蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

体調悪化は、なぜ?

2024-05-12 | お出かけ
さて。
今日は疲れた。
毎日、そう言っている。
疲れた、と言わない日は、何もすることがなく退屈だった、と嘆く。
悪い状態だ。
やはり、ミニ鬱?
かなり体調が悪い。
医療機関に出向き、受診しようかと思うぐらい。

お墓の写真をバシバシ撮ったから罰が当たった?
12キロ、ウォーキング、白洲次郎のご先祖様を巡る。参加者は90人?
お墓のあたりから急に体調が悪化した。
「お墓の写真は撮ったらだめ、って言われてますね」と、参加者の女性の言葉が妙に引っかかる。
宗教分野、スピリチュアル分野は、ひとそれぞれ好みがあるから、何も感じていない人にとっては、鬱陶しいことこの上ない。

かつて、姑Aの「占い」に家族中、いや、親戚中が、振り回された。
わたしは、たまたま強いメンタル(無神経、鈍感)だったため、(それと打算=言うことさえ従っていたら、あとは全くなんのクレームももたれない)姑Aの占い内容に従った。
姉にも言うと、姉は、姑Aの占い内容を一切姉には知らせるな、とわたしに釘を刺した。
気が悪いからだ。
人の運命や行く道を、いちいち占いで指示されるなんて、鬱陶しい人にとっては鬱陶しいだろう。
指示に従わなかった人の運命の下降線を確かめて、生きた見本、材料にするあたり、本当に気が滅入る。
ほらほら、やっぱり事故、病気、不幸はあのせいだ、なんて、タチの悪い新興宗教のようだ。
あまりにも姑Aが熱心(うるさい)ので、皆んな、渋々従っていた。
やがて晩年、姑Aは自分の健康だけで精一杯、人のことに口を出すほどの余力がなくなって、占いどころではなくなったようだ。
家族のことを思う気持ちはよくわかるが、迷惑以外の何ものでもなかった。
家族の安全や無事を祈るのはお百度でも踏んで自分の行動で完結してくれるならよいが、「◯年◯月に、◯◯に移動しろ」などと、いちいち人の行動を指図されるのは有り難くもなんともない。
姑A自身の安心を得るため、不安を払拭するために家族は振り回されていた。
人には、なくて七癖とはよく言ったものだ。

断れば済むこと、拒絶すれば良いことなのだが、姉のような強い心を持っていないわたしは、姑Aが何も指示しなくなるのを待つだけだった。

舅も夫も姑Aの言いなりになっていた。
姑Aは真面目で良妻賢母で優れた良い人なので、ひとつぐらい意思を通す機会があってもよい、と考えた?(わたしも、そう考えたうちの一人)
それで、あとは丸く収まるなら。

大きな目で見ると、ささいなことかも知れない。
だが、ことあるごとに嫌な気持ちを思い出す。
やはり、不満、鬱憤、怨みを抱えたまま解決せず、後々、その後世まで持ち越されるのは良くない。
一代限りなら、当人が亡くなると鬱憤も消える。
けれど、人には良い面も嫌な面もあるのは、皆、同じ。
断り、拒否できなかった自分にも原因はある。
人間は弱いものだ。
ストレスの99%は、対人関係かららしい。

※写真は、昨日撮影、日本初の民間博物館。今は石碑のみで現存していない。








好きなことをしていると、ヘマも同時についてくる

2024-04-06 | お出かけ
「(年収200万円で)こころ豊かに暮らす」と、「(年収200万円で)豊かに暮らす」は、微妙に違う。
「豊か」は、人によって様々。
価値観や捉え方によって違う。
年収200万円でも、持ち家で、預貯金があり、健康な場合と、そうでない場合では大きく違う。
年金暮らしとあまり変わらないのでは?
タイトルに惑わされてはいけない。

お金と生活は切っても切れない。
暮らし方を見直すとしても、見直す前のライフスタイルが身についていたら、慣れたものから変えると苦しみが生まれそうだ。
特に生活レベルを下げる時は。
次第にまた慣れるが。
順応性がある種が生き延びるらしい。

