蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

グルメって?

2009-03-14 | 読む人々には興味ない話
良いもの、悪いもの、美味しいもの、不味いもの、
手間がかかっているもの、手抜きのもの、
素材で勝負しているもの、技術で勝負しているもの、
希少価値のあるもの、ないもの、高いもの、安いもの、
どれも食べたことがあるし、食べることができる。

美味しいものは美味しいと感じるし、不味いより、美味しいほうがいいに決まっている。
栄養のバランス、味、食感、組み合わせ、旬の材料、素材、見た目、量、鮮度、
調理法、ctc…
そういった要素の総合的判定基準は、自分なりに持っているものの
例え総合点数が低くても、別に絶対的な大きなこだわりは持っていない。

ということで、私は多少の個人的好き嫌いはあるが、許容できる範囲が広い。
それをきっと「グルメではない」と言うのだろう。
まして、自分で作るものなら、基準点数はうんと甘い。
(自分で作れないのに、家庭料理にあれこれ文句を言う人は、嫌いだ)

グルメを追求するにも、家庭では共働きで時間がない人に、手の込んだ料理は無理だし、
子供が小さいのに、手間暇のかかるメニューは大変だし、
何世代分もの料理を担当している大家族の人には、複雑なものは負担が大きいだろうし、
予算があって、一番削りやすいのが食費だとすると、予算上妥協はやむを得ないし。
予算、時間、材料、仕入れ、嗜好、力量など、制約を受ける要素がたくさんある。

最も尊敬するのは、家庭料理に精進している人。
手抜きをせずに、工夫して、愛情かけて家族のために、作るお料理は本当に素晴らしい。
それが、私には欠落している。
子供に対する「食育」も、ちゃんとできていない。
優先順位は、①栄養 ②バランス ③早く出来るもの 
で、味は重要度合いランクが低い。(料理がヘタなだけだが)
家庭内で「美味」を味合わせてあげていない点が、反省ポイントだ。

グルメ追求を趣味としているご夫妻もいる。
予算と相談しながら、仲良く、食べ歩き。
それはそれで、いい趣味だと思う。

つまり私は、生きていく上で、最低必要条件である意味での「食糧」は最重要視するが、
享楽、趣味という側面では、柔軟性があるということだ。
この柔軟性こそが、妥協を許してしまう、味の追求者にはなれない
「グルメではない」ということなのだろう。
あれこれ、考えていると、うーーん、、、
「グルメではない」のと、「味オンチ」とは、別のものかも・・・と思えてきた。

今のところ、私はアルコール類においては、味オンチなのかも知れない。
でも、ビールは、アサヒスーパードライ、焼酎は、断然、麦、
食パンは、フォションやドンクが好きだし・・・などなど、
それなりに好きな傾向が定まっているものもある。
とは言っても、芋焼酎も飲めるし、150円のスーパーの食パンも食べるし、
状況に応じて、何でも食べる。

美味しいものがあれば、喜んで食べるし、なければ、なくてもまあいい。
美味しいとラッキー、美味しくないと、美味しくないなぁと感じながら食べる。
ただ、それだけ。
別にそれほど、こだわらない。
年がら年中、美味しいものに囲まれていなくても
たまに、美味しいものを食べると、日常と、非日常のメリハリが楽しめる、
というW効果がある。

ということで、ワインに対しては味オンチ(目下、修業中)
その他のジャンルにおいては、単に許容範囲が広い「グルメではない」人なのだろう。
味への沸点が低いのかもしれない。