胃の激痛に襲われた。
定期的に訪れる、あまりの痛さに自分で胃の上から手のひらを当てて、そっとさすっていた。
それを見ていた娘が、言った。
「そもそも『手当て』という言葉の語源は、手を当てるということにあるんやで」
ふうむ、手を当てて、手当てするわけだ。
そういう意味があるのか。
この歳になって、初めて知った。しかも娘に教えられ。
仕事仲間のGさんに、話の流れで、手当ての語源を(受け売りで)教えてあげた。
そこで、Gさんは、お腹が痛いときに、よくお母さんにお腹をさすってもらった、
と思い出を話してくれた。
もう随分前に亡くなっておられるお母さんの記憶が、すっと出てくるところが泣かせる。
そういう時、私は母ではなく、別の人(子供の頃同居していた、世話をしてくれたTさん)を思い出す。
幼い頃、母親に実際に直接なにかしてもらった記憶があまりない。
(私は、いたって健康のため、病気や怪我をほとんどしなかったせいでもあるが)
一般的には、お母さんに、やさしくしてもらった原体験が源になって、
人としての優しさが、育まれるのだろう。
帰りの地下鉄で、そういう母子のことを想像してたら、涙がポロリ。
恥ずかしいから寝たふりをした。
いよいよ終点駅で、たまっていた涙がこぼれ落ちて、ダウンコートの襟にポトリ。
シミになったら困る・・・な。
母親経験者としては(ただし、及第点すれすれの)、大して何も思い入れがないことや、
さほど深刻にやってないことでも、あれこれ口に出して、子どもに接していることがある。
結構、気ままに。
子どもの受け取り様も、十人十色。
Gさん母子は、ほのぼの、いい組み合わせ。
私は全然だめだ。まるで漫画だ。
幼いときに子供が何気なく書き残したものを見ると、私はかなりいい加減な説明を子供にしている。
幼い子供は、それをまともに受け取っている。
一般的に、男の子は特に、母親にはすごく強い愛を感じているようだ。
ただし、行きすぎはよくない。
マザコン男性を夫に持つと、うんざりする妻が多いのはよくわかる。
妻は、夫の母親にはなれない。
ただし、息子には無条件で無償の愛を注ぐ。みなさん、そんなものだろう。
そして、マザコン2世を無意識に創り上げる。
スパイラルは繰り返される。
妻に母を求めるのが所詮無理。夫に父親を求めても無理なように。
私は夫の母親にもなれず、夫に私の父親にもなってもらえず。
マザコン&ファザコン。
二人とも未熟。大人として落第。
いまだに我々の親が、子供(とっくの大昔に成人)の未熟な分を補完して、どうにか保っている夫婦。
いい歳をして、親孝行どころか、まだ二人とも、それぞれに高齢の親に甘えているのだから。
そんな未熟な両親に育てられた子供たちは、いったいどんな家庭を持つのか。
また、親の過保護スパイラルが続くのだろうか。
私が、子どもに対しても夫に対しても、
素晴らしい愛情あふれるお母さんになれる頃は、きっと、私は棺桶の中。
馬鹿は死ななきゃ治らない。
自分は、こんな未熟な母親。また、私の親から見れば、いつまでも未熟な子供。
私は、子供をはじめ、家族にあふれるほどの愛情を与えていないように思う。
母親が存命のうちから、母親の愛をひしひし感じて育っている人は、
こころ優しい大人になっていると感じる。
大概の人は、親孝行、したい時には親はなし、なのだ。
家族にあれこれ期待する以前に、自分がちゃんとしないと話にならない。
定期的に訪れる、あまりの痛さに自分で胃の上から手のひらを当てて、そっとさすっていた。
それを見ていた娘が、言った。
「そもそも『手当て』という言葉の語源は、手を当てるということにあるんやで」
ふうむ、手を当てて、手当てするわけだ。
そういう意味があるのか。
この歳になって、初めて知った。しかも娘に教えられ。
仕事仲間のGさんに、話の流れで、手当ての語源を(受け売りで)教えてあげた。
そこで、Gさんは、お腹が痛いときに、よくお母さんにお腹をさすってもらった、
と思い出を話してくれた。
もう随分前に亡くなっておられるお母さんの記憶が、すっと出てくるところが泣かせる。
そういう時、私は母ではなく、別の人(子供の頃同居していた、世話をしてくれたTさん)を思い出す。
幼い頃、母親に実際に直接なにかしてもらった記憶があまりない。
(私は、いたって健康のため、病気や怪我をほとんどしなかったせいでもあるが)
一般的には、お母さんに、やさしくしてもらった原体験が源になって、
人としての優しさが、育まれるのだろう。
帰りの地下鉄で、そういう母子のことを想像してたら、涙がポロリ。
恥ずかしいから寝たふりをした。
いよいよ終点駅で、たまっていた涙がこぼれ落ちて、ダウンコートの襟にポトリ。
シミになったら困る・・・な。
母親経験者としては(ただし、及第点すれすれの)、大して何も思い入れがないことや、
さほど深刻にやってないことでも、あれこれ口に出して、子どもに接していることがある。
結構、気ままに。
子どもの受け取り様も、十人十色。
Gさん母子は、ほのぼの、いい組み合わせ。
私は全然だめだ。まるで漫画だ。
幼いときに子供が何気なく書き残したものを見ると、私はかなりいい加減な説明を子供にしている。
幼い子供は、それをまともに受け取っている。
一般的に、男の子は特に、母親にはすごく強い愛を感じているようだ。
ただし、行きすぎはよくない。
マザコン男性を夫に持つと、うんざりする妻が多いのはよくわかる。
妻は、夫の母親にはなれない。
ただし、息子には無条件で無償の愛を注ぐ。みなさん、そんなものだろう。
そして、マザコン2世を無意識に創り上げる。
スパイラルは繰り返される。
妻に母を求めるのが所詮無理。夫に父親を求めても無理なように。
私は夫の母親にもなれず、夫に私の父親にもなってもらえず。
マザコン&ファザコン。
二人とも未熟。大人として落第。
いまだに我々の親が、子供(とっくの大昔に成人)の未熟な分を補完して、どうにか保っている夫婦。
いい歳をして、親孝行どころか、まだ二人とも、それぞれに高齢の親に甘えているのだから。
そんな未熟な両親に育てられた子供たちは、いったいどんな家庭を持つのか。
また、親の過保護スパイラルが続くのだろうか。
私が、子どもに対しても夫に対しても、
素晴らしい愛情あふれるお母さんになれる頃は、きっと、私は棺桶の中。
馬鹿は死ななきゃ治らない。
自分は、こんな未熟な母親。また、私の親から見れば、いつまでも未熟な子供。
私は、子供をはじめ、家族にあふれるほどの愛情を与えていないように思う。
母親が存命のうちから、母親の愛をひしひし感じて育っている人は、
こころ優しい大人になっていると感じる。
大概の人は、親孝行、したい時には親はなし、なのだ。
家族にあれこれ期待する以前に、自分がちゃんとしないと話にならない。