蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

本妻と妾

2016-07-15 | オトコとオンナ

とあるブログを、初めて読んだ。
素晴らしく文章がキリリと冴え渡っていた。
思考回路、目線にしびれた。
それよりも、なによりも、表現の仕方よりも、中身。
お料理も見かけも大事だが味。人間も然り。
その中の、「雀のお宿」の、本当は怖いグリム童話・日本昔話版を読んで、無性に書きたくなった。

本妻と妾。
妻妾同居は、かつて、国の福祉政策代わりに、おカネのある人がやっていた。
国家のおカネを歳出するのではなく、個人のおカネで救済していたと見る。
まあ、それはよいとしよう。(よくないが)

女性が夫と男妾と同居している例は、あまりない。
文豪同士で、元女房をやりとり、交換していた例はあるようだが。
芸術家の岡本太郎のお母さんも、あっちへ行ったり、こっちへ来たりして、芸術を爆発させる元を作っていたのか?
一人の女性に複数の男性。重複・同時進行型。

まあ、それはよいとしよう。(人は人)

愛を勝ち取るための、冷静な戦略。
これは、すごい。
愛でなくても、国盗り物語風の、国家戦略とか、逆に、国を牛耳るための策略とか、
自分の思いを遂げようとすると、情熱だけではなく、知恵と理性と策略と実践力がいる。
強力な優秀ブレーンがいると五重マル。

一時の嫉妬や激情に振り回され、理性を失うのではなく、じっくり自分のもとに夫が帰ってくるような冷静な判断ができる思慮の深さこそ、
これがホンモノの愛だ!!なんてことになるのだろうけれど。
わたしは、策略を練る余裕のある(男女の)愛なんて、クビをかしげる。
愛は常に狂気を伴うものだと思っているからだ。
冷静な慈愛に満ちた愛は、男女間の愛には、ちょっと違和感を感じる。
恋のライバルを蹴落とす方法を、刃を研いで練る、というのも、わからないでもないが。
策略を練るシーンとしては、わら人形系がぴったり、しっくりする。

まあ、それはよいとしよう。

自分のもとに戻ってくるための、緻密な計画を練り、冷静沈着な人って、怖くないか?
善人なのか?
(確かにヨミは鋭いが)
しかも、良い人、素晴らしい人、よく耐えた人、という絶賛評価つき。
狂って、はちゃめちゃしている人のほうが、人間らしくてかわいいような気もする。

物語は、たいがい、「頑張った人にご褒美」というコースが用意されている。
そのほうが、読む人が安心するからだろう。
自分が辛い立場にあっても、地道に努力を続けていると、神様が見てくれている、と思いたい。
うまいことやった、要領の良い人が、のうのうと幸せをつかむストーリーは、不公平で腹が立つに違いない。

なので、気の毒だった人が、頑張って、乗り越えて幸せになる筋書きに、人は惹かれるようだ。
意地悪人間が、はじめは勝っていても最後は、負ける、そういうのが好きらしい。
水戸黄門さま的勧善懲悪が、日本人は、毎日の安心ご飯か。

まあ、それはよいとしよう。

賢い知恵者に対して、いささかの胡散臭さを感じてしまう。
それもそうだが、雀のお宿(本当は怖いグリム童話・日本昔話版)の、最後は奥さんのもとに帰ってくる夫、
このハナシ、出来すぎ。
元妾はもちろんのこと、奥さんにも見放されるほうが、ハナシとしては現実味があり、活気があると思う。

「あんた、いらん。お払い箱」
ぽいっ。

そこからストーリーが始まるほうが、面白い。

(いまや、そういうのも、斬新さや新鮮さに欠けるかも知れないが)


ふと思った。
カネ目当ての元妾が、とっとと逃げていった、あの展開、
「カネ目当ての妻がとっとと逃げていった」にすると、笑うに笑えない、ストーリーになるのだろう。
(第一生命のサラリーマン川柳で優秀作品があった。
「退職金もらった瞬間、妻ドローン」)

元妾は、カネ目当てではなく、愛情を抱いていたとすると、これまた平凡な、お仕着せ倫理ストーリーになって、温度が下がる気がする。
愛情ではない、なにか、ということにすると・・・?
なにか、って、なに?

いったい、どんな展開がいいって言いたいの?と自己ツッコミ。
う~ん・・・
人の数だけ人生はあるけれど、読み物と現実は交差してるのか?

