蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ワクワクを箇条書きに?

2022-12-23 | 人生
読んでいた本をやっと完読した。
わたしは読書も遅い、のろのろだ。
で、その中で、最後あたりに著者が言いたかったこと。

自分の生き方について。
やりたいことが出来る、毎日サンデーの特権を手に入れたなら、、、
膨大な時間を持て余すのはあまりにももったいない。
やりたいことをやるにも何をやるか定まらない場合は、、、
脳を萎縮させないためにも、子供心に戻って自分がかつてワクワクしたことを書き出してみよう、とのこと。

で、ふと思った。
子供の頃、ワクワクしたことなんかあったかな、と。
秘密基地だの虫取りだの、電車が大好き!だとか、別に無い。
うんと小さい時は、あったかも知れない。
強いて言えば、お花畑だとか、お花でおままごとだとか。
が、、、。
おかあさんごっこのお花を使ってお料理遊びなんか、実際に大人になったら食事作りは苦行。
ワクワクなんて程遠い。
ボルテージの低い、低温の可愛げのない子供だったようだ。

青春時代にワクワクしたことは、青春時代だからこそのスイタホレタ恋愛もどきだし。
女性的若さも情熱もエネルギーも魅力もなくなった今となれば、ないモノねだり。
(あくまでもピーク過去との比較)
渇望すればするほど満足や幸せから遠のく。
諦観あるのみ。
輝きのピークに子供を産み育て、今は空の巣症候群か?というわけでもない。
そんなに頑張らなかった。
毎日、生活に追われていただけだ。

時間がたっぷり出来たら、何がしたかったんだろう?
こじんまり日常の生活で満足を得ている今としては、別にやりたいことを箇条書きにするようなことはない。
マチュピチュにもあまり行きたくなくなった。(先日の現地ストで)

知人を見る限り、あんまり、あまりある時間を謳歌している人はいない。
時間がない時からそうだったが。
皆さん、何をするでもない、(わたしにとっては)じつにつまらない生活を送っている。
わたしは、限られた特殊な趣味の面だけで接しているため、その人のその他の面は面白いと感じない。
(例外もある)

しかし、いろんな経験をした上で、別にもういいか、となるならまだしも、経験そのものをしたことがない人が少なからず周りにいる。
なので話が合わないため、その分野の話はしないようにする。
それはお互い様かも知れないが。
興味があることが合わない。
面白みのある人は、実際に身近にいない。
(いたとしても、近寄るには熱くて敬遠する)
著書やブログで知るのみ。
ひょっとすると、実生活では積極的に青い鳥を探して活動してないのかも知れない。

まあ何しろ、自分がワクワクしたことを思い出して書き出す行為、、、頭の中で考えてみるが、思いつかない。
こんなことでは、わたしは幸せ指数が高いのだろうか?

無理やり思い出そうとしても、大人になってからの方が楽しかったかも?
やっぱりわたしは、子供時代はさほど楽しくなかったように思う。
物質的には恵まれた家庭環境ではあったが、どうも偏りがあったと感じる。
が、誰でも彼でも満足いく家庭環境など、望む方が厚かましいようにも思う。
何ごとも完璧はない。
自分が育った家庭は、子供である自分では親を替えるわけにもいかずどうしようもないので(例外的な親なら行政が手助けしてくれるだろうけれど)、家から出て独立してから自分の理想に向けて努力すればよい。
のではあるが、努力したかなあ、、、?
理想なんて追求できるほど余裕はなかった。
毎日が精一杯だった。

今は余裕が生まれたものの、子供たちは独立し、残されたのは年寄り二人のみ。
とは言え、まだ走り続けている。

立ち止まっても、箇条書きにするほどのワクワクしたことを大して何も思い出せない。
かといって、全力でフル稼働もしていない。
過去と未来の狭間にある、正に「今」がある。
凪状態?