蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

幼稚な老熟した中学生

2016-12-01 | 思い出

とても久しぶりにブログを書く。
毎日、毎日アップしていた頃もあった。
今は、チマチマ、スマホでチビチビ、非常に小さいスケールで、背中を丸くして、指を細くして、世界とつながっている。

自由に外に飛び出しても、家に居ても、入院していても、やることは、同じか?
監獄に入れられたら、スマホは持ち込めないんだろう、おそらく。

想像するに、差し入れしてもらえるのは、書籍や絵本。
だとすると、読書習慣を今から身につけねば・・・。もう手遅れ。
それより、わたしが投獄されるとすると、交通事故のえげつないのを起こした時ぐらいだろう。
犯罪は、性に合わず嫌いなので。
だから、閉じ込められるとすると、老人ホームか、サービス付き高齢者住宅あたりだろう。
意外に、イキイキした創造性あふれる文章を書いているかも知れない。
難しそうな言語をググったり、肌感覚でぐっとくる表現をパクったりしながら。

昨日、台所横に続く、物入れの整理整頓をした。
で、中から出てきたのは、何年か前に実母から手渡された、わたしが中学1年の時から書き始めた日記の束。
12冊ある。万年筆で、きちんとした字で、びっしり。
№11から読み始めた。
ちょうど、高校2年。
で、いきなり、№1に移った。
さらに、№12の真ん中あたりで、とりあえず、終了した。
長時間、読むのが、しんどくなったのだ。

あれだけ長いと、ちょっとした小説になっている。
しかも、毎日、毎日、書くことがよくあるものだ。
何時から何時まで、これして、あれして、○さんから電話があって、×さんと遊びに行って、と、延々と描写してあった。
中学~高校2年までだが、中身は小学生日記である。
文体に特徴があり、書き方に、一定の法則があった。
当時も今と同じ視点を持っているのには、驚くやら納得するやら、進歩がないのやら。
自分ながら、面白いが、ずっと読むのは疲れた。
へんに老熟していて、でも幼稚なコドモの中学生に出会うのは、エネルギーがいる。

№11には、高校2年の時にお付き合いしていた、男子のことが、書かれていた。
相手は、大学1年。
大学生にもなると(大人なので)、高校生みたいなガキんちょは、相手にしないだろう、みたいなことを書いていた。
しかし、2歳しか変わらないではないか。
どうも、手も握っていないで、電話や、お店や外でのおしゃべり、一緒に買い物に行ったり、長時間過ごしていたようだ。
「ようだ」と書くのは、わたし自身、その人のことはお付き合いしていた人物リストからすっかり外れ、忘却の彼方だったからだ。

なので、「ああした、こうした」叙述は、はじめて知るような、ドキドキ感があった。
たった、1か月ぐらいの出来事を、ああも綿密にみっちり詳細に書けるものだなあと感心した。
というか、受験期になにやってんの、わたし。
いつも少し書き足らないようで、次のページに移ってしまったページ冒頭に、「勉強しなければいけないのに、新しいページに移ってしまったからには、また(見開きで)2ページ追加して書いてしまいそうだ」と自己嫌悪に陥りながら定文を定位置に添えている。
まともに勉強はしていないようだ。(わかりきっているが)


親に特定の大学受験先を言い渡されている記述内容もあった。
父、母、姉が、しょっちゅう登場していた。
毎日の出来事を羅列しているわけだから、家の近所の喫茶店名や洋服店名や地名も、いっぱい。

当時、わたしの部屋のお金がなくなるということが度々あったのだが、それも書かれていた。
後に、わたしの父が封筒に入れていた高額なお金もなくなり、その場に居合わせた、わたしの友人Mが犯人であると断定されたのだが、わたしの部屋でなくなったその時は「おかしいな」程度で、まったく盗難とは気づいていない様子だった。

(彼女は手癖が悪く、わたしの部屋からだけでなく、姉の部屋からも、何度も洋服や金品を盗んでいた。
我々は彼女に聞いたが「知らない」と言う。確たる実証拠がない。
友人なので、うやむやなまま、警察沙汰にはしなかった。
そのことは罪に問われないまま、明るみにもならないまま、彼女の親兄弟、家族にも知られないまま、その人は、後には人を教育する仕事に就いたのだが、人はわからないものである)


日常のやり取りで、父の何気ない一言に傷ついたり、姉や友人の言葉に一喜一憂したり、多感なお年頃のようだ。
読むまで、そんなことがあったとは、ぜんぜん、覚えていないことも多い。
末端の枝葉のことはその時、書いた瞬間に消え、大きな幹の部分しか、こころに残っていないのだろう。

日記は、12巻中、最後あたりの巻と、最初の巻を読んだので、真ん中はもう読むこともないだろう。
かなりの気合を入れないと取り出しそうもない、物入れの一番、奥の、下の箱に入れて、保管した。

次は、わたしが、老人ホームに入る前段階で、もし、元気なら、その時、捨てるだろう。
恍惚の人になっていたら、子供が捨てるだろう。
それまでの時期に、万が一、なにかの異変でもあれば、また読むかも知れない。
ひょっとすると、今週末あたりに、続きを読むとも限らない。
時間と気力と持続力と、これまで歩んできたことへの執着力、そして何よりも、自分への愛が必要だ。

今のところ、自分を肯定しているので、さらっと読めるかも知れない。

 

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村