みなさん、自己責任で各々の幸福を追究してください。

 

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好みのタイプ

2013-09-03 | オトコとオンナ

異性の好みについて。

これは、何度か書いたかも知れない。
そのときは、本気で書いているのだが、なにを書いたか忘れた。
なので、同じことを書いているのか、あるいは、ぜんぜん違うことを書いているのか、
自分でも確信が持てない。

そういうのって、無責任で、だめですが。
しょせん、「異性の好み」なんて、一方通行、言いたい放題であり、それがどうした?の世界なので、
誹謗中傷をしなければ、よしとしよう。

で、前置きが長い・・・わたしの、異性の好みは・・・。

好みが、・・・ない。
驚きの実態である。
まったくない、と言ってしまうと、言い過ぎかもしれないが、
キライなタイプ以外なら、なんでもOK。
と、ここまで書いて、最近、書いたことがあるなあ・・・と思い出した。(キライなタイプが多いと)
まあ、いい。
今回は、異性の好み、つまり、「男性」としての好みに言及してみよう。

性格は、二の次で、見かけ、雰囲気、オーラだけについて。
これは、一般的な人気俳優とか、素敵な人であれば、当然ながら、ぜんぜん否定する気がない。
そういう人たちは、人よりカッコいいから、美点の延長で俳優になっているのだから。

一般の人でも、カッコいい人、これは、素直にカッコいいと感じる。
カッコ悪い人は、カッコ悪いと感じる。
それだけだ。

カッコいい人が、好みで、カッコ悪い人は好みではない、と仮定すると、
世の中に多くいるカッコ悪い人は、男性も女性もモテなくて、恋人もできなくて、結婚もできないことになる。
でも、そんなことはないようなので、それなりに、他の要素を加味して、カップル誕生となるのだろう。

自分を顧みて、自分に合う人をチョイスする。
身の丈に応じた人を選ぼうとする。
これにアンバランスが生じると、相手をゲットできずに、武士は食わねど高楊枝になる。
絵に描いた餅では、お腹が減るので、適当なところで妥協する。
最高を目指すものの、無理なら、少しずつレベルダウンしていく。

わたしは、決して美人ではない。
なので、ハナから美男は視野に入れていない。
もし、美男をゲットしたければ、それ相当の、自分が不足している分を追加しなければならない。
かなりの努力が必要だ。
尽くすだの、愛情を目いっぱい掛けるだの、知恵を駆使するだの、お金や権力でモノいわせるだの、
・・・
お金や権力はないので、せいぜい、知り合いのところに就職のお世話の口利きをする程度だが。
しかも、いまや、その力も及ばず。

美人でもなく、プラスアルファの魅力、力もない自分が、カッコいい人を求めたところで、
たんなる片思いになるだけで、つまらない。
わたしは、部屋の壁に好きなスターのポスターを貼るタイプではない。
コンサートで、キャーキャーいうタイプではない。
実際に具体的なお付き合いがない、自分に、関わりとして、おぼよす実態のないものには、興味を抱かない。
ああ、カッコいいね、あの人、と、いう程度だ。(ああ、今日は、暑いね、涼しいね、というノリと同じ)

自分から好みがない。自分から発するものがない。
無意識であったとしても、挨拶するときに、にこっとするか、にたっとするか、ぶすっとするかで、
若干、そういう反応は、自分が持つ「好み」のバロメーターとなりそうだが。
仮に好みがあったとしても、相手にその気がないなら、即、あきらめる。
執着しない。
太陽の光を受ける地球みたいなものだ。
受身一筋。

で、・・・
少々、好きでなくても、相手が好いてくれたらそれでいい。
ご飯が美味しくなくても、お腹が膨れたらそれでいい、という、戦後間もない頃のような状況。
べつにカラカラに枯渇しているわけではないのだが、こだわりがない。
好かれることに対しても、こだわりがない。

カッコ悪いより、カッコいいほうがいいが、べつに、どうってことはない。
男であろうが、女であろうが、子供であろうが、年寄りであろうが、
美しいものは美しいし、そうでないものは、そうでない。

書いていて、ふと思った。
これって、異性分野を卒業しているのだろうか。冷め過ぎ。
干物というわけでもないとは思うが。

でも、いちおう、女であり、
ちょっと不思議な謎の生命体みたいになっている。

・・・

風景画がいかに美しくこころを和ませてくれても、実際の風景に勝るものはない。
逆の場合もあるけれど。
現実より、夢の世界が一番で、空想が広がり、自由に描けるし、傷つかない。
だが、そこから一歩も出ないというのは、あまりにも哀しく、侘しい。


わたしは、見た目よりも、お互いの関係性を第一とする。
いくらカッコよくても、関わりがない人なら、いないも同然。

見た目は、中身を包む、包装紙だ。
そして、包装紙がいくらよくても、開けてみたら、なああああんだ、なんて、そういうことも大いにありえる。
どんなにカッコよくても、中身がイマイチなら、まったくイマイチだ。

最近、包装紙から中身を想像できるようになってきた。
この包装紙は、凝っている、高そうだ、内容もお高い、上質なものに違いない。
だが、中身は、価格comで選んで取り寄せたモノと同じだったり。
開けるまでの期待感。
(包装紙を楽しむ楽しみ方もあるが、時間、労力、モノの無駄、反エコという見方もある)
過剰包装お断り、の、むき出しの商品もある。
味気ないかも知れないが、中身で勝負。


ま、なんでもいい。


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自分の道

2013-08-11 | オトコとオンナ

昨日の自分のブログを読んで、ふと思った。
優秀ではない男性は、DNAを残すな、と、とらえられる可能性もある。
そんなことは、決して言っていない。

結婚していて、妻子がいるのに、公然とフーゾク通いを肯定している男性の意識、感覚について、
わたしが感じたことを書いた。
未婚なら、どうそ、ご自由に。
そういう行動をする男性を、女性であるわたしが、どう捉えているかは、別として。