自然体で出来ることが望ましいが、こんなことは当たり前過ぎてアドバイスにもなんにもならない、スパイスの効かない意見である。
というか、自分の志向への確認である。


さて、今日もまたまたウォーキング。
昨日はダンスに出かけた。
今夜から次女母娘が家に泊まりに来る。
これだけ書くと、他のブロガーさんのgooブログ記事に紹介されていた理想的老後パターンか。
わたしは別に目標をかかげて目指したわけではない。
目標を達成するために計画を立てたわけではない。
気がついたら、こうなっていた。
周りの景色を楽しみながら、自分が楽しいと感じることをしていたら、こうなっていた。
シャカリキになって頑張ってきたわけではない。
頑張らない道ばかりを選んだようだ。
あかんたれ、だ。

好きなことをするためには、多少なりとも嫌なことには目をつぶらなければならない。
苦手なこともしなければならない。
多少は。
苦手なことや、嫌いなことが好きになるかと言えば、そうとも限らない。
先ずは何を優先するか、優先順序が要かと思う。
最低限やるべきことはやってベースを作れば、あとは応用、オプション。

だが、「最期」はこうはうまく行かない。
一発逆転、人は皆、平等である。
最後の最後までわからないから、面白い、、、というか、手が抜けない。


・・・・・と、ここまで書いて、、、
乗っていた電車が方向違いで、しかも降りるべき駅を過ぎていることに気づいた。
今日のウォーキング集合時間には余裕を持って家を出たものの、、、冷や汗たらたら。
全員集合して一斉に歩くのではなく、各人でそれぞれに地図を片手に歩く方式だったため、集合時間に遅れることはなかったものの。
いつも、調理に例えると、蕎麦を茹でる手順で、沸騰してお湯が溢れそうになった時のビックリ水みたいに、スマホで何か夢中になると、必ずといっていいほど、電車のヘマをする。
アタマからシャワーを浴びる感覚。
学習能力ゼロをまたまた再自覚した。



妄想、幻想、現実

2024-04-04 | お出かけ
海外の親戚の住む地に滞在10日、良いなあ、、、羨ましい、、、。
1週間では短い、2週間では間延び。
ぴったりの長さだと思う。
わたしは、もう随分昔、2週間を3回、自由滞在した。
20歳の時は1ヶ月滞在。
遠い遠い過去の話。
その思い出を糧に、少しずつ貯めた体験貯金を切り崩すように、毎日を生きている。
なんていうと、まるで寝たきりか、入院中か、監獄に収監されているかのようだが。
ではあるものの、自分にとって素晴らしい記憶はいつまでも自分のエネルギー源になるということ。
チャージして繰り返し使える蓄電池みたいなものか。
時折、太陽からの自然エネルギーでチャージしなければならないが。
太陽は?
曇りの日も土砂降りの日も、自然災害と向き合う日もある。
太陽が照り輝く間に、思いっきり存分に光を浴びて満喫して楽しむ。
あとは、余波、チャージしたものや、日々の営みから安らぎを得る。
保存食で、しのぐ。
とはいうものの、あと一回は、ぜひ思い出づくりの旅に行きたい。


話は変わるが、
「女性が描く理想の老後とは?」という内容のブログ記事を読んだ。
まだ30代や40代、50代の女性が想像する老後と、60代、70代が想像する老後、さらに、80代、90代が直面する現実の老後とは、少し温度が違う。
共通するものは、「心身の健康」と「お金」のようだ。
かつて何十年か前は、仲間や友人、家族という「人」も必須とされていた。(今もかも知れないが)
お一人様が増え、家族に代るものを必要とされるが、お互いに距離感を保つ。
もたれかからない間柄となると、それはそれで自制し、結構大変である。

京都・東山、ねねさんの終焉の場である「圓徳院」を訪れると、尼さんになってこんなところで、しっとり、ひっそり世を去るのは理想だと感じた。
超超超高級スペシャルVIP待遇老人ホーム。
豊臣秀吉の奥さんぐらいにならないと、例え平民であっても、無理だろう。
いや、大谷翔平の妻なら可能かも?
だが、わたしが大谷翔平の妻になること自体が不可能である。
残念ながら。
仮に、企業創始者の家族ぐらいなら、可能かも知れないが、これまた残念ながら空想、いや、妄想の世界になる。

