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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

薄味仕立て

2021-11-18 | 日々のこと
もうじき年末。
まだ11月中旬ではあるが、街にはジングルベルも流れていないというのに、憂鬱というか、やたら気持ちだけ忙しい。
御節料理の予約やら、年末年始の料理の手配やら、掃除やら、考えただけでサボり動きたくない病のわたしは沸騰しそうだ。

さて。
出先に向かうため、電車から降りて改札口に出ようとしたら、いつもの中央改札口ではない、東?口だった。
何にも考えずに歩くため、こういうことはよく起こる。

そもそも、合っているのか間違っているのかわからないのに、適当にとりあえず進むのは、幼い頃のエピソードに遠因がある。
(この話はわたしの印象に残るのか、なんどか蝶ブログに書いたように思う)

わたしはまだ字が読めない幼稚園児の頃からバス通学(片道30分)していた。
行きは家の前の停留所から終点まで乗るため問題ないのだが、自宅に帰る時のバスがややこしかった。
大人がバスターミナルに付き添って自宅に向かうバスに乗せてくれることはあったが、大人が付き添ってくれない時もあり、バスのフロントガラスの上部に掲げられている行き先の文字を理解しないまま、乗り込んでいた。
間違った行先のバスに乗ってしまった場合は、終点までそのままバスに残り、字も読めない小さな子供だったため、また始発駅まで引き続き乗せてもらっていた。
Uターン、振り出しに戻った。
(現在なら誘拐やらなんやら物騒な時代だが一昔前はさほどうるさくなく)そういう行動が日常茶飯事だったため、よくわからなくても、確認もせずに乗ってしまう。
これは、親が悪いのか?はたまた、わたしが悪いのか?
親は忙しいのか、はたまた放任主義なのか知らないが、あまり理解していない未熟な子供をほったらかしにしてはいけない、、、と、思うのだけど、、、
そのせいかどうかはわからないが、こんな歳になっても、いい加減な感覚で電車に乗る。

と、話はだらだら大幅に逸れた。
話を戻す。
いつもと違う改札口からでも目的地には着くのだが、商業施設の中を通り抜けて行く。
いつもは、駅改札口からそのまま、あっさりした路面店を左右に見ながら歩く。
その風景とはえらい違い。
急に世の中がキラキラ輝いているかのようなお店がいっぱい。
前によく利用していたパン屋さんは、別のベーカリーショップとなり、店の設えも本格高級路線に変身。
色のイメージは大きい。
前は抜け感のあるさらっとした雰囲気だったが、今は、濃いブルー。
格式高いブランド感を醸し出していた。
ほんのちょっと歩く道を変えただけで、見える世界が変わるなんて、魔法みたいだ。
あのお店でパンでも買ったとしたなら、夢や魔法ではなかったという証拠になるだろう。
(そう言えば、パリでパンを買ったなあ、、、と遠い目。
あれからもう10年もの年月が経っている。
パンに限らず、なんでも楽しい思い出は、作ったもの勝ちかなと思う次第)

季節毎に打ち出される商戦セールが色濃い街でさえ、そう煌めきを感じるのだから、、、
自然の中でのお散歩なら、咲く花も四季折々表情が違い、目を楽しませてくれる。


ちなみに、今日わたしが書くことは、浅い。
いいんじゃない?
浅い楽しみは、あっさり薄い塩味。
結構、美味しい。
こってりや、濃い味、生クリームたっぷりも良いが、薄味が楽しめるお年頃になってきたようだ。