やるべきことが、ぼや〜っとした、形のないものであるため、なかなか進まない。
今、わたしのこれからの進路に向けて歩こうとしている。
わたしの進路は、終活の色を帯びている。
終活ではない、アクティブな建設的活動を始める時は情熱や勢いがあるが、終えようとするのは、期限も決まっていないからか、なかなか進まない。
ずるずる進まないまま、ジリ貧で終えるという方法もある。
が、今のわたしは、なぜか、まだ決断力と実行力があるうちに、終えることが出来るものは終えたい。
最近、現れた知り合い。
この人は、過去に家業である会社を終わらせたという。
廃業するにも、タイミングや勇気、決断が必要。
この人は、男兄弟ばかりの長男だが、兄ちゃんは労多くて楽しみのない、くたびれる作業を引き受け、見切りをつけて家業を畳んでくれたわけだ。
他の兄弟は、泥舟には乗らず、好き好きに自分の道を行ったようだが、責任感ある兄ちゃんは辛い。
仕事とはまた別の話になるが、自分から言い出した事を自分で幕を引くのは大変だ。
いつも人の後をついて行く、成り行き任せのわたしには、そういう舵を切る決断をしたことがない。
舵切り通達を受ける側だ。
それで今まで何十年もやって来たのだが、、、
今になって、自分の歩んできたことの一部を終わらせようとしている。
始末をつける、というか。
店じまい。
店じまいした後は、すっきり8畳一間で身軽に暮らそうか。
いきなり、急には無理だろうけれど、少しずつ、少しずつ、終わらせていきたい。
余計な汚れや垢、傷みを落としてスリムにシンプルになりたい。
ヘアスタイルで言えば、手間暇のかかる凝ったゴテゴテしたヘアスタイルではなく、短い洗っぱなしの髪、、、みたいな??
これからの自分に合った、余計なものは削ぎ落としたコース。
しかし、99歳まではまだ35年近く残っている。(大往生の瀬戸内寂聴さんを例とすると)
人生100年時代。
これからどういうふうに生たいか、自問している。
まだ自答には及んでいない。
終活の割にはまだまだ乳幼児のお世話をしなければならない。
自分の待ちに待った、お楽しみのイベント予定が、「○ちゃん(孫)、発熱しました!」のお迎え要請、保育所からの一報でひっくり返る。
次はあるかどうかもわからない、とてもそれまで待てない楽しみイベントなのに、、、泣く泣く諦めて、孫守がまだ続く。
まあ仕方ないか。
終活しようとしているが、生きた世界がクロスする。
子供たちは、ありえないと言うが、わたしの終活終盤頃になったソフトランディング地は、夫の実家である。
母もそういう時期があった。
嫁ぎ先である、わたしの実家をものすごいハイパワーで整理し、自分の終の棲家に備えた。
結局、その家には引っ込まなかった。
わたしも多分同じような道を辿ることだろう。
御隠居さんが収まる地に最後まで軟着陸しない予感がする。
一時的に軸足をちょっと移して昔を懐かしんで気分転換するものの、今居る家から離れないと思う。
ちなみに、わたし、、、85歳になったら老人施設に入る予定。
あくまでも、予定。
それまでは、時々娘たちに暮らしをチェックされながら1人住まいをするだろう。
(あれ?夫は?)
心身の自立の具合によって、時期は多少前後するかも知れない。
あと20年もある。
前半の10年と、後半の10年。
終活の内容は、前期、後期、時期によって変わる。
とりあえず、前半10年の終活を脳内でスタートしている。
スマホで調べたり、まずは着手ウォーミングアップから。
誰にアドバイスされたのでもなく、自分で自主的に考え付くなんて、自分でも驚いている。
最後の知力の発露か。
それが終わると大まかな方向付は行われ、後は自然に沿って流れるまま。
無理矢理、終活するのではなく、自然に自主的に明るい前向きな気持ちで行える時にしておくのが理想的かなと思っている。
※ここのところ、活力のない話題ばかりを書いている。
秋だから??
それもあるかも知れないが、わたしはこの1年でとても疲れた。
実際、役に立ってバリバリ働いたり、何をするでもないのに。
人生の重要な時期を共にした濃い身内(姑)が亡くなったり、(亡くなる前後には長きに渡り色々ある)、娘のベビー誕生狂想曲の渦に巻かれたり、一世代前の人々の住む家を整理、リフォームしたり、、、大袈裟に言えば、家族の歴史の激流に飲み込まれているイメージだ。
何をする気にもならず、やる気を起こすことと言えば、自分自身の店じまい。
精神が弱っているのかも知れない。