シングルマザーは、たいへんだから、
どんなに非力で、なよっとしていても、家庭に成人男性がいるのと、いないのとでは、大きくちがう。
そりゃあ、部屋から一歩も出ず、部屋に差し入れられた食事だけを食べる成人男性なら、
家族も悩みや不安のもとになるだろう。
そうでない、一般的な心身ともに健康な(できれば勤労)男性であれば、
すご~い優秀極まりない、立派な人でなくても、十分だ。

お年寄りができないようなことを、手助けしてくれる、とか、
それだけでも、とても助かる。
ましてや、赤ちゃんの子守、育児、これをサポートしてくれる、
子供と血がつながった実の父親でもある、成人一般社会人男性が、同じ屋根の下にいてくれると、とても助かる。

どんなに弱弱しい、だめだめDNAでも、二人で一生懸命、家庭を築いてくれるのなら、
頼もしい。
パワフルで、あちこちにDNAを撒き散らしている男性より、ずっとずっといい。

ダメな奴で、家庭もほったらかし、しかもDNAも外に撒き散らしている、そんな既婚男性が、
けしからん、と言っているのだ。
ダメダメじゃなくて優秀な、あるいは、アタマは優秀じゃないけど、別方面が強い、しかも、超金持ち男性で、
妻を5人ぐらい持って、各、家庭を維持させている既婚男性が、
6つ目の家庭を持つことに関しては、文化の違いもあり、言及する気がないが。
(日本では重婚になります)

・・・・・・・・・・

フーゾク通いや浮気に関して、奥さんが、なにも言わないケースがあるとしたら、
お互いがそれで納得しているのであれば、まったくの仮面夫婦であり、
いろんな価値観があり、それはそれで、その家庭は成り立っているのだから、
他人が口を出す問題ではない。

わたしなら、いやだ、というだけだ。(というか、皆、夫婦であれば、いやだろう)
いやだけど、仕方ないから、我慢するチョイスと、
仕方なくないようにする手段、方法を考え、具体的に目標、プランを立て、それに向かって努力、実践するチョイス、
ふたつの選択肢がある。

おこがましく、体験談をべらべら自慢げにまくし立て、
だから、こうしなさい、と、アタマから決め付ける、ご親切な方もおられるだろうが、
そんなの、うっとうしい限りだ。

どちらを選ぶかは、各人の好きなようにすればいいい。

 

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いずれ、捨てます。捨てられます。

2013-08-10 | オトコとオンナ

男性はフーゾクに通っても、なんのお咎めもないのに、
女性は、そんなことしていたら、とんでもない。
第一、プライドが邪魔して、お金を払ってまで、女性は、そんなこと、ありえない・・・

そんな意見を、とあるブログで読んだ。
一般的に感じる、ふつうの感覚だと思う。
が、・・・

これは、男性の体の機能、構造、メカニズムからそうなるのか、
男性が自分が都合のいいように理屈付け、言いくるめ、世間の常識であるかのように、
納得させ、その説を定着させているのか。

石器時代から、男性は外で狩をし、女性は家で料理。
その刷り込みDNA?

石器時代は、女系家族。
父親は、どこのだれかはっきりしなくても、母親は、確実だ。
自分が生んだ子供を自分たちで育てる。
母親が核となり、子供たちがいて、母の母もいて、母の姉もいて、男たちは(どこかに)いる。

動物もそうだが、優秀な子孫を残すためには、メスは優秀な遺伝子を持つオスを厳選する。
オス同士も戦い、メスを手に入れる。
ダメなオスは、負ける。
メスは、この、見極めが要だ。

しょもうないオスの子を生んで苦労しないよう、動物的勘、五感、六感を駆使して、
さらに各種情報を手に入れ、メスは、よいオスをゲットし、自分の身を守り、繁栄させる。

よいオスは、引く手あまたで、あちこちで、優秀なDNAをばら撒きまくり、
周囲には、そのオスの子孫だらけとなる。
しかし、優秀なDNAなので、滅亡することはないのだろう。

とすると、オスのやりたい放題を認めるカタチになる。
が、違うのは、優秀な遺伝子を持つオスに、その特権がある。
優秀ではない、メスに相手にされないオスは、やりたい放題する甲斐性はないはず。
なのに、しょうもないオスが、あちこち、しょうもないことをして、他のメスを泣かせる。

メスも、しょうもないオスなら、相手にしなければいい。
一時の気の迷い、と思って、切る、捨てるべきだ。

第一、今は、石器時代でもなければ、封建時代でもない。
そんな、古代のことにさかのぼり、優秀なオスは、あちこち、ばら撒きまわってもいい、なんて、
もし、本気で思っているオスがいるとすると、石器時代に戻るべきだ。

