成功体験、挫折体験、、、いろいろあるだろう。
成功体験を積んでいる人にも落とし穴があるらしい。
自分を信じすぎて、間違った方向に進んでいても軌道修正しない。
大きな失敗へと導かれることがある。
さて。
わたしは挫折体験だらけ。
根性なし。
苦しいのに無理やり頑張らされたのは小学校高学年の頃。
父が重い病気になり、家庭でも重苦しい雰囲気が満ちていたし、学校でも担任のY先生が(義務教育であるにも拘らず)クラスの生徒全員にスパルタ教育を強いていた。
パワハラもどき色合いもあり、今なら登校拒否だろうけれど、時代のせいもあり、わたしはタフだった。
無理やり羽交締めにされ(→誇張表現)、大の苦手の勉強をさせられ(→被害者意識)、苦しい自覚はあったものの成績が上昇した自覚もなかった。
が、結果的には成績は上がったようだ。
にもかかわらず、喜びはなかった。
自覚しないままの、周りからの評価に納得が行かなかった。
義務教育学生時代の苦難、これは乗り越えた経験の一つになるのだろうか?
首の皮一枚で繋がったギリギリセーフな苦い思いだけであり、もう二度としたくない、関わりたくないと思ってしまった。
やはり、人間の特性には向き不向きがある。
とはいえ、当時の鵜飼いの鵜のように無理やり詰め込まれた学業は、その後、一生、わたしを下支え(あくまでも義務教育範囲内で)してくれることになるなら、良しとしよう。
学業の次の苦難は、婚活。
その次は、仕事。
仕事で直面した苦しさに、ある日、突然、舞台を降りた。
挫折とは違う。
経年劣化のような、経年摩耗、金属疲労のような、大して負荷もかけないのに、ポキっと折れた。
風に吹かれて突如散って消滅してしまうような。
家庭も子供も自分のやりたい仕事のために後回しにした、当時、そのセルフィッシュな情熱の全てを捧げていたことなのに。
いっぱいいっぱいになったのか。
もういい、と見限ったのか。
決して燃焼し尽くしたというような納得のいく濃いものではない。
あっさりしていた。すっと手を離した。
憑き物が落ちるように。
やるだけやったから、もういい、というかんじか。いや、そんな風でもない。
やはり、モチベーションが無くなると動かなくなる。
苦しくても辛くても自分を鼓舞するものは何か?
崇めていた神、信仰していた確固なるものが、戦後の価値観崩壊のように、ガラガラと崩れて跡形もなく無くなった。
なんだろうね、あれ。
家族を養っているわけではないので、経済的義務感はない。
いっそ義務感があるほうが、負荷がかかり正当化しやすい。
自由なのに自分を追い込むのは、パワー、熱量が要る。
そう懐古すると、、、
リタイア後の余生は、、、
健康、経済、モチベーションか。
中でも「モチベーション」は実態として測れないし比べられないから掴みにくいかも知れない。
生き甲斐や満足度は、豊かな国より、そうでない国のほうが高いとされている。
書き始めると、膨大な内容になり、まとまりなくキリがない。
一生懸命書いて、ああ、いい汗かいて、いい調子、、、ということもない。
・・・・・
誰も楽しくならない内容になってしまった。