蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

光と影

2021-04-16 | 読む人々には興味ない話
この頃、思うのだが、心身共に健康に産み育ててくれた両親に感謝している。
唐突な話ではあるが。
あまり悲観的でもない、楽天的な性格と、病気知らずの健康な身体、これは生まれつきのようだ。

子供時代は学校でイジメに遭っていた兄、姉の下で、ちゃっかり目立たない方法を自然に身に付けたように思う。
学年が上がるにつれ、成績面では、優秀だった兄、姉を先生が引き合いに出し、「それに比べてキミは、、、」と説教の種にされ、劣等感に苛まれても不思議ではない状況だったにもかかわらず、全然といってよいほど、めげていなかった。
たぶん、当時、家庭が大嫌いだったので、外の生活が少々悲惨でも、家のことと比べると、マシだったからかも知れない。
というか、子供の頃から先生など信じていなかった。

何かにつけ、結構、激しい家庭だったように思う。
わたしの価値観は、「悩み事や嫌な事があったとしても『人の生き死に』にまでは及ばない」というものだった。
子供の時からそう思っていた。
死ぬほど辛い、というのは精神的な比喩表現で、どんなに辛くても、実際に死んでしまうことはない、と。
生きるか死ぬか、そういうギリギリの線まで来ていない、切迫していない、と感じていた。
友人が、「ママに叱られた〜」とヒステリックに泣き叫ぶ姿を見て、何が悲しいのか、まったく、さっぱり、まるでわからなかった。
蚊に刺される程度なんじゃない?と。
まだ社会に出ていない子供であるわたしにとっては、家庭でのたいした虐待もなかったし、死に至るほどのことは実感出来なかった。

が、今の世の中の子供達を取り巻く環境や意識とは隔世の感がある。
わたしは時代背景も今とは違うし、苦労知らずなのかも知れないが、それなりに気苦労はあった。
生きるか死ぬかが判断基準の子供って、ある意味、度胸が据わっている。
というよりも、もっと、ちゃんちゃん敏速に機敏に動くべきだろう、子供は子供らしく。

話はコロッと変わるが、、、
昭和39年〜40年に「小説現代」に連載され、今から半世紀も前に刊行された小説を今、読んでいる。
黒岩重吾。(1924〜2003)
主人公や登場人物に対する感情移入がまるで出来ない。
当たり前だ。
環境が違いすぎる。
時代が違いすぎる。
感覚が違いすぎる。
性別の違いによる感じ方のギャップ。
読者ターゲットの違い。

女性の考え方は、ああいうものではないと思う。
至極当然だ。
そんなにも昔の男性の書いた小説だから。
第一、わたしの父親世代。そう年齢は変わらない。
戦争出征経験者。
高度成長期の落とし子世代のわたしと感覚が違わないほうがおかしい。

いくつかの短編が収められている文庫本であるが、同じパターン表現が数カ所出て来て、プロの小説家といっても、表現の多用を避けるのは無理なのか、それとも、そういう表現が好きなのか。
わたしが書き手で仮にプロなら、繰り返し同じ表現を使うのは、ちょっと恥ずかしい。
避けたい。
あまり気にしない人や、そういうパターンが好きな人は、そうこだわらないのだろうが、わたしは神経に引っかかる。
うるさい読者だ。

が、1か月に700違い本数のものを書いていた時代のようなので、いちいち覚えていないのではなかろうか。
50年も経って、チマチマ重箱の隅を突くのも、作家と言えどロボットじゃあないのだから。

というか、明らかに読む小説を選び間違えている。
NHK朝の連続ドラマ「おちょやん」の主人公が生きていた時代や地域を舞台に書かれた小説が昨年、書店に平積みにされていたのを手にした。
時代は昭和に移り、特定の地域をクローズアップして書かれた小説も同じコーナーに並べられ、その小説を黒岩重吾氏が書いていた。
黒く暗く重い、、、。
ずしっ。

まあ、そういう本を買ったということは、興味があったということだ。
女性の社会進出など、どこ吹く風の、底辺で蠢く女性たち。
うーーーーん、、、
まったく理解できない。
まったく共鳴できない。
外国語の原書を読むかのごとく、想像力だけで読んでいる。
(シェイクスピアはもっと理解できないが)
まだ、時代設定が明治時代〜の「おしん」や「あゝ野麦峠」のほうが物語としては訴えるものがある。

で、購入した本は、あと、一篇で終わり。
なかなか話が進まないので、パラパラ飛ばして結論を先に読みたいのをぐっと我慢して、頑張って読んだ。
相手を殺したり、自殺したり、浮かばれない結末に、あ〜あ、またか、とため息。
ちょっとだけ涙が流れる箇所もあったが、最近、何もないのに涙が出ることもあり、自分の涙が信用できない。
しかしまた、なんであんなに暗く出口がない、どうしようもない話ばかりなのか。
あれから福祉や数々の制度も整い、社会は成熟し、意識も変わった。
が、また別の社会問題も生じている。
人が暮らす場所、時代には、明るさも暗さも、喜びも絶望もある。
明暗、光と影は表裏一体。
コインの裏と表、どちらも真実である。

読後、時間が経つにつれ、内出血した身体のように、効いてきている。