理想は、自立出来なくなるまではギリギリまで自宅で通いのヘルパーさんに補助してもらい、補助は限界となったら、普通の老人ホームに入る。
自宅療養だとか、家族には無理は言わないつもり。
自分を犠牲にしてまで、身を粉にして、それだけの手間暇かけて家族に愛情を注いで来なかったツケとして、見返りは期待しない、というか、期待したらバチが当たる。
お互いに、じつに、あっさり。

TV(Eテレ)で自宅での看取り、美しい最期を紹介されていたが、余命数ヶ月の家族だった。
それなら、(看るのが)わたしなら全力で取り組むかも知れない。
(看られるのが)わたしなら、どうだろう?
自分に悔いが残るかどうか、である。

ねねさんが、圓徳院に移り亡くなるまで(58〜77歳)は、今のわたしと重なる年齢。
身体が動くうちは、夢いっぱいの幻想を抱ける、いろんな光景、風景を見て歩きたい。






と、妄想を膨らまし、幻想に耽って楽しんでいたら、、、
突然の電話。
今から行くから、昼食はミートソーススパゲッティお願いします、とのこと。
ものの10分もしないうちに、玄関から大きな可愛い声。
3人kidsの笑顔が現れた。
4番目孫は保育所があるが、それ以外は春休み。
今日も、昼食、夕食、連チャンになる。
春休み限定、おばあちゃん食堂。







スタスタ桜紀行

2024-04-03 | お出かけ
写真は昨日の和歌山城。
桜は満開。
今日は雨なので、少し散ったかも?
ベスト咲きの桜に出逢えて、大満足。
いっぱい写真を撮ったが、桜のシーズンが終わるとブログに使えなくなる。
せいぜい、ここ1週間は桜の写真を蝶ブログにアップしよう。

この1週間で、3箇所の桜紀行。
しかも、うまい具合に、奈良県、京都府、和歌山県と、3都を制覇。
桜スタンプラリーのようになった。

和歌山はあまり人は多くなかった。
京都のすぐ後だったため、比較してしまうせいもあるだろう。
客層も、インバウンド客よりも日本人が多かったように思う。
和歌山は暮らしている人々の姿があちこちに見られるが、京都では、観光業に携わっている人の他には、市民の皆さんにはあまり遭わなかったような気がする。
オーバーツーリズムで、うんざりされていることだろう。

京都はさすがに世界的にも一大観光地だが、和歌山城に足を伸ばすインバウンドの人は、相当渋い少数派。
平日ということもあるかも?

現地で入手したリーフレットを家でじっくり読むと味わい深い。
特に京都は、雅やかな上に、華やか。
リーフレットに書かれている、お寺そのものも素晴らしい。
しかしながら、秀吉と北政所を祀ってある高台寺の廟堂本、霊屋は、内部がちょっとボロボロすぎて放置されている荒んだかんじが気の毒なぐらいだった。
修復する費用と人材が不足しているのか?
重要文化財である創建当時の茶室(傘亭&時雨亭)は、あまりにもぼろっぼろで、食うや食わずのガリガリの、ひもじい仙人が居るのかと思われるぐらい。
いつも近代的な建物や設備の中で暮らしているから自然な劣化に、わたしの目が慣れていないようだ。
しかし、吹きっさらしの茶室なのだから、よくぞ原型が保たれたものである。
潰れないように最低限度メンテナンスはされているとは思うが、あえて過度に手を加えないことが、本来のままで、風情を醸し出すのだろうか。












桜スポットはたくさんあるし、写真もバンバン撮ったのに、桜が写っていない、旬ではないこれらの写真をたくさんアップするわたしは、どうなっているの?
ハイシーズンの今しか見られない桜の美しさを堪能したその一方で、朽ちていきそうな重要文化財を見ると、とても印象に残った。

桜は散り際が美しく、日本人の美学とされるが、散ってしまうことなく、永遠に未来永劫に続くものは価値がある。
そんなものは、あり得ないだけに。





桜桜桜

2024-04-02 | お出かけ
それにしても急激に暑くなり、身体がびっくり。
次女一家は土日に東京に行ったようで、どこやらの海の岸辺で孫が水遊びをしている写真を送って来た。
紙おしめパンツ(2歳児)の位置まで、スカートをまくりあげていた。
潮干狩りかと思うような、泥の中に手足を突っ込んで楽しそう。