新興宗教なんぞで、ハーレム状態の集団もあるようだが。
宗教がからむと、わけがわからない。
一般常識を振りかざしても、なんの役にも立たない。

文明社会になっている近代、男性のそのような行動は、女性にとって許せるものではない。
それを堂々と、許しているのは、女性も悪い。
お互い、ギブアンドテイクで、お金さえもらえば、あとは、どうでもいい、
と割り切っている場合なら、各家庭の事情で、それぞれが納得しているのだから、
まわりが、どうこう言う筋合いではない。

ただ、それは、その家庭の内情である。
そんな内情ではない家庭では、同じ考えを持たない。
なので、冒頭に書いたことは、一般論かも知れないが、わたしは、許容範囲を超えている。
そんな男性とは、縁を切る。

縁が切れない事情は、各家庭にあるだろう。
経済的なことが、いちばんにあることだろう。
離婚して、生活の質を落としてまで、苦労はしたくない、ということもあるだろう。
なので、外野、部外者は、なにも言えない。

各人は、各人の道を進むべきであり、他人が関与するには至らない。
わかりきったようなアドバイスは、時として、うっとうしい。
アドバイスどおりに、できれば、とっくにしている。

しかし、時機が来たら、おそらく、なんらかの展開が開けると予測している。

女は、怖い。
コップの水が徐々にいっぱいになって、溢れる日まで、
じっと刃を研いで出番を待っている。

 

 

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厳しい目は、ほどほどに

2013-07-16 | オトコとオンナ

アラサーの女性たちの会話。
一人は既婚、一人は未婚。
男性に対する評価が厳しい。
う、う、う、・・・となってしまう。

経済観念、生活信条は、結婚する上で、大きなポイントとなるようだ。
年齢、年収、貯蓄額、・・・たんに貯蓄額だけではなく、キャッシュフローも問題だそうな。
付き合っている間に、見極めるのが大事だとか。

バブリーな男性は、結婚向きでないから、やめたほうがいいそうだ。
実際はイケメンなのに、イケメンではない男性がいるらしい。
自信なさげで、どっかの理系の大学院あたりに、ごろごろいるそうな。
もったいない。。。

逆に、イケメンモテ風、というのがいるらしい。
顔はたいしたことがないけれど、モテ風、イケメン風なんだそうだ。
雰囲気、オーラらしい。性格や行動から来るものらしい。
関西でいえば、某私立大学のテニスサークルあたりにいるんだと。
女子高校生向きの雑誌に、憧れの大学生活で紹介されていたらしい。

へ~~~~。

見かけがよくて、中身がよくて、頭がよくて、いい仕事の人は、
なかなか、そこらへんには、ごろごろしていなくて、知り合う機会がないらしい。
そういう人は、学生時代(東大とかなんだろう)に彼女を見つけるのか?
いや、女性に目ざとく見つけられて、早々に、つかまってしまうのだろう。
一級品は、売約済み。
なので、社会人になってある程度の年齢になると、どれかを妥協しないと、相手はいないそうだ。

妥協するのは、見かけと、年収。
妥協できないのは、中身。性格。生活信条。

だらしない人や、怠惰な人、やる気のない人、マイナス志向の人、ダメンズ、・・・
そんな人とは家庭を築き、子供を育てる気にならない。
ある程度、自分も稼がないと、理想ばかりは言えないけれど。

しかし、ある程度、自分が稼ぐと、なにも、気乗りしない相手と結婚する意味がなくて、
結婚に対するハードルが高くなってしまい、モチベーションは低くなってしまう。
だって、自分でお金を稼ぎ、住む家はあり、生活は安定し、じゃあ、
よほど気に入った人でもない限り、今の生活を手放すことはないし。
ダメンズが寄ってくる場合もあるけれど。(事件にもなっていた例がある)

生活の質が落ちるような結婚を望む人は、あまりいないだろう。
全てを捨てて大恋愛の末に。。。なんていう年齢ではないし。

とすると、気の毒なのは男性。
まあ、女性と同レベルであれば、問題はないのだが。
サークルなどで自然に出会えればいいね。
と、他人事なので軽く考える、わたし。

同じようなレベルの人同士が、同じような価値観を持っていて、同じような生活信条だと思うので、
お互い、惨めになることもなく、高飛車になることもなく、
ほどほどの相手とカップルになればいい。

ということで、娘たちのまわりは、まだまだ結婚ラッシュが続いている。

 

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丸呑み

2013-05-28 | オトコとオンナ

オトコとオンナ、絶対的な性差がある。
絶対に越えられない、深い深い溝がある。
なので、わたしは、オトコを「理解しよう」というよりは、「理解できない」、ということを理解している。

丸呑みである。
理解できないし、大嫌いだけれど、とりあえず、まるごと噛まずに、砕かずに、呑み込んでしまう。
そのうち、胃液やらなんやらで、じんわり溶けてくる。
ただし、もとのカタチはない。

蛇が自分より大きな獲物を丸呑みするのと同じ。
呑んだあとも、ひたすら、じーーーっとしている。

死ぬまでオトコなんて、理解できない。
その逆も言える。
オトコは、オンナのことを、まったく理解していない。
おたがいさまだ。

でも、付き合っていくんだから不思議なものだ。
お互い、ないものがあり、それが吸引力となる。
理屈ぬき。

ないものを補充し、あるものをパワーアップし・・・
なんて、アタマで考えない。
そんなの、めんどう。
(ちなみに、まったく学術的根拠はないけれど、めんどくさがりは、B型の特徴だそうです)
だいいち、理屈のないところに、思考はいらない。

