9月4日(水) (ギリシャ・クレタ島イラクリオン2日目)
朝食はプールサイドで。
食事は豪華で、私の大好きな果物も豊富。
かわいい坊やのヨチヨチ泳ぎを見ながら最高の気分。
11時、イラクリオンの市内見物に出かける。
イラクリオンはクレタ島の商業の中心であり、
メイン空港とメインポートがあり
市内にはヴェネツィア時代の面影を色濃く残す旧市街が広がっていて、
歴史的な建造物も多い。
まず、ホテルから歩いて20分、国立考古学博物館へ。
クレタ島に起こったミノア文明の遺産の全てがここに集められ、
石器時代からローマ時代に至るまでの出土品が展示されている。
すばらしい現代的な建物で、20室に分れており、
撮影が許されている部屋もあるが、禁止の部屋もあり、
うっかりカメラを構えていると、係員が飛んでくる。
その不可の理由はよく分らなかった。
クノッソス宮殿の壁画を修復した物などもあり、
この後に行く宮殿の遺跡がどういうものなのかとても興味が湧いた。
ここからバスで20分、クノッソス宮殿跡に向かった。
ギリシャ神話にクレタ島のミノス王は、
一度入ったら二度と出ることの出来ない宮殿を建て、ミノタウロスという
牛頭人身の怪物を閉じ込めていた、という話があるそうだが、
考古学者のアーサー・エヴァンスの1900年代の発掘調査によって、
それが神話ではなく、実在の宮殿だったことが判明したという。
クノッソスへ行くと、約3700年前の宮殿がかなり復元されていて、
一辺が160メートル、中庭を持つ複雑な、かなり大きな建物で、
4階建ての部分もあり、部屋の数は
1200以上あったと推定されているらしい。
ミノア(クレタ)文明は紀元前3000年頃に始まり、
紀元前18~15世紀に栄華を誇った。
建築、壁画、貿易、農業などに秀で、
当時の世界最高水準だったとされているが、
紀元前1400年頃に突然滅んだと言われている。
原因は不明だが、
サントリーニ島の大噴火と時期が重なるところから、
地震と津波ではないかとも、後に文明を築くミケーネ人達の
攻撃を受けたからではないかとも言われているそうだが、
私は、地震と津波のせいだろうと思っている。
なぜって、人の力だけでこれだけの物を破壊出来るとは思えない。
3.11の地震、津波の恐ろしさが重なった・・・・。
日陰に入れば空気が乾燥しているせいかとても涼しいのだが、
炎天下は日差しが強く、ジリジリと肌が痛い。
大勢の観光客がズラズラと歩いているが、
帽子をかぶっている人は少なく 、
特に女性は背中をむき出しにしている人も多く、
その背中の日焼けは、日本では考えられないほど痛々しく、
赤黒いシミや真っ黒なそばかすの塊だらけだ。
私は意を決して日傘をさした。
たった一人だった。
2時間ほど歩き続け、入り口横の店で絞りたてのジュースを飲んで
ようやく一息付き、又、バスに乗って町中へ戻った。
いつも思うのだが、日本語のパンフレットもなく、
ガイドもいないのが悔しい!
旧市街地の土産物屋が並ぶ一角には、
最近、日本ではあまり見かけなくなったヘチマや海綿などが
天井からいっぱいぶら下がっており、何だか懐かしい感じがした。
この辺りの人達は、今もお風呂で使っているのだろうか・・・
広場に面したレストランで、客引き(?)の女性に捕まり、
彼女のお薦めで、ギリシャの伝統的な食べ物を頼んだ。
えっ、確かイタリアでも同じような・・・
結局、一皿ずつなのに量が多過ぎて、
二人で半分ぐらい残ってしまったが、味はおいしかった。
伝統的といえば、昨夜もそうだったが、
初めにパンとバター、そして食後にフルーツの盛り合わせが付いてくる。
それは季節によって違うのだろうが、スイカ、メロン、ブドウ・・・
そして、これらは支払いの額には含まれていなかった。
これだけの食事に、ビール、グラスワインも頼んで、
日本円で3000円ほど。
クレタ島は生活のし易い所だと思った。
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