一気に春を通り越して夏、突入?
わたしは、知覚過敏ならぬ(寒暖差)気温過敏で、暑いの寒いのと、うるさい。 
ちょっとした気温の上下に調節できる服装でないと、機嫌が悪い。不快。
なので、季節の変わり目は気温が落ち着くまで、何段階にも調節できる服装でスタンバイしている。
荷物が多くて嵩張り、邪魔になる。
めんどくさい自分に、うんざり。
そして、いつも、季節の変わり目は、アレルギー疾患に悩まされている。

ちなみに。
写真は、京都、高台寺。


東山、人気スポットらしい。
まるでネットで拾ってきたような写真が撮れた。(Cマークを付けようか)
美しい静かなところだった。
拝観料を支払う必要がある場所は、綺麗に管理されていて、気持ちよく拝観できる。

京都は近い割に敷居が高くてあまり行くことがなかった。
この度は、思い切って行って良い思い出になった。

と、今のうちに、桜の写真を早くアップせねば、、、と焦る。
まだ京都の話はほとんど書いていないのに、今日はまたまた他県に桜を見に足を伸ばした。
だが、写真と記事を一致させなければ、ややこしい。
また明日、書くつもり、たぶん。
桜を撮ったばかりなので、撮りたてほやほやの写真を載せたいだけなのだが。







なんでこんなに暑い@京都

2024-04-01 | お出かけ
土日は京都。
まあなんと暑い。
特に日曜日は、清水寺までの道のり、階段状の歩行者天国、汗だくになった。
今更ながらだが、京都は東洋人より西洋人に人気があるようだ。
だが、声がやたら大きい女性、◯◯語だった。
やはり、、、。想像通りだった。
あのお日様カンカンの中、VUITTONのロングコートと、FENDIのロングコートのペアがいて、暑いのにお疲れ様。
東洋系の外国人とお見受けしたが、どんな気候のところで生まれ育ったのだろう。

清水寺は、実は4か月前に行ったばかり。
当時、秋、紅葉シーズンで、ものすごい人。
バス停で待つ、溢れかえる長蛇の列の人々を1人も乗せられず、すでに満員のバスが通り過ぎるのを何度も目撃し、オーバーツーリズムを体感した。
あれからまだ秋から春になっただけなので、そう状況は変化していない、、、が、秋よりマシだったように思う。
まだ桜があまり咲いていないからだろうか?
あるいは、一度、直前に人の山に驚きの経験しているから予習が行き届き、驚きが薄れたのか。
ではあるものの、狭い階段、ぎゅうぎゅう満員に、圧死事故が頭を過った。
この階段で、誰かが転倒したら、、、。
京都市は階段を歩く観光客の人数制限は行っていなかったから、対策を練らなければいつの日か事故が起きても不思議ではない。
あるいは、いつも日常茶飯事的に起こっていて皆んな慣れっこになっている?
またまたあるいは、わたしが「転ぶ前の杖」的老人なだけで、若い人は転倒なんてしない?

だが、秋よりマシとは言え、暑さは秋とはまた違う試練。
寺の上に到達するまでに一体どれぐらいの汗をかくのかと想像しながら歩くと、汗の量は1.5倍になった。

↑清水寺


※トップ写真は、東山、円山公園。



一人で上がったり下がったり

2023-10-30 | お出かけ
土日は夫仕事関連ミニ旅参加。
コロナで、4年間、旅行開催は休止され、この度、再開された。
4年お目にかからなかったら、ある人は、どっと老けていた。 
あんなにスタイリッシュで洗練されたモードの方だったのに、、、。
髪の毛事情と、お肌事情の影響だと感じた。
ビジュアルから受ける偏ったイメージ先入観か、ちょっとヨロついておられるように見えた。(失礼な感想、すみません)
背中がやけに内向きにカーブを描いてまんまるになっている人もいた。(わたしと同じ歳)
毎年見ていれば、そう気にならなかったかも知れないが、4年は大きい。