相手を必要とするかしないか。
大きな枠、くくりで受け入れる。
どうしても受け入れられない部分は、・・・どうするかなあ・・・
こころのなかで、相手を殺す。
死んでいるから、べつに平気。
でも、お腹のなかで、ときどき暴れたり、ちくちくお腹が痛んだり、
丸呑みしたものが、悪さすることもある。


オトコという生き物、
わたしが知っている限りでは・・・
見栄っ張りで、いいかっこしいで、優越感に浸りたくて、
でも、寂しがりで、かまってほしくて、甘えん坊で、子供みたいで、
そんなかんじだろうか。
芯のところは、繊細で、もろい。

オンナは・・・と、ひとくくりにしては言えない。
オトコだってそうだけれど。

ちなみにわたしの場合、明らかに中性。
おじさんでも、おばさんでもない。
少女や、少年、児童、幼児、・・・、
どんどん低年齢化して、ベビー路線かも。
「She」 「He」で表現するのではなく、「It」。中性単数。
これ、今の自分に、けっこう、気持ちよく、ぴたっとくる。

と、佳境に入ってきたところで、
皆が起きてきて、パソコン周辺は大会場と化してきた。
こんな「オトコとオンナ」あれこれ論を書きながら、
コーヒー入れたり、おにぎりにぎったり、デザート用意したり・・・

もう、入力続行は無理なので、ここで終了いたします。

 

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失望させて、すみません

2013-02-11 | オトコとオンナ

今のわたしの恋愛観は、けっこうキレイなものになっていると思う。
(注)「恋愛観」であり、「恋愛」ではない。あくまでも。
汚いものをするりと、通り過ぎたかんじか。

かつては、どうだったか、忘れてしまった。
覚えているとしても、忘れるほうが、今となっては自分のこころは気持ちいい。
忘れたことにする、忘却・確信犯。

わたしは、いつも、醜い、こころの裏ばかりを掘り下げて書いているかも知れないが、
恋愛に関しては、残念ながら、読む方々の溜飲を下げさせるような、そんなご期待には、まったく応えられない。

つるん、と、ゆで玉子の殻をむいたような、すべすべしたかんじか。
書けば書くほど、
パソコンやケータイの、向こう側の皆さんの、みるみる失望感が増す、がっかり感ありありの顔が見えるようだ。

でも、仕方ないじゃないですか。
自分は、自分、わたしは、わたし、なので。
皆様のために、わたしは、あるわけではなく、わたしのために、わたしがあるわけで。

恋愛関連で、もがき苦しんでおられる方々のブログを見ると、
「ご苦労様!!」
と、肩をぽんと軽く叩きたい気分になる。
「頑張って!! 」
と、明るく声をかけたい。
次に続く、
「頂上まで、あと少しかも知れないし、
永遠に頂上になんか、たどり着けないかも、・・・それより、頂上なんか、ないかも知れないけどね」
という言葉は、ごくんと飲み込み、笑顔だけを送る。

人の恋路を邪魔する気はまったくない。
頑張ってください。

ただし、ここで、文学や、芸術のジャンルから、ころげ落っこちる。
エンタメも、ダメかも。


わたしは、恋愛「卒業」とはまた違う、別のコースに行ってしまっている。
思いもよらぬ、軽快で爽快で、・・・とってもすっきりした、ぬける青空のような、そんな世界。
そう、・・・卒業したわけではない。
まさに、コースが変わった。

おどろおどろしいのは、や、だ。

年とった?

「年のせい」と言ってしまえば、すべて、終わってしまう。
免罪符か、ドラキュラの十字架か、水戸の黄門さんの印籠か。

自分では、なんでもかんでも年のせいだとは、捉えていないけれど、
ひとつひとつ、悩みが、しゅーっと消え、けっこう、ステキな気分になれて、いい調子だ。

考え方が、変わったようだ。
植物が、太陽の光のほうばかりに向かって伸びるように、明るい方にしか、向かないようになったのかも?
暗くて、じめじめ湿度が高いほうとは反対の向きに、向かいたがっているように思う。
嗜好、志向の変化か?

暗いのは、やっぱりキライだ。

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どうせ、わたしは・・・ヒネ枯れススキ。

2013-01-24 | オトコとオンナ

恋って、不思議。
むかし、むかし、大むかし・・・布施明という歌手が歌っていた。

「恋というものは・・・不思議なものなんだ・・・
・・・逢えばまた切なくて、逢えなけりゃ悲しくて、逢わずにいられない・・・」

 
そもそも、恋なんていう不安定な精神状態、これは、精神衛生上よろしくない。
しかし、芸術や、小説、映画、その他、これを主題に、メインテーマに多くの作品が描かれている。

ある人が言っていた。
「結婚して、すごく、ホっとしてるの。
これで、もう恋に振り回されなくて済むから」


わたしは、子供の頃、家で鏡に向かってメークをしている母に聞いた。

「ねえ、なんで、もう結婚してるのに、おかあさんは、お化粧するの?」

誰に教わったわけでもないのに、幼いわたしのアタマの構図では、
女性美アピールは、結婚するための、オスを捕獲する策略みたいなものだと考えていたのだろうか。
マセている? 冷めている?
あるいは、子供の頃から、人生に対して見えるものがあった?

