蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

大正〜昭和〜平成〜令和を生きる

2021-11-15 | 人生
瀬戸内寂聴さんの本、恥ずかしながら読んだことがない。
源氏物語の現代版訳みたいなものは読んだことがある。
が、、、わたしは読書嫌いです、、、。

色んな人の著書に触れると、考え方もさることながら、表現方法にヒントを得ることがある。
悪く言えば、盗む、真似コピーもどき。
でも、自分の血肉にはならない。
所詮、人の編み出した、生み出したものだから。

自分の書いた過去のものを見ると、温(ぬる)くて緩(ゆる)くて怠(だる)くてダラダラしているものもあるし、真冬の朝早く、霜柱がシャキッと下から突き上げる土を踏んだよう感触の時もある。
気持ちいい痛さというか、年がら年中同じことを言っている自分がアホみたいなような愛おしいような、、、。
自分の尻尾を追いかけてグルグル回る犬のように、自己発電によって発熱してストレスを発散しているのか。
おつかれさまー、ごくろうさまー。
結論など求めていないようだ。
そうやって天国までの時間を楽しく待っているのか。
待っているというのは、時間を潰しているイメージがして、ネガティブな響きがある。
では、能動的に、積極的に時間を使っている、消費している、思いっきり自分なりに頑張って過ごしている、、、とでも言っておこうか。
自画自賛は、自分を元気にするビタミン効果あり。

人が10分ですることを1日かかってするのは、ある意味、贅沢な時間の使い方だと思う。
10分で終えた人は、残りの時間を自分の好きなことに使う。
好きなことは人それぞれ、好きな時間の使い方も人それぞれ。
物理的な?時間は世界中、同じ長さだが、感じ方は違う。
だから、お国柄によって、ビジネスで波長が合わないことも生じる。
各自、性格もある。


先日亡くなった親戚の人は、大腸を手術してストーマ生活のため、人生の持ち時間の多くを病気との闘いに費やしていた。
自分メンテナンスに手間暇がかかる。
だが、バイタリティ溢れるこの人物は、明るく前向きで、元気いっぱい。
病気の身体に負けない精神力をお持ちだった。
子供や孫たち、家族にも恵まれ、周りから見ると幸せな一生だと思う。 
まさに戦中派で学生時代は戦争一色。
わたしの目から見ると、あの時代に生きた人、戦前戦後を通して価値観や物資、モノの豊かになった時代のど真ん中を歩いていた。
お金もたっぷりあったのに、いったい何に使ったんだろうというような、質素なおんぼろの家に住んでいた。
趣味は何なんだろう?
服装も地味、贅沢とは裏腹。
時代を夫の仕事の手伝いと子育てに邁進した。
晩年も最後までポジションは彼女の王国トップであり続けた。
最後の最後はなかなか大変だっただろうけれど。(本人も周りも)
子供や孫たちは、社会的にも全員立派に育ち、あそこまで揃うと凄いと感じる。
生まれたての新生児一人、一歳児二人、幼児から小学生まで、ちびっ子ひ孫も10人以上いる。
(ちびっ子ではないひ孫がもう少しいるかも?)
生まれも育ちも嫁ぎ先(目と鼻の先)も、その後晩年も、半径20キロで、一生を終えた、田舎のひとりのおばあさんである。
いや、よく考えると、若い頃の子育て期には短期間、夫の赴任先(200キロ離れた地)で暮らした。
だが、小説にしようと思えば出来るかも知れない。(無理矢理、朝の連ドラ仕立て)
どんな人にもストーリーはある。
でも、最初から最後まで順風満帆の人生ではアップダウンがなくて、小説にしにくい。
外からは見えない内情や心理を細かく描写するにしても、やはり小説にはなりにくい。
人生や暮らしを激変させるものが、戦争や自然災害、コロナなど、世の中の人と同じ体験であり大きな出来事では、なかなか特定の個人だけに発生する独自の特異性を強調できない。
ではあるが、激動や変化の要因にはなる。

上がり下がりのない平凡な生き方が幸せなんだろうと思う。
それは姑がよくそう言っていた。

※ちなみに写真は、JR電車。
でかでかスーパーマリオ。
もっと全体的に撮りたかったが、スマホを取り出していると目の前に電車が停車して即、乗り込まなけばいけなかったので余裕なし。
乗客の顔が写るのもよくないし、人に向けての写真撮影に不審がられても困るし、で、撮ったのは接写、一枚のみ。