別のある方、Aさんは、この4年のうちのいつかの年に仕事をリタイアされた。
このAさんは、眉目秀麗、頭脳明晰、才色兼備を教科書の優秀お手本のように体現された方。
美人、オシャレ、スタイリッシュで秀才で、更にご自分の高い能力、技能から生み出す経済力がたっぷり。
ご家族仲良しで、お子供さんたちもお孫さんたちもいる。
ゴルフではコンペの賞を総なめ、明るく快活、行動力もあり、チャーミングな人で、旦那さんは学生時代の同級生。
歳も職業も趣味も同じ。
これまた、スマートで、しゅっとしていて(→関西弁)なおかつ素敵な渋みが加わり、「カッコいい」を絵に描いたような方。
今回の旅行にもご一緒されていた。(毎回、常にご一緒参加)
ご夫婦揃って、眩しい眩しい、太陽のごとくキラキラ光り輝く。
そのAさん(奥さん)が、バスのわたしの前の席で、通路を挟んで横並びの席の、少しだけ先輩Bさん(男性)とおしゃべりに花が咲いていた。
Bさんのお隣、窓側席は、やはり同業の奥さん。
その前の窓側席はAさんの旦那さん。

にぎやかトークは、Aさんと、Bさん。
2人とも同じ趣味。ゴルフ。
Bさんは同じく活発な親分肌の方で、声がまたやたら大きい。
話の一部始終は、バス中に響き渡り、今回は初めて担当となるニューフェイスのバスガイドさんの緊張感あふれる声など、全くと言っていいほど、聞こえない。

最初は、Aさんのお話、素晴らしいなあと聞き惚れていた。
リタイアして時間が出来たので、絵画、ピアノ、料理、と趣味の話。
旅先の電車の駅でストリート・ピアノをご披露された様子をスマホ動画付きでBさんに説明。
その前に行われた発表会のために練習し暗譜していた曲だそうな。
絵画教室でのデッサン、スケッチなど、熱心な取り組みや先生との会話、エピソードを面白おかしく話されていた。
こんな素晴らしい人と直接、話すわけではないにしても、TVの向こうではなく現実的にリアルに知り合いがいるなんて凄いなあ、と喜んでみたり。
Aさんの席のすぐ背後に座るわたしは、Aさんのにこやかな横顔も背もたれの隙間からチラリと見えたりして、時々クスッと笑ったり、テレビかラジオでも聞くかのように楽しんでいた。

、、、が、徐々に、椅子の背もたれ一つ隔てて聞く一方の、わたしの参加の仕方が、居心地が悪くなってきた。
アウェイ感がムクムク。
なんでわたしはここに居るんだろう?と。
明らかに場違いなんじゃないだろうか、と。
だんだん、共通点などまるでない、わたしとのあまりの違いに、もやっとした感覚が生まれてきた。
会話に自分は参加せず相手に知られないところで一方的に聞いているから、相槌を打たなくていいし、表情や反応に気を遣わなくていいから気楽でよいわ〜、だとか、
こんな素晴らしい人と(能力的にも気後れして)とても互角になんか話せないから相手に知られずに聞くだけのシチュエーションで良かったわ〜、
などと、(強引に)メリットを挙げながら、話を聞いていた。
そのうち、日本語聞き取り読解の役に立つわ〜、自分の聴力、理解力のチェックになるわ〜、と、メリット内容の質が段々変化していった。(日本語リスニング、ヒヤリング トレーニングに移行)

と、メリットをいくら挙げても沈んでいく気持ちはなかなか上がって来ない。
内気で内向的で非社交的、なんの取り柄もないわたしは、こんなところき居るべきではない。
自分の存在そのものを否定して、消えてなくなりたいような気になった。
晴れのち曇りのち豪雨。まるで、ジェットコースター。

背後に座っているだけの、なんの関わりもないわたしに、こんなに上がったり下がったりされたら、Aさんも迷惑だろう。
わたしはわたしで、わたしにも何か良いところがあるかも知れない、自分独自の長所や生き甲斐がある、、、なんて自分を慰め、立ち直ろうとしていた。

そんなこんなで、バスは目的地に着いた。
うしろのほうの席に座っていた夫は、バスを降りた後で、
「Aさんうるさかったなあ」と迷惑そうにボソっと言った。
あらまあ。
わたしは、ひとりで自分劇場、喜んだり嘆いたり、上がったり下がったりしていたのに、
夫は「うるさい」の一言、、、なんと、わかりやすい。
ひょっとして他の人も、うるさいと思っていたかも???
バスの中にいた一人一人、感想を聞いて回ったわけではないので、人のこころの中まで確認しようがないが。