その時、突拍子も無いことを言い出す、小さいわが子に、
母はなんと答えたか、覚えていないが、おそらくわたしを納得させる答えではなかったに違いない。


シンデレラ姫は、王子様と結婚して、めでたし、めでたし、幸せになりましたとさ。
こうやって、ストーリーは、ヒロインが結婚して完結していく。
だが、本当のストーリーの始まりは、結婚してからだ。

しかし、めいっぱい脅すと、誰も結婚なんかしなくなるので、
神様は、恋キューピットだかなんだか、を、チョコレート業界と結託、提携、グルになって、
恋の魔法をかけて、目潰し、目くらまし忍法で、人々を結婚へと導いていく。

あんなに激しく燃えた恋、
この人がいなければ、太陽も昇らない、と、胃がキリキリ痛むほどの想い。。。。
で、隣で大いびきで寝ている、この人は、誰?
一夜が、10日になり、1ヶ月になり1年になり10年になり、現実が横たわる。
しかも、この現実は、不動のものではなく、さらに悪化するケースもある。
(好転するケースもあるけれど)

PL法をかざして、不良商品、不法販売法だ、悪徳商法、こんな欠陥商品、どうにかしろ、
と思ったころで、身動きは取れない。
かくして、神様の仕組んだ罠に、はまるわけである。
それが、男と女、人間の幸せなんだけれど。
神様が人間に与えた二大プレゼントのひとつだ。
一つは、恋、一つは、惚け。

と、ここまで延々と書いてきて、
で、わたしは・・・?

書きたくないが、書きたい心境のときもある。

わたしは、猛スピードで突進して、相手を追い抜き、恐れ、怯え、うんざりさせ、
直撃、激突、激つぶれ、沈没、自滅パターンを繰り返している。
突然、いきなり上がる炎は、相手を一目散に逃がし、
火の手を止められないまま、自分を焼き、
消防士さんに放水された後、壁は焼け落ちたが、残った黒焦げになった骨組みや生活用品が、水で、びしゃびしゃ。
なので、恋が成就したことがなく、すっぱいブドウ、そのものだ。

この豊富なワンパターン失敗例のせいで、自動制御装置が働く。
強烈なブレーキが、き、き、き、き~と、かかる。

想像力ばかりが、逞しくなる。
(想像だけの世界ってのも、哀しいものがあるが)

相手が自分に対して持つ気持ちとは裏腹に、勝手に炎が不意に燃えてしまったとき、
(一言で言うと、それを「片想い」という)
それは、消すしかない。
苦労して消して、やれやれ、と思っているところに、また炎をつけられる。
これは、火元から、火種から遠ざかるしかない。
君子、危うきに近寄らす。
一人芝居で、一人で疲れて、苦しいだけだ。
アップダウンの振幅に振り回されるのは、心身ともに消耗するので、こころを水平にフィックスする。
動かないように、地震防止用の家具転倒ストッパーみたいな頑丈な器具を、がしっと、つける。
早い話、傷つくのが嫌。

そのうち、こころも動かず、なんともなくなるだろう。
湿気たマッチを擦り続けて、力尽きたいところだが、哀しいかな、わたしは、マッチが、なかなか湿気ない。
充分な火力を持ちながら、外に出ることが出来ず、赤い顔をして中で暴れまくっている。
ほっておくと、自然発火しそうになるが、しない、その闘い。
根気、スタミナがあるのも、善し悪しだ。


この火力を化学変化させたり、工夫したりして、別の分野に使うことができれば、たいしたものなのだが。
例えば、研究や、開発、仕事、ボランティア活動・・・などなど。
そう理屈通り、うなくいかないから、法律があったり、警察があったり、芸術が生まれたりするのだ。

恋のメカニズムは、科学的に分析すると・・・生理学者やら、生物学者やら、動物学者やらが、
なんたら、こーたら、いろいろ、解明に尽力している。
「性科学」なんちゅう学問もあるようだし。

わたしは、年齢が、ぐぐっと上がっているので、ズバリ「そのもの」に対する興味は卒業の感がある。
下ネタのどこが悪い?という、下ネタの正当性を訴える理論を展開されても、
それは、各個人の感じ方なので、どちらが正しいというものではないし、自分の意見を押し付けるつもりは毛頭ない。
超個人的見解、感想、趣味では、わたしは、下ネタはお下品であると感じる。
お下品と感じない人、下ネタが大好きな人がいても、全然問題ではない。
わたしが、下品だと感じるだけであって、毎日、地球の回転する動きに、なんの影響もない。

