉眼では見たことない気がします。
一番下のキハ58ですがもし夏季だとしてもナンチャッテ冷房車ですね。
2両目以降が非冷房車で58単独で冷房が使えませんから。
このキハ58、運転台側のデッキ上にベンチレーターがあることから600何番以降のクルマと思います。
私は東北の奥地ではあまり気動車に逢ったことがないので何とも言えないのですが、上野口では水戸区に集まってしまったようですね。さすがに昭和50年代になると、急行列車で非冷房(気動車・旧客)は見劣りしますね。
おっしゃるとおり、3枚目のキハ58はなんちゃって編成ですね。隣のキハ28は非冷房なので、給電設備はありません。後部に見えるグリーン車とセットの場所だけ、辛うじて冷房が入ります。ほとんど意味ないですね。
東北筋では、「おが」「いいで・ざおう」がありましたが、上手い見分け方ってありますかね。私も結構撮ってたんですが、イマイチ見分けがつきません。
難しい質問ですが、グリーン車が5号車に繋がっているのは同一。区別できるとすれば、「おが」は9両編成、「いいで」「ざおう」は12両編成(「ざおう」運休時は10両編成)なので、列車全体が写っているときは両数を数えれば区別できそうです。あとは前後関係の時間しかないですね。1日の早いうちに写っていたら「おが」。583系「ひばり」の直前だったら「いいで」「ざおう」とかね。
私もこの列車は、上野駅、南浦和辺りで撮ってましたが、これだけの編成両数でから急行らしさがありましたね。
架線下の気動車といっても、「奥久慈」「いいで」「出羽」のように末端区間に本来の意味である非電化区間が存在するのとは違い、「おが」のようにそもそも気動車である必要性がない列車とは趣きが異なりますね。
臨時では「ざおう」「ばんだい」などにも使用されましたが、これはおそらく車両調達上の都合でしょうけどね。
本日は三連休最後の日=明日から夜勤ですが=なのでコメントさしていたゞきます。
上の写真のDC急行が大宮界隈にて見ることが出来た頃、
電車と比較すると雑多な印象が強く、写真右手の赤レンガの機関庫にいた川越線の首都圏色に統一する前のキハ35系の光景以上にスゴかったと記憶してます。
ところで、この時代の大宮駅の高崎・東北線下りホームの南端は今と異なり先端の上屋とたか~い柵がなく、それにまだ新幹線の高架がなかったから逆光に注意すればとてもよいアングルでしたね。
それでは、この辺にて失礼します。
このホームからの撮影は窮屈だったかもしれないですね。むしろ7番線側からの方が撮りやすかったかもしれません。いまでも8番線の先端は狭いですが、この頃はもっと危なかったかもしれないです(笑)。
当時はまだ望遠レンズも持っていなかったですし、駅撮りが精一杯でしたね。北部運転辺りの景色ももっと撮っておけば良かったですね。