ちなみに。
わたしと同じ歳か一つ歳上のAさんに憧憬はあっても、嫉妬や憎しみは全くない。
(生きてきた時代背景は年代ギャップなし、全く同じ)
ではあるが、端から端まで比べものにならないし、競う気持ちは皆無。
しかし、あまりの違いに、自分が価値がないように感じた後、思い直してまた浮上できているんだから、それはそれで良い。
人それぞれ、個性や性格は違う。
そう認識した。

同じ職場や、近所だったり、姉妹や親戚だとかで顔を合わせ続けなければならないなら苦痛かも知れないが、一瞬、ご縁でご一緒するだけの間柄。
もし一対一で話さなければならないとしたら、わたしは、超絶苦手だ。
食事の席などは、絶対に同じテーブルには座らない。
太陽(月ではない)とスッポンぐらい違う。
が、人それぞれ。タイプが違うのは当たり前。
似たような人がグループ化するのも当たり前。
当たり前すぎることである。

春といえば、桜

2023-04-02 | お出かけ
春爛漫。
さくらさくら、、、
しかしまあ、すごい人である。
桜テーマパーク、グランドオープンか、というぐらい。
外国人の姿も多い。
肌の色も色とりどり、彩り豊か。
大阪城公園は、老若男女、人でいっぱい。
ごった返す、と言ってもよいぐらい。
桜を見に来たのか、人を見に来たのか。

造幣局の桜はまだらしい。
下々の桜より、少し遅れるのか。
この造幣局の通り抜け桜は、予約が必要。
造幣博物館(建物は1911年、明治44年のもので、博物館としては1969年、昭和44年開館)は入場無料だが、30分、炎天下で時間待ち。
春だから炎天下とは言わないかも知れないが、日焼け止めクリームを携帯するのを忘れて、帽子に日傘(ついでにサングラスとマスクの怪しい姿)で列に並んだ。

暑かった、、、。


最年長で最若手

2022-06-03 | お出かけ
若い学生さんに囲まれた電車内。
皆さん、わたしの子供より、孫に近い年齢。
わあ、わたし、みんなのおばあちゃん世代。 

乗った電車が通勤、通学時間なもので、そういうことになる。
家を出て駅に向かうバスに乗った時から場違い感ありあり。
日頃の活動時間、活動場所、棲息場所が違う。

満員電車内ではリュックを背中から前に掛け替えて、場違い感は更に際立つ。
いいの、いいの、行き先も目的も違うから。

出かける前にリュックを持ってみると、やたら重くなったため、荷物を減らした。
だが、肝心の、昨日から凍らしておいた水入りペットボトルを入れるのを忘れ、玄関を出たところで思い出し、ホームセキュリティを掛け直した。

大丈夫かなあ?
もしもの時の、緊急おばあさんグッズ(下着だの衛生用品だのなんだのかんだの)を優先順序から漏れてリュックから取り出して置いてきたので、若干気になる。
体調管理は重要。
健康に心配がない今しか行けないと実感する。
遠方の、長〜い、ウォーキングの会。
たぶん、わたしが一番の若手だと想像する。

おっと、降りる駅を間違えないようにしないと。
ブログ更新は、ほどほどに。

では、行ってきま〜す!

奥にあるイルミナージュ

2016-01-13 | お出かけ

奥河内イルミナージュを見に行った。
光の饗宴が、大阪府下の各地で繰り広げられている。

三連休の中日だったが、人は、ぱらぱら。
でも、寂しくてしかたないほどでもない。
大阪府立、花の文化園、冬の一定期間以外は、花園になっている。

無料の中ノ島のイルミネーションに比べると、大人ひとり1000円の入場料、
家族で行くと4000円を払って、これか~と思ってしまう。
目が肥えてしまうのは、決して良いとは限らない。

中ノ島は、なんといっても無料だし、バラ園や、川に沿ってのロマンチックな光景が続く。
市役所から中央公会堂へのプロムナードを経て、洗練されたアート感漂う。
企業の協賛があるから、この違いは仕方ない。
松井さん、奥河内のイルミネーション設置費用と入場料収益、費用対効果、どう見るか。
イルミナージュのみならず、花の文化園も閉鎖しようなんてことにならなければいいが。

乳幼児を連れて、中ノ島まで行くのは、やはり負担。
奥河内の花の園、
植物園を動物園のように見立てたイルミネーションは、ちょっと幻想的だった。
都心には無い、奥には奥の楽しみがある、ってことだ。

 

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