それはそれで、置いといて・・・
疑問は続くよ、どこまでも。

好みでもなければ、理想でもない、共通点もない、まして、好かれてもいない人を、好きになるのはなぜだろう?
おそらく、状況設定、かかわり方のあたりに、原因を解くカギがあるように思う。
道行くすれ違う人や、テレビやスクリーンの向こうの人に熱をあげるのは、まあいいとして・・・
出会うタイミング、頻度、偶然性、神秘性、
47番目や48番目のAKB48みたいに、ぽっと出の前から応援している親近感、手の届きそうな距離感。
無視されるわけでもなく、そこそこ応えてくれるけれど、かといって、深くは相手をしてくれない・・・
そういう、付かず離れずのバランス、はらはらドキドキ感が、
じつに、効果的な刺激的な香辛料となり、絶妙な働きをする。
スパイシー効果は、絶大だ。

で、目がスパイスでやられ(目潰し効果)、
自分で勝手に想像した、実際の実体とは違うイメージ像に振り回される。
目潰し期間が過ぎ、だんだん目が見え始めてくると、あれ?これは誰? こんな人だったの?
となってくる。
目が慣れると同時に、お互いに対する気合も弱まり、緊張感が緩む。
(その代わり、馴染んでくる)

若いうちに亡くなった人は、永遠に若い。
恋も、成就しないうちが華。
永遠に、こころがキリキリ痛んでいるほうが、夢がある。美学がある。

そんな、ひねた見方ばかりしていても、
松本幸四郎ご夫妻や、三浦友和・百恵ご夫妻のように、素晴らしい(ように見える)ご夫婦もいる。
しょせん、ひね曲がった人間には、まともな人とは、カップリングできないのだろう。
まともな人は、お互い、素通りしてしまうのだろう。

で、ヘンな、わけアリみたいな者同士が、ケンカしあって、嘆きあって、芸術や趣味に逃げ、
柔和な顔どころか、ヘンな顔の老人になっていくのか。
(あ、これはリアル世界での話で、ブロガーさんを指していません)

地球の自転を妨げてはいないから、まあいいか。

でも、枯れきることができないで、そのまま、干物になると、すごくクサイ。
そういう、臭さがウリの食べ物も、あるけれど、そんなのが好きな人は、とてつもなく変わり者だ。

変わり者は、変わり者の、妖怪世界でしか生きていけないのか。
素人さんや、一般人を好きになってはいけないのだ。

 

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恋のお値段

2013-01-13 | オトコとオンナ

さて、今日は、時間が読めない。
が、恋のお話を・・・。なんの脈絡もなく書く。
不甲斐なく突っ込みきれないとしたら、笑ってお許しを・・・。

いつも、家では、ほぼ一人の時間を満喫しているわたしだが、
別の人間が、長期に複数、滞在するとなると、かなりペースが乱れる。

とくに、ブログ更新。
いつ、なんどき、強制終了となるかも知れず、はらはら、どきどき。

彼らが、外出する予定がある時はよいが、今日のように、まったくその予定がない場合、
パソコンタイムを確保するのに、骨が折れる。
彼らが、寝ている間しかない。
夜は、彼らがパソコンを使う時は、わたしは先に寝る。
(使わなくても、パソコンタイムなしで、寝る)
彼らに、リビングダイニングを明け渡す。
で、わたしのパソコンタイムは、朝、彼らが起きてくるまでの間になる。
(それが、何時になるのか、まったく見当がつかない。風まかせ)

と言いつつ、よそさまのブログをうろうろしたり、メールしたりして、貴重な更新タイムを圧縮している。


ちなみに、・・・
毎朝、読み逃げしている、ある、お気に入りブログを読んで思ったこと。

通常の日常を、独特のティストで表現するテクニックは、素晴らしいと感じる。
つい、影響を受けてしまうが、気持ちに余裕がないと、キーも、すらすら進まない。
今も、書きたいことはあるのだが、いつ、中断しなくてはならないか予測できない状況では、
なかなか、難しい。

と、ここで、キーが止まる。

昨夜、滞在中の彼らのうちの一人が、キー入力している音を聞いた。
すごいスピード。
カチャカチャカチャカチャカチャカチャ・・・・・。
やはり、若い人は、勢いが違う。
止まらない。一気だ。
指は、見えない。ぼわっとした、薄い色だけ。カタチはない。
「チビクロサンボ」に出てくるトラが、木のまわりを回って、バターになっているかのごとく。

と、また、ここで、キーが止まる。


とある人の、お話を読んで、ふと思った。

恋について。

思春期の頃は、青い恋、甘酸っぱい恋。
カラダと、こころの、アンバランス時期。

オトナになると、激しい恋。
青春の門を突破。

中年は、ぎとぎと、ぎんぎんの恋。
官能の雨、嵐。ただし、個人差、大。

熟年・壮年は、恋の総集編、総ざらえ、おさらい編。
こころも、カラダも、役目を終える、一歩前。
人によっては、さよなら現役・狂い咲き時期。

老年は、縁側ぽかぽか、お茶すすり恋。
こころは、枯山水。カラダも、枯山水。
仙人の恋。水墨画の世界。欲も、なんにもない。
いいな~。
(現実では、病との闘いだったりする)

