蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

孤独との闘い方?

2021-11-08 | わたし
老後の資金がありません!
楽しい映画だった。
映画を観てからも、ワンシーン、ワンシーンが思い出され、ニヤニヤワハワハしている。

草笛苗子のファッションが素晴らしい。
鮮明な原色の色使いが、きーんと晴わたる秋空のよう。
最後の、歌と踊りのコラボは、天木祐希が普段着なのに、服装を超えた真のものが見えた思いがした。
観る側って、自分流に勝手に想像を膨らませる。
だからわたしは、悲しい映画より、楽しい映画が好きなのだ。
特にミュージカル仕立てのもの。
舞台小道具の調度品や時代考証された街など、自分はすっかり映画の中にいる。
(劇中、引っ越し屋さん、ちゃっかり宣伝効果あり)

男性は戦争ものや格闘アクションものが好きなようだが、全く分かれている。
こう決めつけると先入観ジェンダー意識の問題に引っかかってしまうか?
まあよい。
人の好みなどお構いなしに、好きな映画を観るのは自由だ。

映画の帰りにいつも、書店に寄る。
ぱらぱら立ち読みの時間。
買うこともあるから、読み逃げではない。
(とりあえず自己擁護)

その中で、老後の孤独との闘い方?みたいな本があった。
目次をざっと見て、興味ある箇所だけ読む。
あらまあ、、、
どれも興味ない。
何故かと言うと、、、全てわたしが実践していることだった。クリア。
別に何かの本を読んで感銘を受けて真似したわけではない。
普通に自然に好きなようにしていたら、そうなった。
何かに合わせたわけではない。

一つだけ、目に止まったところがある。
人との付き合い方。
合う面だけで付き合う。
合わない面は、ほっておく。見ない。
たしかに、これは、知人の大先輩も言っていた。
わたしも合わない面を持つ知人がほとんどだ。
合うのは、ほんの点。
その点で、接している。
点があるだけマシだ。
その点は、趣味分野。

が、中には、合わない面の自分の意見を押し通す人がいて、限りなく不愉快。
あなたと、わたしは、別人なの!
と説明しても聞く耳を持たない。
なので、読んだばかりの(立ち読みにしても)、合わない部分をバサッと切った。
わかっているのに議論したわたしが、バカだった。
この人、母と同じ性格。
絶対に折れない。
母は血が繋がっているから例外として、他人なら認められない。
なら、合わない面は見ない、、、としても、やはりこの嫌いな面は、好きな面を上回る。
しかし、そうすると、誰一人としてお付き合いできる人はいなくなる。
もう少し、基準を緩めないと全員嫌い、人嫌い、一人ぼっち、正真正銘の孤独ということになる。
で、見るのは合う面だけにしているが、だんだん、嫌いな面がどんどん大きくなり、合う面が少なくなってくると、何かのキッカケがあると不満が爆発して、縁が切れる。
今、まさにそういう人が一人いる。

別の人も、そういう大嫌いで切る時期を探っていたのだが、なぜか、乗り越えてしまっていて、今は平穏。
タイミングや縁というものがある。
自分で考えたり、迷いに迷った挙げ句、決断出来ない、答えを決めたり出来なくても、自然に導かれ結果にたどり着く。

その、今、最大級に嫌いな人に関しては、あと少しで結果が出るような気がしている。
あとは時間が経つとよりはっきり道が現れると思う。
大嫌いなその人は、自然に退くような悪い方向(例えばスポーツで言えば、敵のミスを待つ、相手の自滅パターン)に向く何かがある可能性はある。
悪い方向でなくても、どんな方向であっても、絆が切れたらそれでバンザイ。
わたしにとって、よい方向ならなんだっていい。

とかなんとか、、、
これは、基本的な最小コミュニティの外側にいる人々との繋がり。
社会の最小コミュニティである家族は、好きであろうが、嫌いであろうが切れない。
これこそ、個が自立していないと押しつぶされる。
家族の中での孤独や、家族のいない人の孤独は、わたしには経験がないのであまり想像できない。
真の孤独と向き合っているわけではなく、ただ単に、友達が少ないだけである。
読書感想を言う資格はない。

が、人間は、一人で生まれて一人で死ぬ。
生きている間は、人との助け合い、コラボで生かされている。
ただし、死ぬ時は一人。
これは孤独とは思わない。
皆んなでわぁわぁが、あまり好きではないのと、一人時間が確保できるのは、最高に居心地が良い。
基本的には「個」。一人なのだ。