わたしはプライドが高いそうだ。
褒められているとは思えない。
面と向かってそう言われるというのは、いかがなるものか?
ケンカしたり、気分を害して、捨て台詞で言われたわけではない。
ビールジョッキ片手に唐揚げなどを食べ、談笑しながら言われた。
しかも5年以上お付き合いが続いている友達である。
(今はコロナ禍でビール談義は休止中)
わたしはブログでは再三再四、友達はいないと書き続けてきた。
それには嘘はない。
それは、なんでもかんでも話せる親友がいない、ということ。
わたしを理解し全て受け入れてくれる人がいない。
というか、そんな人は肉親にも、この世にもあの世にもいない。
いるとしたら、「神」?
が、わたしは、無神論者なので具体的な神はいない。
話せるのは自分だけ。
孤高とはさすがに言えないが、それは孤独と引き換えに手に入れるものだ。
相手と「点」で繋がる友達なら複数いる。
友達ではなく、、、うーん、、、何だろう?
よくわからないけれど。
知人?知り合い?
どこかに部分的な接点があり、その部分だけで接している。
それ以外の部分は合わなくてよい、合わなくて当然。
合わそうという気もない。
(必要に応じては合わせる。社会人として社会に生きている限り)
人には色んな面があり、多面体だから。
わたしは、プライドが高い。
本当のこと、真実を言われているのに、分野によっては、プンプンと気分を害する。
失礼ね、と。
仮に「服装がダサい」なんて実の娘に言われるとすると、100倍返しする用意がある。
「ダサい」の定義を述べよ、と詰め寄る。
あなたに人の服装センスをとやかく言う権利、資格、実証されたセンスはあるのか、と。
センスは人それぞれなのに、自分の感性を基準にするのはわかるが、評価するのは明らかにおかしい。
価値観の押し付けに他ならない。
ユニクロユーザーのセンスをこき下ろす人が仮にいたとして、その人のセンスが絶対だという保証、証拠、論拠はない。
そもそも、流行を作る側に立てば、まんまとユーザーが流行に乗ってきたら、自分の手柄を満喫するだろう。
今年のトレンドは、コレ!
カラーは、アレ!
全く時代の波には馬耳東風の変人スタイルは、先駆者でカッコイイ人はカッコイイが、カッコ悪い人はとてつもなくカッコ悪い。
特にファッションは。
パリでファッション美術館のような所を訪れたことがある。
あまりにも普通で、面白かった。
物事を極めるにあたり、何周かグルグル廻ると、元に戻るのだろうか。
ひょっとして、わたしが行きたかった美術館を間違えて別の博物館に行ったのかも知れない。
わたしは、とんでもなく著しく間違えることがある。
ゼロと1しかなくて、真ん中がない疑いがある。
まあそれは良いとして。
わたしのゼロと、わたしの1に合わせてくれる人はほぼいない。