恋は、こころと、肉体が、リンクする。
リンクするからって、肉体的に必ず行動に移るとは限らないけれど。
お金を持って、ショッピングに行くのと、お金を持たないでショッピングに行くのとの、違い。
商品とお金。プランとお金。
いくら、いい商品を見つけても、そもそも買うお金がなければ、商品を見て選んでも、意味がない。
プランを立てても、実行できない。
買うお金があっても、買わないこともある。
プランを練っても、実行しないこともある。

恋を「払えるお金」でシュミレーションしてみると・・・

青春時代のお金は、小額。
でも、何日もウインドウショッピング、ネットショッピング(ただし、見るだけ)
プラン練り放題(ただし、練るだけ)

オトナになると、ローンも可。
保険加入もあり。

中年は、ローンの支払いに、追われる。
時には消費者金融。
保険を解約することも。

熟年・壮年には、満期になった定期預金。
利子だけ使うのもよし、全額、預けかえるのもよし、継続するのもよし。

老年は、年金で細々と。

なんだか、銀行か、生保会社のライフプランみたいになってきた。
この例えは堅実すぎて、夢がない。


と、ここで、タイムアップ。
いきなり、オチなく、突然、終わります。謝謝。



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捨てた女が悪いのか、捨てられて泣く男が女々しいのか

2012-12-22 | オトコとオンナ

昨夜は、社交ダンス仲間との忘年会があった。
総勢、6名。
社交ダンス関係、面々の内部の、おどろおどろしいハナシ、内情、内幕を聞いて、
げんなり、がっかり、がっくり、嫌気がさした。


社交ダンスは、特に競技ダンスの場合、男性と女性がペアになるので、なにかと問題が起きるらしい。
恋愛から結婚するカップルも、よくある。
ご夫婦で、現役競技選手や、教室を開いている人もいる。


ただ、ペア解消やら、別れたり、ひっついたり、涙や恨みを伴うことも多々ある。
昨日、会に顔を出していたTさんは、
別れたパートナーが、別の男性と組んで、今ではA級(トップクラス)のパートーになっている。
その元パートナーのことを、
「彼女のほうが、上達が早くて、ペアを解消した」と前は言っていたのに、
昨夜は、お酒が入ったせいもあるのか、もう解消して4年にもなるのに、恨みがましいことを言っていた。
女性であることを武器にして、上手な男性に取り入り、ダンスの技術を盗む、と。
ダンスのためなら、なんでもする、と。


Tさんは、恋愛とダンスをごっちゃにしている。
が、競技の練習では、1週間に4日もいっしょに踊っているから、配偶者より共にいる時間が長い。
当然、男女の愛も生まれる、そうだ。


Tさんは、捨てられたわけである。
が、Tさんを乗り越えて、もっと上の人とくっついて、ますます向上したことの、どこが悪い?
怨み節など、聞きたくなかった。
恋愛においては、情というものが付きまとうが、競技の世界には、情などいらない。
そんなことに振り回されたら、勝てない。

元彼女(元パートナー)は、今、ペアを組んでいるの男性とも恋愛関係らしい。
Tさんも、元彼女と、毎日、顔を合わせるわけでもないんだから、もう忘れたらいいのに。
彼女を引き止めるだけの技量が伴わなかったんだから、しかたない。
切磋琢磨して、次のパートナーを探して彼女を見返すか、(でも、年齢的にみて、現状維持がやっとだと思われる)
自分より、うんとレベルの低いパートナーに、また一から教えるか。
愛も同時に注いで、また踏み台にされて捨てられても、それはそれで捨てられるまでには、情熱の日々がある。


男性は、昔の彼女のことを、くよくよと引きずる傾向にあるようだ。
女性は、過去は、さっぱり、きっぱり捨てて、現在進行形のものを大切にするように感じる。


「ダンスのために、女の武器を最大に利用して」と、Tさんは元パートナーを非難するが、自分だって利用された一人。
いい思いをした時も、あったわけで。
蜜月の甘い記憶が残っただけでも、いいじゃない。
最後のどんでん返しで、恨みが残ったようだが。


元パートナーは、女の武器を使っているのではなく、相手を次々に好きになっただけなのじゃないかと思う。
男と女とでは、受け取り方が違うのか?


でも、捨てられた人って、たいへん。
恋愛のおどろおどろしい、愛欲、愛憎の泥沼。うげげ・・・。
そういう類、昼ドラだけで充分だ。


現実の世界では、
わたしは、ナマの血のように、へんに生あたたかい、ああいうハナシは、キライ。
おかげで、昨夜は、へんな夢を見て、延々と夜明けまでストーリーが続いた。
ただし、後半は、天才と狂気と、ありえないギャグの展開になっていて、なにがなんだかわからなくなっていた。
どうなっていくのか、おとなしく、夢のストーリーを鑑賞していた。

そのせいで、今朝は、朝ドラ「純と愛」に遅刻した。
(土曜日だけれど、平日と同じタイムスケジュールで予定があるのに・・・)
その後も、引き続き遅刻だ。
 


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