何故、ワクワクを箇条書きにする気がしないのか。
過去にワクワクしても、今はワクワクしない。
過去に燃焼したと思われる。
もし燃焼できず、燻り続けているなら、その続きをすればよい。
続けられない理由があったなら、今も尚あるなら、執着せず断念するほうが幸せへの近道。
道を変更する。
もうワクワクする情熱が枯渇しているなら、仏門にでも入るとよい。
ただし、人に強制的に教義を押し付けることなく、静かに自分だけが実践するとよい。
価値観の押し付けほど、圧苦しくウザイものはない。
自分のこれから行く道への架け橋にもなるだろう。
こころは落ち着く。
ヒマも潰れる。
有り余るヒマは、黙想で潰すとよい?
黙想の定義を取り間違えている感があるが、自分で自分を幸せに導くならそれでもよい。
瞑想?迷想?迷走?
姑は、読経しながら、最後あたりは晩御飯のおかずを考えていたという。
ミックスナッツ、なんだってよいのだ。
お経を読むのは実に省エネである。
覚えていれば、経本も紙もペンもスマホも電力も照明も、何にも要らない。
できれば暑くも寒くも無い、快適な気温が望ましい。
声がでなくなれば、こころで唱えるのもよい。
しかし、それをするには、お経、覚えなければならない。
ちなみに、夫も舅も仏教行事を行うのに、お経を知らない。
お坊さんやお墓に大金を投じても、お経を自分で唱えない。知らないから仕方ない?
頭脳明晰な2人、覚えられないはずがない。
その気がない。
自分の仕事ではないと思っている?
分業システム?
代行、アウトソーシング?
こころの中で唱えているようにも思えない。
本人がそれでよければ何の問題もない。
食事作りをはじめとする家事を絶対しないのと同じ脳構造だと思う。
家にまつわることは、女性がするものだと思っている。決めつけている。
(舅は、掃除や整理整頓、片付け、庭掃除、DIYがらみ、冠婚葬祭の管理もしていたが。
助かるのではあるが、片付けや食事準備を急かされたり、やろうとしていることに口出しされたりするデメリットがある)
家庭の中できちんと分業されていた。
もちろん経済も握っていた。
舅亡き後は、経済面では厳しい舅に変わって甘い息子にバトンタッチされ、姑はこの世の春を謳歌していた。
話が逸れている。
相も変わらず。
門前の小僧、お経を読む。
知らず知らずに身に付く、身に染みる。
宗教はこころを鎮めるには良い。
ただし、無理強いは許されない。
教義も、尋常じゃないものはNG。
しかし、信仰する宗教が個人間で異なると価値観が違ってきたりして、ややこしい。
信仰の自由は憲法でも保障されている?
離婚原因として、「宗教の違い」は認められる判例が多い。
昔から深く考えたこともなく、見直したこともなく、家で代々受け継がれてきた宗教。
保守、現状維持派としては突き詰めないものなのかも知れない。
歳を取って、何もすることがなくなった時、何も出来なくなった時には、良い暇つぶしになるだろう。
1日1分の御呪い(おまじない)(読経)でご利益があるなら。
あと、年数回の宗教行事と、何年かに一度の法要。
坊さんには、年会費と、都度払いのお金を払う。
これで維持できる、、、んだとか。
結構なことだ。
安泰をお金で買う。
誰も文句はない(はず)。
坊さんも信者も。
嫌なら辞めたら良い、抜けたら良い。
そう簡単に行かないところに落とし穴が潜んでいる。
社会は理屈では説明出来ない事柄が入り混じり込み、色々複雑に絡んでいる。
長々と記事を読んでくださった方、、、
で、結論は何?何が言いたい?と、なる。
はあ、、、すみません。
肯定したり否定したり。
答えは各自の胸の中にある。
自分の答えを見出せない人や、ころころ変わる人もいる。
矛盾で成り立っていることがある。
もやもやした場合は、各自、自問自答してください。
が、すきっと解決できたら、宗教と警察は要らない。
とりあえず、膨大な暇は潰せたはず。
シャカリキに闇雲にガムシャラに頑張っても、システマチックに合理的に頑張っても、近道でも遠回りでも、持ち時間の長さは同じ。
「人生は死ぬまでの時間潰し」。
わたしの小学4年〜6年までの担任のY先生が当時そう言っていた。