わたしの自問自答の季節は続く。
等身大の自分を俯瞰的に見ることが出来ているか?
自分だけの思い込み、過小評価、過大評価になっていないか。
仮に他人に評価を聞いたところで忖度の答えが返ってくるだろう。
ズバリだったとしても、自分が求める答えではなかった場合、却下することだろう。
答えは自分の中にしかないということだ。
ちなみに、電車内、タイ語の今風若者が4人。
語尾の跳ねる発音が独特。
しかしまあ、こんなベッドタウンから都心へ?
仕事休みか?
車内の風景も変わる。
話を戻す。
一つだけ、今週、自分で決めて実行に移した。
たったの一つだが、これを皮切りに、、、と行けばよいが、そう言えない雲行きである。
他のことは、まだ煮え切らず決められない。
よほどのことでもない限り、わたしは動かないようだ。
今まで、運と勘だけで乗り切ってきた成功体験は、この歳になると邪魔している。
果たして成功なのか失敗なのか基準が定かではないが、自分では幸せだと思っている。
そしてその幸せを手に入れたのは、運と勘。
波乗りサーファーか?
サーファーだって、天気や波の状態を熟知していないと命にかかわる。
わたしだって、ぼーっとしているようで、自分の命を守る要だけは押さえていると自負している。
ただし、残り人生あと4分の1(と3分の1の中間)を無事に乗り切れるかどうかはわからない。
静かに、晴れた日は日向ぼっこして、雨の日は家の中でじっとしておこう。
お天気最高でも、家の中でじっとしていることが多いが、暴風雨でも出かけることもある。
自分ではなかなか天気までコントロールできない。
神様ではないので。当たり前か。
ところで、今、新たな局面を迎えている。
ただし、趣味分野。
どうしたものか、、、。
自分の能力が見える中で、さて、どうしよう?
選択肢が多くて自由すぎるだけに、アタマが痛い。
チャンスを逃しているような、悪運を掴まなくて良いような、、、
結果は後にならなければら、はっきり言えない。
流れにまかせるか、、、
自分の運と勘にすがる?
これは、惰性ともいう。
あるいは、改革を好まない保守?
人生最終コースにありがちな傾向である。