蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

イタイ!

2016-12-23 | わたし
わたしは、どんどんイタイ老人になっている。
年齢的には、自称「老人予備軍」でもいいのだが、中身、実質的には、ずぼっと老人枠、ストライクゾーン。

イタイ実例を間近に2人も見続けていたが、最近は、自分のやらかしていることがその実例に加わり、イタイ実例数を増やしている。

見る側や観察する側ではなく、参加する側に。
お祭りや、スポーツ、イベントなら、見るだけよりも、参加するのも良いが、イタイ老人実例集に自らの参加実績を着々と増やすのは、非常に寂しいものがある。

イタさを超えて、悲しさを超えて、さらには、なぜか、笑っている。
そして、胸がキュンと切なく締め付けられて自傷の、実感的な痛い記憶はあるものの、感傷に浸るのは数分にして、あとはさっそく、脳の記憶ステージからは積極的に降りてもらおうと働きかける、わたし。
無かったことにしてしまおうという企み。
闇に葬る動き。

そのイタイ実例。
無自覚に、無意識に、間違いをやらかす。
回覧板の回覧日欄に、間違った日付けを記入したり、良人が持ち運んできた醤油を、自分が持ってきたと言ったり、自分では真面目に正確にやっているつもりで、間違った記憶はないのだが、状況証拠から、どう見ても自分が、やらかしている。

〇〇が、盗んだ!
わたしではなく、××が、やった!
とか、全然、叫びようがない。
誰がどう見てもも、わたし以外の誰でもない人物(=わたし)がやっている。
特徴のある筆跡も、わたしのもの。

夢遊病者なのか?
ポカは、よくあること?
(しかし、若い頃からこんな感じ)

世の中で、一番自分が信じられない。
でも、状況証拠を冷静に照らし合わせ、判断することにしている。
自分の仕出かしたことを受け止め認識する。


ええカッコしー、は、カッコ悪い。
自分は、そんなヘマはしない、とか、失敗やミスを絶対に認めない、人生の先輩たち。
自分のミスを認めるとプライドが破壊されるからだろうけれど、事実は事実として、素直に認めざるを得ない事態では、認めたらよいのに。
見苦しい。カッコ悪い。
悪あがきに見える。

自分は難しいことや、ハイレベルなこと、知的なことに興味があり、理解している、という自負、または憧れがある場合、
実際には理解していないし、全くわかっていないし、興味もないくせに、いかにも、その、現代先端、精鋭の、ど真ん中にいるかのように振る舞う。
これも、わかってないのが丸わかりなのに、カッコ悪すぎる。
へんに、知ったかぶりは、著しく逆効果である。
わたしなど、それ、まるまる、そのまんま、知ったかぶり墓穴、赤恥人間。
ふと予想するだけで、その瞬間、顔が真っ赤になる。
間違いだらけの知識、発言だらけである。
「右」を「左」と、「上」を「下」と、平気で言ったりする。
しかも、無意識で。


お年寄りが高齢者施設でやっている、幼稚な遊びや体操など、とんでもない。
塗り絵など、ばかばかしい。
そんな時間潰しのことはしたくない、と、実母は言う。
「じゃあ、これ、読んで理解して、必要書類を作成してよ」と、わたしが、法律や条例の書かれた書類を渡すと、「こんな小さな字は、読めんわ」と、突っぱねる。
彼女は、絶対に、理解できないのはわかりきっているが、自分は人の出来ないようなことをすることに意義を見出す。
理解どころか、自分の身の回りのこともちゃんと出来ないのに。
意識だけは、気高い。


さて、話をわたしのことに戻す。
なかには、気をつけているつもりでも、うっかり、ポッカリというのがある。
が、それも、周りに迷惑を与えている。
わたしなりの、弁解、弁明は胸中にあるのだが、みっともないので言い訳しない。
しかしながら、どんどん、果てしなく落ち込む。
弁解がましい人は、周りには顰蹙(ひんしゅく)を買っても、自分を救っていることだろう。

しょうもない、良い人ぶりっこや、かしこぶりっこは、プライドが邪魔するだろうけれど、イタイからやめたい。
でも、やめようと思っても、なかなか自分の思い通りにならない。
徐々に、ホンモノのアホになっていけば良いのかしらん。
今も、ホンモノのアホだけど。

出来ないくせに、出来ると思い込んでいる人、イタイ。
出来ないで、自分で出来ないことがわかっている人のほうがマシ。
潔い。
かしこぶるアホが、一番イタイ。