老後の資金がありません!
楽しい映画だった。
映画を観てからも、ワンシーン、ワンシーンが思い出され、ニヤニヤワハワハしている。
草笛苗子のファッションが素晴らしい。
鮮明な原色の色使いが、きーんと晴わたる秋空のよう。
最後の、歌と踊りのコラボは、天木祐希が普段着なのに、服装を超えた真のものが見えた思いがした。
観る側って、自分流に勝手に想像を膨らませる。
だからわたしは、悲しい映画より、楽しい映画が好きなのだ。
特にミュージカル仕立てのもの。
舞台小道具の調度品や時代考証された街など、自分はすっかり映画の中にいる。
(劇中、引っ越し屋さん、ちゃっかり宣伝効果あり)
男性は戦争ものや格闘アクションものが好きなようだが、全く分かれている。
こう決めつけると先入観ジェンダー意識の問題に引っかかってしまうか?
まあよい。
人の好みなどお構いなしに、好きな映画を観るのは自由だ。
映画の帰りにいつも、書店に寄る。
ぱらぱら立ち読みの時間。
買うこともあるから、読み逃げではない。
(とりあえず自己擁護)
その中で、老後の孤独との闘い方?みたいな本があった。
目次をざっと見て、興味ある箇所だけ読む。
あらまあ、、、
どれも興味ない。
何故かと言うと、、、全てわたしが実践していることだった。クリア。
別に何かの本を読んで感銘を受けて真似したわけではない。
普通に自然に好きなようにしていたら、そうなった。
何かに合わせたわけではない。
一つだけ、目に止まったところがある。
人との付き合い方。
合う面だけで付き合う。
合わない面は、ほっておく。見ない。
たしかに、これは、知人の大先輩も言っていた。
わたしも合わない面を持つ知人がほとんどだ。
合うのは、ほんの点。
その点で、接している。
点があるだけマシだ。
その点は、趣味分野。
が、中には、合わない面の自分の意見を押し通す人がいて、限りなく不愉快。
あなたと、わたしは、別人なの!
と説明しても聞く耳を持たない。
なので、読んだばかりの(立ち読みにしても)、合わない部分をバサッと切った。
わかっているのに議論したわたしが、バカだった。
この人、母と同じ性格。
絶対に折れない。
母は血が繋がっているから例外として、他人なら認められない。
なら、合わない面は見ない、、、としても、やはりこの嫌いな面は、好きな面を上回る。
しかし、そうすると、誰一人としてお付き合いできる人はいなくなる。
もう少し、基準を緩めないと全員嫌い、人嫌い、一人ぼっち、正真正銘の孤独ということになる。
で、見るのは合う面だけにしているが、だんだん、嫌いな面がどんどん大きくなり、合う面が少なくなってくると、何かのキッカケがあると不満が爆発して、縁が切れる。
今、まさにそういう人が一人いる。
別の人も、そういう大嫌いで切る時期を探っていたのだが、なぜか、乗り越えてしまっていて、今は平穏。
タイミングや縁というものがある。
自分で考えたり、迷いに迷った挙げ句、決断出来ない、答えを決めたり出来なくても、自然に導かれ結果にたどり着く。
その、今、最大級に嫌いな人に関しては、あと少しで結果が出るような気がしている。
あとは時間が経つとよりはっきり道が現れると思う。
大嫌いなその人は、自然に退くような悪い方向(例えばスポーツで言えば、敵のミスを待つ、相手の自滅パターン)に向く何かがある可能性はある。
悪い方向でなくても、どんな方向であっても、絆が切れたらそれでバンザイ。
わたしにとって、よい方向ならなんだっていい。
とかなんとか、、、
これは、基本的な最小コミュニティの外側にいる人々との繋がり。
社会の最小コミュニティである家族は、好きであろうが、嫌いであろうが切れない。
これこそ、個が自立していないと押しつぶされる。
家族の中での孤独や、家族のいない人の孤独は、わたしには経験がないのであまり想像できない。
真の孤独と向き合っているわけではなく、ただ単に、友達が少ないだけである。
読書感想を言う資格はない。
が、人間は、一人で生まれて一人で死ぬ。
生きている間は、人との助け合い、コラボで生かされている。
ただし、死ぬ時は一人。
これは孤独とは思わない。
皆んなでわぁわぁが、あまり好きではないのと、一人時間が確保できるのは、最高に居心地が良い。
基本的には「個」。一人なのだ。