楽しいなあ。
毎日が。
こんなに楽しいなんて、おかしいのかな。
でも、毎日、毎日、充実している。
不思議だ。
おそらく、満足のハードルを下げているのだろう。
ちょっとしたことが、嬉しい新発見。
いままでいったい何をしてきたのだろう。
アタマがパーになったのか?
↑これは、一昨日の夕方、帰りの電車内で書いたもの。
うーむ、アタマがパーになったのかも知れない。
今日は今日で、行きの電車自動券売機を前にオタオタ。
冷や汗たらたら。
財布をもぞもぞ。
中味が足りるか、はらはら。
メモをぱらぱら。
(じつは、小学3年孫の国語の勉強でこういうのを延々と教科書に書いてあり、面白がっているわたし)
擬態語?副詞的?形容副詞?
英語と日本語の文法用語がごちゃまぜになっている。
孫に国語も教えられない、、、。
まあいい。
あとでググろう。
グーグルは、わたしの先生。
何回ググッても、全く覚えられなくても、電波事情とバッテリー残量さえあれば、スマホは文句も言わず、教えてくれる。
(今、焦りながらググッてみると、どうやら日本語では「副詞」のようだ)
と、どうでもいい話から先ずはスタート。
いつも、中味もどうでもいい話が多いが。
ところで、、、
我が家の、道を挟んで斜め向かいの家が新築されている途中で、2軒が同時進行している。
ニコイチ(2戸1)住宅として、住宅会社が建て売り住宅を先に作ってそれから販売するのではなく、元は一軒家で高齢男性がお一人で住んでいたが、数年前に解体撤去後、更地にされたものの、買い手もつかず、除草費がかさみ、持ち主の不動産会社は困っていたことだろう。
そこを2分割された土地をそれぞれ別の購入者が同時期に買い、各家が別のハウスメーカーで建てている。
建築着手は2軒は1ヶ月ぐらい前後し、時間のズレがある。
建物の外側が建つと、あとは内装にかかる。
家の前には2軒分の工事業者の車が所狭しと並ぶ。
一部、数台は二重に道路にはみ出し並列駐車している。
近所に、買い物への行き帰りなど、建築業者の皆さんと顔を合わせることも度々。
賑やかである。
通常、建て売り住宅だと一度にまとめて同じ業者が工事するが、1戸ずつ別々の業者なので、人数が2倍になる。
その隣は前からの住人が住んでいた家があるが、先日、山のような断捨離品が自宅前に積み上げられていた。
翌日、きれいに無くなっていた。
廃品回収業者に依頼したのかと想像する。
たまたまかも知れないが、隣が新築されるとなると、我が家も片付けてキレイにしようと影響を受けたのだろうか。
それにしては、うちは、全然、断捨離の影響を受けていない。
ちなみに、断捨離したご近所さん、巨大な物置きを作られたようだ。
断捨離ゴミを見たついでに、見慣れない物置きを見つけた。
あんなに断捨離でモノが減少したのに、まだあれだけの大きな物置きを新たに作り、モノを入れる空間を設けられたわけだが、一体、何を収納するのだろう。
と、人の家に関心を寄せるヒマがあれば、自分の家を断捨離せよ!と、こころの中の神様が仰る。
はい、その通り。
しかし、あのお宅、あんなにモノを家の外に押し出して、リフォームでもするのだろうか。
わたしの独断と偏見、根拠なき憶測では、住民である高齢のお母さんが老人施設に入るのか、入院したのか、あるいは、ひょっとして亡くなったのか、何らかの動きがあったと思われる。
今時、亡くなっても自治会には事後報告なので、たとえ目と鼻の先に住んでいても、内情はわからない。
とまあ、うちの近くでは新たな動きがあるわけで、少なからず、周りに活性化の動きが伝わっている。
他にも、ご近所さんに4分割された土地に4軒の新しい若い家族が更に入るとのこと。
1軒につき土地代金は4分の1なので、若い人も入手しやすくなる。
若返り、活気が生まれるといいなあと思う。
毎日の何気ないことや変化、あるいは変化がないことが、貴重な幸せの一つ一つなんだと。
取り立ててどういうことのない、平凡な一日一日に、しみじみ、落ち着いた愉しさを感じる。