わたしがうら若き頃(半世紀近く前)、家庭画報という婦人雑誌があった。
(たぶん今もあると思う)
世界文化社が手がける、美しい写真が見せ所の高級月刊誌だった。
セレブ感溢れる美をテーマにした本。
雑誌自体もサイズが大き目で、ずっしり重く、紙質も良い。
セレブ主婦をイメージしたコンセプトで制作されていたが、さらに加えて未婚女性向けの家庭画報の子分みたいな雑誌も発刊されていたと記憶する。
同じ主婦向けでも「レタスクラブ」や「オレンジページ」とはコンセプトは違う。
家庭画報は、こってり、テカテカしたセレブ感を売りにしていた。
(これは悪意ある表現で、実際は品のある重厚なテイスト)
浮世離れした優雅な世界に、どっぷり浸れるように作ってある。
紹介されている服や小物、アクセサリーはお値段が一桁か二桁多い。
「上品な」という形容詞も付けてもよいが、あの、これでもか!というこってり感が、今のわたしの拒絶反応を誘発させる。
なぜなんだろう?
ちなみに、「知的なテーマ」はあえて取り上げず、掘り下げない。
ほんの少しだけ申し訳程度に読みものはあるが。
しかし、わたしはその中で、世相を斜め切りにしたような、女性が直面する病理を斬ったシリーズ読み物が好きだった。
毎月、読んでいたから、読者ということになる。
高級な衣食住を追求し、その生き方を美しく掲載されている。
のではあるが、掲載モデルパターンとなるのは専業主婦。
仮に仕事をしていても、お飾り程度。
収入より、経費、支出が上回りそうな趣味のお稽古自宅サロンだとか、ボランティア活動だとか。
自分では到底、食べていけない。
(中には仕事がヒットして、自立できるほど稼いだ人もいるようだが、本腰を入れて離婚に至る、なんてパラドックスもある)
時代は何回転かして、少し前には専業主婦もまた憧れの職種?となっているらしい。
その背景には、家事育児に協力してくれない夫と、フルタイムで働く妻、、、
この生活に心身ともに磨耗し悩む妻は、逃げ場を求めて彷徨う。
が、一旦、家の中に逃げ込み専業主婦になったらなったで出口がなく、またキツイ。
どこにも安住の場所はない。
それは、女性だけではないとは思うが。
子育てしながら仕事を続ける場合は、夫が家事育児をちゃんとしない分、その補填には妻の実家の援助を受けながら共稼ぎを続けることがある。
(夫の実家からのマンパワー手助けとなると、デリケートな面があり、ギクシャクするような予感がする)
しかし、妻の実家が援助してしまうと、夫育成にならない。
最初は自転車に補助輪をつけるかのごとくサポートしても、滑り出すと後は手を離し、夫婦二人でやって行くのが道。
親の過保護は、子供の夫婦関係を破綻させる。
話を戻す。
家事育児が半々にこなせ(当然、仕事もしてちゃんと稼ぐ)夫は、目指す方向性は示されているものの、今はまだ日本では過渡期なので、夫、妻、共に、大変だろう。
わたしが思うに、今は昔の家庭画報的な夫婦理想像は理想ではなくなったと感じる。
(女性がたっぷり稼いで専業主夫のいる家庭ならまだしも)
女性も自分の食い扶持は自分で稼いでこそ、家事育児のシェアだが、妊娠、出産を挟む女性は、仕事を続けるに当たって男性とは同じ条件にはならない。
ハードルとジレンマ。
働くママ女性の労働前例が実際にはまだ追いついていない。
今は意識や制度が整う移行の狭間なので、苦しい時期かも知れない。
家庭画報的なコンセプトのセレブ専業主婦が憧れだとする女性は、過去の像だとわたしは捉える。
典型的な「夫は仕事、妻は家庭」。
女性たちは、もう自分の意志で自分の足で歩き始め、自分の力で得るお金のほうが、たとえ少なくとも、仕える身より、こころは自由だと思う。
が、精神的には自立しても、まだまだコロナ渦では深刻な事態も招きかねない。
理想だけでは食べていけない実態がある。
志が高い人ほど、現実とのギャップに落ち込む。
自立心と、現実が乖離すると、対処できず壊れてしまう。
男性に頼り、甘えることは出来ない。
目覚めないほうが幸せだった、、、が、目覚めたらもう元には戻れない。
家庭画報のセレブ生活に憧れるほうが単純で良かったかも知れない。
というか、半世紀も前の月刊誌の内容や感想を今更書いても、炭酸の抜けたソーダである。
半世紀も経つと、いくら冬眠熊のわたしだって変化する。